第百九十六話 泡沫の日常③
昼休み。
正確に言えば、昼食時間も含まれているその時間だったが、僕は北谷の机で弁当を広げていた。
「それにしても、お前ラッキーだよな?」
北谷の言葉を聞いて、僕は箸で取っていた里芋を口に持っていくのを止めた。
「何が?」
「何が……って、このタイミングで『ラッキー』と言ったらあれしか無いだろ?」
「何だよ。勿体ぶっている暇があったら、面と向かって口に出したらどうだ? そんな恥ずかしがる仲でも無いだろ?」
「それもそうだが……。ちょっと耳貸せ」
そう言われたので、僕は顔を近づける。そこまで他人に聞かれたくないことなのだろうか。だったら公衆の面前ではなくて帰り道とか、もっといい場所が無いものか。
「お前、さっきいい感じだったじゃんか。木葉さんと」
「……お前、冷静に考えてみろ。何を言っているんだ。普通に会話をして、教科書を持っていないから貸してあげただけの話だぞ。それを『いい感じ』って……。ほとほと呆れるよ、お前と友人の関係を保っていられるのは僕くらいだ」
「ほかにも友人は居るぞ。それに……お前だって似たようなもんじゃねえか。ただのかわいい妹が居るくらいでよ。恵梨香ちゃん、俺にくれよ。要らないだろ?」
「どこの世界に妹を要らないなんて言う兄が居る? 言ってみろよ」
「まあまあ、冗談なんだからさ。本気にとるなよ」
まあ、そうだろうな。
僕だって本気にとっているわけでは無い。北谷の言っていることはいつも冗談めいているからだ。本気でそんなことを言ったことは――たぶん一度も無いだろう。もしかしたら僕がそう思っていないだけで、実は北谷から見れば何回か本気で言ったことがあるのかもしれないが。
「……とにかく、実際のところどうなんだよ、タク。木葉さんは?」
「どう、って……」
ちらり、と木葉さんのほうを見る。
木葉さんは今、すっかり打ち解けている女子軍団と一緒に机を並べて弁当を食べている。弁当箱は俵型で、何でも自分で作っているらしい(盗み聞き――正確には声が大きすぎて教室全体に響き渡った女子の声を聴いて得た知識だ)。
そしてどうやら木葉さんにも妹が居て、その妹を可愛がっているらしい。
「……うん、何というか近いところがあるよ」
「近い? お前と木葉さんが? 性別が違うのに、それじゃあれだよ。えーと……月と鼈?」
「そもそも比較対象じゃねえよ、ミートボールもらい」
僕はひょいと北谷の食べている弁当――こいつはいつも購買から弁当を買ってきている――のミートボールを掬い取った。
「あっ! ずるい! 俺にも何か食わせろ……。えーと、この卵焼きだ!」
そう言って卵焼きを奪い取る北谷。まあ、予定調和の流れだ。別に問題はない。
ちなみに僕の弁当は母が作っている。妹の分も合わせて、だ。毎朝忙しいのに弁当が凝っているから、結構な確率で友人が弁当の中身を見に来ることがある。
今日の弁当はご飯と豚バラ肉を醤油ベースの味付けで焼いたものをミルフィーユ状に重ねたものと、卵焼きや唐揚げにブロッコリーといった感じだった。弁当の中身はこの時間にならないと確認することができないから、楽しみの一つとなっている。
恵梨香は恵梨香で別の弁当を食べているらしい。女子と男子で同じ弁当を作るとどうしても偏りが出てしまうから、材料は一緒でアレンジを加える感じにしているらしい。主婦の知恵、恐れ入ったという感じだ。
「……それにしても、この時期に転校生ってやっぱり何らかの事情があってのものなのかね?」
北谷はまだ転校生の話題で盛り上がりたいようだった。
そんなこと知ったことではなかったが――確かにこの時期に来た、というのはとても気になる。
どうしてこんな時期に来たのだろうか。それだけは北谷の意見に共感出来るし、解決したい疑問の一つだろう。
しかしその理由はプライバシーになってしまうから、そう簡単に聞くことは出来ないだろう。
だから、その疑問については迷宮入りするのが普通なのかもしれない。
「ま、それを本人に聞くことは難しいんじゃないか? 或いは女子経由で聞くとか……。女子だったら、そういうことを聞けているかもしれないだろ。案外、女子ってそういうことにも土足で踏み込むことが出来るし」
「それもそうだな。……あとで三崎に聞いてみるか」
三崎ほのか。
僕たちの共通の友人であり、幼馴染だ。男勝りな性格だから、このクラスの女子のリーダー的役割を担っている。ショートカットでちゃきちゃきとした性格、僕と同じ左利きで笑顔がまぶしい彼女。
それが三崎ほのかだった。
三崎は木葉さんに一番近い席でおにぎりを頬張っている。三崎は母親と二人暮らしだから、弁当を作ってくれる余裕も無い。だからといって彼女は料理が上手いという噂を聞いたこともない。要するにあの不器用な三角錐のおにぎりは彼女本人が握ったものなのだろう。
相変わらず、三崎は男みたいな性格をしていると思う。昔から僕たちと一緒につるんでいたからかもしれないが。本人曰く、いまだにスカートは慣れないと言っていたし。
「じゃあ、それについては帰りにアイツに話をしてみるとするか……。帰りにあそこ行こうぜ。駄菓子屋」
「おっ、いいね。その案、乗った!」
そうして僕たちは互いの右手を、ちょうど腕相撲をするかのように組み合わせるのだった。




