ホビットMk-Ⅱ編 星の数ほど
『自分の我儘を他者に一方的に押し付けることはできない』
人間としてコミュニティに属し、その恩恵を受けつつ自らもコミュニティの維持に貢献していくためには、それが重要になるはずだ。誰も彼もが我儘を口にして自分の身勝手な都合を誰かに押し付けようとすれば、コミュニティなんてすぐに崩壊する。
実際にそれで悲惨な結末を迎えたコミュニティは、大小合わせて記録にあるだけでもまさに、
『星の数ほど』
だそうだ。これまでにも何度も触れてきた<AI・ロボット排斥主義者>のコミュニティもそうだし、地球人社会そのものに嫌気がさして新天地を求めて宇宙へと旅立っていった者達のコミュニティも、判明しているものについてはすべてが破滅しているわけで。
後者については、環境を維持するための技術的な問題ももちろんのこと、小さな小さな人工環境の中では個人の些細な我儘が全体に大きく影響することもあり、元々あまりにも困難な<試み>の破綻を決定付けた大きな要因になったというのも分かってるんだ。
人間ってのは、<我儘>を完全に抑えるなんてことができない生き物だし。
だってそうだろう?
『交通ルールを守らない』
なんてのは<身勝手な我儘>の最たるものだ。なのにあれやこれやと詭弁と言い訳を並べて自分が交通ルールを守らないのを正当化しようとする。それを我慢できない。
ネットで悪態を吐き誹謗中傷を垂れ流すのをやめられないってのもそうだよな。それがどれほどマナーに反することか説かれても、詭弁と言い訳で正当化しようとするだろ?
<批判>と称して明らかに相手にダメージを与えるのを目的とした言葉や表現を選ぶのをやめようとしない。相手にダメージを与えるのは、<批判>じゃなくて<攻撃>なのにな。
それほどまでに人間は、
<我慢ができない生き物>
だ。ただ、それでもある程度は妥協しなきゃならないのも事実ではある。それを子供は、親の振る舞いから学ぶ。
ここで重要なのは、
『<言葉>じゃなくて<振る舞い>から』
という点だ。言葉でいくら『我慢が大事』と説こうとも、親が<我慢しない振る舞い>を子供の前で見せてたら何の意味もない。
『口では我慢しろとか言ってるクセに自分は我慢してないじゃん』
と思われたらもうすべて台無しだ。
『信号を守らない』
『横断禁止のところを渡る』
そんな日常的に当たり前のようにやってる振る舞いこそが、言葉の説得力を皆無にする。
<その程度の些細な我慢>
を実際にしてない親の姿は、何よりの<悪い見本>だよな。




