第十九話 妖精の村④
夜のエルファスは昼のそれとはまったく違う状態だった。
正確に言えば、全体的に酒臭い。結局その理由は火を見るよりも明らかなのだが、それを気にすることなく町を歩いていた。
一言ルーシーに何か言っておくべきだったか――出発前に僕はそんなことを思ったけれど、何か面倒なことになりそうなので言わないでおいた。ひとまずは、あのミシェラが言っていた発言が妙に引っ掛かる。それをどうにか解明するために――僕は歩いていた。
メリーテイストという色宿に到着したのはそれから十分後のことだった。
そしてメリーテイストの前には、一人の少女が僕を待ち構えていた。
ミシェラ――彼女だった。
「待ちくたびれたわ、アナタ。まさかこんな時間にならないとやってこないなんて」
「……一緒に居るメンバーが眠りにつくか、あるいはそれに近いタイミングじゃないとやってこられないものでね。それくらい何となく解るだろう?」
言い訳に近い言葉を話して、僕は何とか許しを請おうと願う。
「ふうん……。まあ、いいけれど。取り敢えず、入ってよ。あ、言っておくけれど、お金はかからないよ」
「そうなら、安心できる」
「ま、別に大した話じゃないけれどさ、聞いてほしい話もあるってわけ。オーナーには、アナタは私の友人として通すから。アナタ、名前は?」
「フル……ヤタクミ」
「フル・ヤタクミ……ね。うん、ちょっと変わった名前だけれど、気に入った。さあ、中に入って」
そう言ってミシェラは中に入っていく。
ほんとうに僕がこの中に入っていいのかと思うが――しかし情報を得られるのであればどうだってかまわない。そう思って、僕は色宿の中へと入っていった。
色宿とは名前の通り娼館と宿を兼ねている空間のことを言う。のちに知ったのだが、エルファスの町を支える産業の一つが色宿と言われているくらい、この町には色宿、そして娼館が多い。
色宿『メリーテイスト』の扉を開けると、甘ったるい香りが鼻腔を擽った。
「よう、ミシェラ。どうしたんだ?」
ミシェラは現れた眼鏡をかけた男に訊ねられて、目を細める。
「別に。ちょっと古い友人と出会ったから外で話していただけ。寒いから、部屋で話すの。いいでしょう? 別に客も来ていないし。もちろん客が来たら対応するから」
「それくらい当たり前だ。……解った、それじゃ、部屋に案内しろ。言っておくが、」
「なに?」
強い目線で、男を見つめる。
男は何か言いたかったようだが――言葉に詰まって、何も言い出せない。
少し間をおいて、男は頷くと、
「解った。お前さんには稼いでもらっているからな。少し時間をやるよ。ただし、その時間を過ぎて、客がやってきたら、その時は対応してもらうからな」
「ありがとうございます」
そう言って、二階へと続く階段を昇っていくミシェラ。
それを僕は追いかけていくしかなかった。
たとえこの先に何が待ち受けていようとも、ひとまずは――従うしかない。
彼女の部屋に入ると、白を基調とした部屋が出迎えてくれた。
大きな屋根付きのベッドに腰かけて、彼女は深い溜息を吐いた。
「……座りなよ」
隣をポンポンと叩くミシェラ。正気か? と僕は思ったけれど、普通に考えてみると彼女はそういう職業だから隣に男を座らせることには何の抵抗もないのだろう――そう思って、僕は彼女の隣に座った。
ミシェラは呟く。
「今日は来てくれてありがとうね。まさかほんとうに来てくれるとは思わなかったからさ」
「……いや、ちょっと気になったからね。それにしても、いったいどういうこと?」
「どういうこと、って?」
「君の言葉が少し気になっただけだよ。どうして、ただの旅人としか言っていなかった僕たちに、話したいことがあったのか? もしかして何か隠しているのではないか、って」
「……そうよ」
予想以上に早く、彼女は口を開いた。
そしてミシェラは俯きながら、言った。
「私、旅がしたいの」
「……旅?」
何を言い出すのかと思っていたが、その発言を聞いて思わず目が点になった。
しかし、ミシェラの話は続く。
「この世界は広い。けれど、私たち姉妹に立ち塞がったものは、重く、深く、それでいて残酷だった。私の姉、カーラのことは知っているでしょう? 何せ、今日の昼に出会ったのだから」
「……ああ、もちろん知っているよ。ただ、あそこで諍いがあった程度にしか理解していないけれどね」
「それで充分。それで問題ないよ。先入観さえなければいいのだから」
そう言い出して、ミシェラは彼女の思い出を話し始めた。
それは深い思い出であり、残酷な思い出だった。
正直言って、彼女がその年齢でそれを受け止めるには、あまりにも残酷すぎる。
ただし、それは部外者、あるいは経験したことの無い人間が語ることの出来るものになるのだろうけれど。
◇◇◇
十年前、私たちはスノーフォグのとある村に暮らしていた。
スノーフォグというのは、この国のように治安が良いわけではない。正確に言えば、治安が一定なわけではない。治安はその場所によってバラバラで良いところもあれば悪いところもあった。ハイダルクはそれが無くてすべて均等になっているけれど、スノーフォグにとってはそれが常識だった。
スノーフォグの村、そこで私たち姉妹と家族は暮らしていた。父親はスノーフォグの兵士で、母親は村で私たち姉妹を育ててくれた。父は城を守る兵士だったから、そう簡単に家に帰ってくることは無かった。けれど、城の安全を守っているということは常日頃聞いていたから、私はお父さんのことを尊敬していた。
私たちの日常が一変したのは、八年前にあった科学実験が原因よ。
科学実験――そういえば聞こえがいいかもしれないけれど、実際に言えば悪魔の実験だった。錬金術、魔術、化学……一応いろいろな学問があると思うけれど、あんな学問は未だに見たことがない。
阿鼻叫喚、悲鳴が合唱のように響き渡り。
私たちの住む村は――壊滅した。
そしてなぜか私たちだけ、生き残った。
父が帰ってきていた、偶然で最悪のタイミングでのことだった。




