第十六話 妖精の村①
「第二章 ハイダルク編」
海に打ち上げられて、少し休憩したのち、僕たちは探索を開始した。
まずはここがどこであるか、ということについて。
「……駄目ね。地図を見ても、ここがどこだか見当もつかない。かといって歩いていては不味いことになりそうね。有耶無耶に歩いても解決するとは到底思えない」
そう言ってメアリーは砂浜の向こうを見つめた。
砂浜の向こうは鬱蒼と生い茂った森が広がっており、そう簡単に進めるものではない。
「……ここを通れば、どこへ向かうのかしら?」
「正直な話、あまり無作為にいかないほうがいいと思うよ。……でも、だからといって、動かないわけにもいかない。いったいどうすればいいものか……」
ルーシーは手を組んで考えた。
けれど、それよりも早く――何かがやってくる音が聞こえた。
「静かに。何か聞こえる」
メアリーの言葉を聞いて、僕は耳をひそめる。
何かがこちらに近づいてくる。
かっぽ、かっぽとコップを鳴らしているようなそんな音。
けれど、それは正確に言えば――。
「やあやあ、やっと森から出ることが出来た。まったく、この馬はかなり面倒な馬であることだ……」
森から出てきたのは、馬車だった。
それもそれなりに立派な。
「……まさか馬車が森の中から出てくるなんて」
「もしや……君たちはラドーム学院からやってきた子供たちかい?」
それを聞いて、僕たちは目を丸くした。どうしてそんなことが解るのか、はっきりと言えなかったからだ。
いや、それ以上に。
その人は、信じられる人間なのか? 突然やってきて、僕たちがどこからやってきたのかが解っている。そんな人間をすぐに信じられるだろうか? はっきり言って、そんなこと不可能だ。
「……乗りなされ。扉の鍵は開いている。それに、中には誰も載っていない」
「……ほんとうですか?」
「安心しろ。取って食うわけではないし、そもそも私はラドームの古い友人だ」
ラドーム……それってつまり、校長先生の?
「だったら、信頼できるかも?」
「そうかもしれないけれど……」
メアリーを筆頭に、ひそひそ声で話し出した。そうしている理由は単純明快。聞こえないようにしているためだ。聞こえてしまえば、すべてが無駄になってしまうのだから。
それを察したのか、馬車の老人は頷く。
「まあ、疑うことも仕方ないだろう。疑うこともまた、意識としては大事なことだからな。けれど、人を信じることも時に大事だぞ」
「……どうする? フル」
ここでルーシーが僕に話題を振った。何で、ここで話題を振るんだよ、もっと考えてから僕に手渡してくれよ、もっと何かあっただろ。
……そんなことを考えても無駄だと思った僕は、あきらめた。小さく溜息を吐いて、踏ん切りをつけるしかなかった。
「そうだね。ここでずっと話をしていても無駄だ。だったら、従うしかない。遠慮なく、馬車に乗せてもらうことにしよう。正直、どこに向かうのか解らないけれど」
「そう焦ることは無いぞ、若人。私がやってきた場所は、妖精の住む村として有名な場所だよ。名前はエルファスという。そこへ向かえば、きっと君たちの身体も休まるだろう」
結局。
僕たちは馬車に乗っていた。
馬車に揺られて、森の中を進む。木の枝が入ってくることがあるのではないか、ってことを考えていたのだけれど、はっきり言ってそれは杞憂だった。そんなことを考えても無駄だった、ということだ。
「馬車に乗ることが出来るとは、思わなかったよ」
「この世界で馬車を持っている人間ってとても少ないからね……。私たちも初めてだよ」
僕の言葉に答えたのはメアリーだった。
メアリーの言葉を聞いて頷く。そうなのか、この世界で馬車を持っている人間の数はそう多くない、と。正直もっと居るのではないか、と思ったけれど、どうやらまた別の考えらしい。
「それにしても、馬車に揺られるのって、とても気持ちいいのね……」
メアリーは座っていながら、伸びをした。
確かにメアリーの表情はどこか気持ちよさそうだし、僕も気持ちよかった。こんなに馬車の揺られが気持ちいいものだとは知らなかったからだ。
「……エルファスまではどれくらいですか?」
「なあに、あと一時間は軽くかかるだろう。それまではゆっくりとしていても何ら問題は無い。なんなら眠っていても構わないよ。着いたら起こしてあげよう」
眠り。
そう聞くと、途端に眠くなってくる。
なぜだろう。まあ、解らないことなのだろうけれど。長い間海水に浸かっていたから、体力が知らないうちに消費されていたのかもしれない。だったらあの時の気絶しているときに少しでも回復していればよかったのだけれど、人間というのは少々面倒な生き物だ。
そして、気付けば僕たちは夢の世界へと旅立っていった――。
◇◇◇
次に僕が覚えているのは、老人がカーテンを開けたタイミングでのことだった。
「そろそろ、エルファスの市内へと入っていくぞ」
それを聞いて僕は目を開ける。どうやら随分と長い間眠っていたように見えるけれど、ようやく着いたという言葉を信じるとまだ一時間程度しか眠れていないのだろう。何というか、すごく長い間眠っていたように見えるけれど、きっとそれは違うのだろう。
メアリー、ルーシーも目を覚まして大きな欠伸をした。
「まさかこんなに眠りやすい環境とはね……。馬車、恐るべし……」
どうやらメアリーは馬車に屈してしまったらしい。まあ、言いたいことは解る。そして仕方ないと思うことも事実だ。
市内へと入る大きな門――それを馬車の中から見て、とても幻想的な雰囲気が感じられた。石煉瓦を積み上げたことでできている壁よりも大きな巨木が見えているけれど、きっとあれが妖精の住む樹なのだろうか?
市内へと入っていくと、その雰囲気はがらりと変わっていく。
石煉瓦でできた質素なつくりの家、それに広い道を歩いていく人々。そしてその光景に映りこんでいる女性は、どこか露出度が高いように見える。一例をあげれば背中をぱっくりと開けたドレスを着ていることだろうか。どうしてあんな恰好を平気でできるのか、解ったものではないけれど。
「ここは西門の前なので、娼館が多いのじゃよ」
そう言って老人は笑う。
娼館――ねえ。ゲームの中でしか聞かないと思っていたよ、そんな言葉。
「なあ、娼館って何だ、フル?」
ルーシーはその言葉の意味を理解していないらしく、無垢にも僕に訊ねる。
いや、言おうと思えばすぐに教えることは出来るけれど――お前の隣には少女が居るんだぞ? しかもお前と同じ年頃の、だ。まあ、その意味は僕にもそのまま通るのだけれど。




