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異世界で、英雄譚をはじめましょう。  作者: 巫 夏希
第二部第五章 カミとヒト編
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第三百十六話 中枢都市エルダリア①

 西暦二〇四〇年。

 中枢都市エルダリア。

 同都市大学内第八研究室。


「……また今日も徹夜?」


 一人の学生がパソコンの画面とにらめっこしているのを、もう一人の学生が溜息を吐きながら言った。

 少し間を空けて、学生は回転椅子を回して振り返る。


「……なんだ、君か。どうしたんだい、イヴ? せっかくいいところだったのに」

「実験が大詰めなのは知っているけれどね、少しは身体のことも考えなさい。今、何時だと思っているのかしら?」

「え? ……もうこんな時間?」


 学生がパソコンのデスクトップにある時計を見ると、そこに出ていたのは彼の予想を三時間ほど上回る時刻となっていた。

 イヴは再度溜息を吐き、


「あなた、夕食は?」

「……食べてないな。けれど大丈夫だよ。若さを武器になんとかすれば、」


 ぐぎゅるるる。

 と、そんな学生の言葉を遮るように大きい腹の音が鳴った。

 ニヤニヤと笑みを浮かべながら、


「で? 若さを武器にすれば、何だって?」

「……意地悪だな、イヴは。で? 君はこんな夜更けに何の用事? 前に『美容はお肌の大敵』なんて聞いた覚えがあるけれど」

「進捗と天秤にかければ、どっちを重きにおくかなんて直ぐ分かる話でしょうっ」


 そう言うと彼女はコンビニの白いポリエチレン袋を、二つ持っていたうちの一つを、彼に押し付けた。


「……これは?」

「夕食。食べてないと思ったから」

「買ってきてくれたの? うわあ、嬉しいなあ。幕の内弁当と、野菜ジュース。あとエナジードリンクも。有り難い」

「エナジードリンクの濫用は良くないけれど、ま、一回ぐらいはね。あと、栄養バランスも考えて購入してきた私に感謝しなさい」

「ありがとう。恩にきるよ」


 袋を受け取ると、弁当の箱を取り出す。


「……チンもしてあるの?」

「あんたのことだろーから、直ぐに食べられるものじゃないと気が済まないでしょ。冷めた弁当の方がお好みだった?」

「とんでもない。温めてもらって文句を言ったらバチが当たる」


 わざとらしくリアクションを取りつつ、彼は弁当の蓋を開け早速食事の時間を取るようだった。あの様子だと、相当腹を減らしていたように見える。

 それを横目で見ながらイヴは持っていたもう片方の袋の中身を取り出した。

 それはスティック状の栄養バランスが考えられた栄養補給食だった。チョコレート味がお気に入りの彼女は、いつもそれを夜食に食べるのだ。

 一本口に咥えつつ、ペットボトルのコーラを取り出した。


「……イヴって、ほんと他人に厳しく自分に甘いよね。それで良く健康状態が保ててるよ」


「カロリーバランスは充分に考えられている製品ですもの。あとコーラもね。炭酸ってね、胃で膨らむの。最近は購買で手に入らなくなったけど、バジルシードもおススメよ」

「げえ、やめてくれよ。あれ、知らずに飲んだせいで吐いたことがあるんだ。確かバジルシードと水を飲むとバジルシードが膨らんで、それだけで一食分持つ、ってやつだろ? 昔それを知らなくてそのまま食事しちゃってさ……。気持ち悪いのなんの」

「結局吐いたわけ?」


 イヴはカロリースティックを最後まで口に放り込んで、それをコーラで流し込む。


「呆れた。自分のミスで、トラウマを作っただけじゃない。トラウマ量産機かしら、あなたは」

「だからあの時はそうだって知らなかった、って言っただろ!」

「……ま。いいわ。不毛な議論は止しましょう。弁当が冷めるし、私の研究に対するテンションも落ちるわ」

「それもそうだ。……あ、そうだ。ところでさ、そっちの方はどうなんだい?」


 彼は右手に割り箸を持ったまま、椅子をイヴの方に近付ける。


「どう、って?」

「決まっているだろ、研究の成果だ。パラドックスの恋文実験は、成功したんだろ。意識が光の速度を超えると、例えその意識が人工的に作られたものであろうと時間遡行たり得る。とどのつまり、タイムパラドックスを自由自在に操れる夢のような理論を!」

「……確かに成功したけれど、再現は一回だけ。常に再現するとは言い難い」


 彼の明るい表情とは裏腹に苦々しい表情を浮かべるイヴ。

 しかし彼はその本質を理解できていなかったのか、


「そうなのかい? だってあの時はあれ程再現できたことを喜んでいたじゃないか。あのエドワード博士が出来なかったパラドックスを、娘である君が成し遂げたんだって。学術誌にも載る予定だったって聞いたのに、載ってなかったしさ」

「……当たり前でしょ。あの時の再現は私一人で成し得たもの。それを普遍的に出来てこそ、科学の発展に真に貢献したと言えるんだもの。……私一人の時でしか再現出来ないのなら、それは捏造された結果と疑われても仕方ない」

「……つまり、捏造疑惑がかけられたから学術誌には掲載されなかったのか?」

「言わなかったっけ、わたし」

「聞いてないよ」

「研究に夢中だったから、聞いてなかっただけじゃなくて?」

「聞いてないって!」


 ごめん、とだけイヴは言った。


「だとしたら、ごめん。私の研究に、私の研究の成功に、一番喜んでくれたのはあなただったのに」

「いいんだよ、別に。それに僕も教授陣から鼻つまみ者扱いを受けているからね。別にそのあたりはどうだっていいのさ」

「それはただ、あなたの研究が一生かかっても終わりやしない、壮大なテーマだからではなくて?」


 そうだね、と言いながら彼は笑った。


「……意識の、人間の脳をそっくりそのまま電子化するなんて、そりゃ不可能だって言い出すに決まっているよね」

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