凛編 趣味に打ち込む
とにかく、<社会>というものを成立させていくとなれば、この程度のことは考えなきゃいけなくなる。適当に済ましてはいられない。
<誰も彼もが自分のしたいことだけをしてれば生活していける社会>
というのも、実際には必ずしも<健全>とは言い難いのも分かっている。誰も見ない映画を作ったところで利益は生まれない。利益が生まれなければ経済が回らない。
誰も見ない映画を作る映画監督の生活を誰がどうやって保証するのか?
と考えれば分かるだろう? 誰も見ない映画を作ることまでは好きにすればいいにせよ、自分の生活は自分で成り立たせてもらわないと、社会そのものが成り立たなくなる。
ロボットが人間の代わりに働いて人間を養っていけば一応は成立しても、それを未来永劫維持していけるかどうかは、何の保証もないし、そもそもそんなのは先にも言ったように『動物園で飼育されてる』のと変わらないだろう。
そんなのが望みなのか?
俺としては遠慮したいね。そう考えてしまうのも<人間>というものだと思う。
確かにやりたいことだけをやっていられれば楽しいかもしれない。だが人間ってのは不思議なもので、その<楽しいこと>もいつかは飽きるんだよな。健康寿命が六十年七十年だった頃には飽きる前に寿命を迎えることもできたかもしれないものの、それが二百年を超えるとそういうわけにもいかなくなってくるんだ。
『百年以上若いままでいられたら、飽きるわけないだろ!?』
みたいに思うのもいるだろうが、確かに飽きないのもいるかもしれないが、実際には飽きてしまう人間の方が多いんだよ。逆に若いままでいられるからこそ、他に関心が移ってしまっても問題なくやり直せてしまえるし。
加齢によってできることが減ってくると、その時点でできることに執着してしまうというのもあるようだ。
老化抑制処置の効果が切れて一気に老化が進むと、それこそ 一つのことに執着するようになる傾向が見られるとも言われているんだとか。
『生きているうちにこれをやってしまいたい』
と考えてしまう感じだろうか。
そこまでは分からないにせよ、
『趣味に打ち込む』
と言えば聞こえはいいにしても、実際には自分がやりたいと思うことに拘泥して周囲を省みなくなると言った方が適切らしい。
健康寿命が尽きて若かった頃ほどは自由に動けなくても、医療技術の発達により<寝たきり>などにはならないから、それなりにできることはあるがゆえに打ち込めてしまうということだろうな。




