第百十九話 知恵の木⑥
「そうだった。フィールズ。あなたに一つ教えておきましょうか。あなたと私の認識のズレを少しは解消しておかないとね。きっとこれが最後の会話になるでしょうから」
「いったい何を……!」
「メアリーを外に出したことは、私の計画の範囲内です。これを言っても?」
「何だと……。それは、負け惜しみに過ぎないはずだ」
それを聞いたリュージュは高らかに笑った。
「……メアリーはそろそろ外に出しておかないとね。『スペア』の役割を担っていることだし。まあ、それはあなたもよく知っていることでしょうから、細かく今から話すことも無いでしょう。だって面倒だもの」
スペア?
それを聞いてメアリーはもっとリュージュの話を聞きたいと思っていた。自らにどのような役割があったのか、それが気になったからだ。
だが、リュージュはこれ以上話すことなかった。そして、それはフィールズも同じだった。
「スペア……。そうだったな。しかし、そうでも納得できない。まるでそのスペアを使う機会が無いから、追放したという風にもとれるが?」
「逆よ。スペアを使う機会があったから外に出したのよ。私の寿命は人よりも何倍も、いや、何十倍も長い。それはあなただって知っているでしょう? 祈祷師の寿命は何百年。人によっては千年単位も生きることだってあるけれど、そんなことはごくわずか。そのためにも、メアリーというスペアを用意した。私の力を直接引き継ぐためのスペアをね」
「……まるで君がすぐに死んでしまうようなことを言っているようだね?」
「私はいつ死ぬかなんてわからない。そんなことは『視』えないわけだから」
リュージュはそう言って、右手を差し出す。
「さて……、私のところへ戻ってきてありがとう。フィールズ。最後に何か言い残した言葉は無いかしら?」
炎を作り出し、それが徐々に大きくなっていく。
フィールズは何もせず、笑みを浮かべた。
何か策があるのか――リュージュはそう思ったが、まったく策なんて考え付いていなかった。ブラフをするつもりも無かった。
ただ単純に、笑っていただけだった。
「……まさか最後に君からそんなことを言われるなんてね。温情、ってやつかな。僕としてはただ一つだけ。これだけ言わせてくれよ」
そして、フィールズは眼鏡を上げて、
「――愛しているよ、リュージュ」
「そう。私もよ、フィールズ」
刹那、彼女の放った炎がフィールズに命中した。
◇◇◇
メアリーは知恵の木に触れたまま、その身体を硬直させていた。
いったい何が起きたのか僕たちには全然解らなかったが、自然と僕たちは待機していた。
いつメアリーが意識を取り戻してもいいように、待機していた。
「メアリー……、大丈夫かな。いったい、どのような試練を受けているのだろう……」
頭の中に響いた声から、僕たちは試練のことだけを聞いていた。
けれど、僕たちはその試練がどのような内容なのか――というところまでは聞き及んでいない。
「うん。どうなのだろうか……。とはいっても、あのまま動かしちゃいけないとも言われているし……。ただ僕たちはその試練をクリアするかどうか、見守るしか無いのかもしれない」
動かしちゃいけないということ。それも頭に響く声から聴いたアドバイスのようなものだった。今から彼女は試練を受ける。けれど試練を受けている間はその身体を動かしてはいけない、ということ。正確に言えば知恵の木からその手を離してはいけない、ということらしい。理屈やシステムはよく解らないけれど、よく解らないなりに話を聞いて、従っているという感じだった。
メアリーの身体がゆっくりと反応を示したのは、ちょうどその時だった。
「メアリー!?」
僕たちはメアリーの反応を見て、急いで彼女のもとへと向かった。
メアリーは目を瞑っていたけれど、ゆっくりと目を開けて、僕とルーシーの顔を交互に見つめた。
「ふ、フル……それにルーシー……。あれからどれくらい経過したの?」
「たぶん、三十分も経過していないと思う。……メアリー、無事に戻ってきた、ということは……試練は成功したのかい?」
『ええ、その通りです』
再び、脳内に聞こえる声。
メアリーはその声を聴いて大きく頷いた。
「試練は終わった。……確かに、力を感じる。今なら、前よりももっと強い錬金術を使うことが出来る……と思う」
しかし、メアリーの表情は暗い。どうしてだろう? 無事に試練も乗り越えたはずなのに、どうしてメアリーの表情はまだ暗いままだったのか。
それを訊ねようとした、ちょうどそのタイミングだった。
メアリーが僕とルーシーの顔を再び交互に見て、大きく頷くと、
「フル、ルーシー。私、あなたたちに言いたいことがあるの。どうしても、今、伝えないといけないことなのだけれど……」
そう話を切り出して、一息。
言い澱んでいたけれど、ゆっくりと、メアリーは告げた。
「今回の敵、リュージュは……私の母親、よ」




