第九十二話 食の都と海の荒くれもの⑩
タイソン・アルバの話を聞いているうちに、僕たちは共通の見解を示すようになった。
――リュージュは僕たちにとって、害のある存在ではないだろうか?
リュージュを害のある存在とは思っていなかった。別に百パーセントの善人であるとは到底思っていなかった。とはいえ、国を治める人間だからある程度の信用を置いていた。
しかし、今思えばそれが間違いなのかもしれない。
「リュージュはメタモルフォーズの研究をしていた。その指導者であったよ。正確に言えば、研究自体は研究者に任せて、彼女はその統括を行っていた……ということだ。私はその中で一研究員に過ぎなかったが……、その研究内容が高評価だったためか、かなりの確率でリュージュに途中経過を報告することが多かった」
「そこでリュージュに出会った、と」
再び、タイソン・アルバは頷いた。
「リュージュは、私の研究にかなり力を注いでいるようだった。シュラス錬金術研究所……今はどうなっているのか知らないが、あそこの所長がよく私に言っていたよ。メタモルフォーズの研究よりも、最近はそちらのほうに熱が入っている、と」
シュラス錬金術研究所といえば、この前入った場所だろう。メアリーをかくまっていたらしいが、僕たちがやってくる前にバルト・イルファが別の場所に護送したらしい。だから会うことは出来なかったのだが、最後に水を操るメタモルフォーズが出てきたのは覚えている。あいつはかなり強敵だった。レイナの機転が無ければ倒すことが出来なかったかもしれない。
ということは。
タイソン・アルバは別に悪い人間ではない――ということなのだろうか。確かに、話だけ聞いてみればタイソン・アルバは研究について自分の探求心を貫いてきただけであって、結局悪いことをしていたわけではない。むしろそれを命令したリュージュが悪い、という結論になるのだろうが。
「私の研究は長く続けられることとなった。潤沢な資金も入り、人を集めることもできるようになった。そうして、人はどんどん知恵の木の実になっていった。私はそれを毎日献上していった。それを目の前でリュージュは一口齧り、その味を確かめていた。……知恵の木の実に味があるのかは、食べたことのない人間には解らない話ではあるがね」
「……一つ質問なのだけれど、記憶エネルギーを失った人間はどうなる?」
「死ぬよ。記憶には色々な種類がある。記憶は行動を起こすと電気信号に変換され、脳のネットワーク内を縦横無尽に駆け巡る。そして最終的に長期的に記憶を保管する場所に記憶として保管される。そしてその容量は無限大といっても過言ではない。もちろん、星の記憶と比べれば微塵にも満たないがね。その記憶が一切失われた状態……それは即ち、赤ん坊と同じ状態になる。本来は生きていてもおかしくないのだが……、はっきり言って生きるのは不可能だと思うよ。だから、正確に言えば、死ぬのではない。『生きることが社会的に難しくなる』ということだ」
「新たに記憶を覚えることもできない、と?」
「簡単に言えば、記憶を覚えることと記憶を思い出すこと、この処理は有限だ。つまり回数を増やしていけば、それほど昔の記憶は思い出せなくなってしまう。記憶エネルギーの取り出しは通常の記憶を思い出すことよりも脳に負荷をかけてしまう。だから、記憶エネルギーを完全に吸い出されてしまったあとの脳は、記憶力がほぼ皆無と化してしまう。すぐに物事を忘れてしまうことや、メモを使わないと日常生活を送れなくなるほど。というか、自分が何者であるかすら解らないからね。まずはそこから覚えてもらう必要があるけれど」
タイソン・アルバはそこまで言って、会話を区切った。
僕たちとタイソン・アルバ、それにタイソン・アルバの船の乗組員たちの間で、静寂が広がる。
静寂を破ったのは、シュルツさんだった。
「……それで、今まで話を聞いてきたわけだけれど、一つ解らないことがある。タイソン・アルバ……だったかな。君はいったいどうしたい?」
「どうしたい、とは……どういうことだ?」
タイソン・アルバはシュルツさんのほうを見て言った。
睨み付けているように見えるが、敵意を抱いているのだろうか?
そんなことはないと思うが、シュルツさんもそれに負けじと同じように睨み付けるようにタイソン・アルバのほうを見て、
「つまり、簡単なことだ。タイソン・アルバ、あなたはずっと海で生活をしてきたのだろう? おそらく、リュージュから逃げるように。だけれど、彼らに話をしたということは、何らかの意味があったから。そして予言の勇者であるということを知っていたのならば、猶更だ」
「……そういうことか。確かにその通りだ」
タイソン・アルバは頷いて、僕のほうに向きなおすと、
「フル・ヤタクミ。リュージュを止めてくれないか」
唐突に話題が変わってしまい、僕はたじろいでしまった。
しかし、タイソン・アルバは今までの話を聞いていれば、リュージュは悪い奴だとしか言っておらず、助けてほしいなど一度も言ってはいなかった。いったい、どういう風の吹き回しなのだろうか?




