三
「とりあえず、しばらくおまえは『客』という扱いになる」
「しばらくって、どのくらいの間?」
「そうだな、おまえがこの森で働くという意思を固めるまでだな」
「……なるほど」
現在、俺はアシュレイに案内されて客室にいるのだが。
あの後、レスティオールとアシュレイと三人、母さんの話題で持ちきりだった。
例えば母さんが時々仕掛けてくる『嫌いな食べ物オンパレード』はこの森にいた頃からやっていたという話。
実は母さんが剣術の達人だということ。
レスティオールが母さんを妹のように思っていたということ。
アシュレイが、母さんを姉のように慕っていたということ。
そんな話で盛り上がって、気付けば支部長室の時計の短針が一周していた。ガチで十二時間、話し込んだ。母さんの話題だけでどんだけ盛り上がってんだ!
「一応聞くけどさ」
「何だ」
「俺がもし、この森で働きたくないって言ったら、俺は元の場所に帰れるのか?」
「……リショウはいちいち面倒なことを聞く」
アシュレイは少し呆れながら、窓のほうに目をやった。それにつられて、俺も窓のほうを見る。事務所の中腹に位置するこの部屋は、ちょうど樹で日の光が遮られて、いい感じに暗い。
「帰る方法は、ないこともない、と思うが」
「曖昧だな」
「そりゃあ、リショウの母親のように『樹の内部』へ干渉する方法はあるんだ。ただし、その方法を知っているのは、本当に一部の者だけなんだよ」
「一部って?」
「……おまえは知識欲が旺盛だな」
「気になることはすぐに聞くタチなんだ」
俺の質問攻めに、アシュレイは少々困ったように笑った。
「まあ、きっといいことだ」
それから、アシュレイは扉の近くの壁に寄りかかる。
「樹の内部へ干渉する方法を知っているのは、『本部』に勤める者だけだ」
「『本部』……そうか、レスティオールが支部長って言ってたもんな。ここは支部なのか」
「そう、ここは『西方支部』だ。組織の正式名称については、今は伏せておこう。そこはこれから少しずつ知っていくべきところだ」
そう言って、アシュレイは小さく笑う。
「働きたくないと言えば、帰れるかもしれない。しかしここで働いている者は、その術を知らない。働きたくないと言った者の行方も知らない。そもそも、働きたくないと言った者も知らない」
淡々とした調子で、アシュレイは続ける。
「だから私には、おまえの質問に応えられる知識がない。答えとしては不満だろうが、私にはこれ以上言えることがないんだ。許してくれ」
最後に、やっぱりまた少し困ったような顔で、アシュレイは笑った。
「……じゃあ、質問を変えるよ」
そう言ってアシュレイのほうを向くと、怪訝そうな眼差しが返ってくる。
「アシュレイはどうして、この森で働こうと思った?」
きょとん、と目を瞬くアシュレイ。彼女はそれから少し考えて、小さく笑った。
「この森は、この組織は、生き物を差別しないからな」
その理由に、俺は思わず眉をひそめる。
「どういう意味だ?」
「今にわかるさ。この組織は生き物を差別しない」
アシュレイはそう言うと、にっと笑って見せた。
「いきなり多くの情報を与えると、受け入れられるものも受け入れられんだろうからな。今日のところはこのくらいにしておく」
そう言いながら、アシュレイは寄りかかっていた壁から離れる。
「私は仕事があるからこれで失礼するよ。朝の時間になったら客室担当の者が起こしに来る手筈になっているから、安心して寝るといい」
「朝の、時間?」
妙な言い回しに首を傾げて見せると、アシュレイが頬を掻きながら口を開いた。
「ああ、言ってなかったな。この森は太陽が昇ったり沈んだりがないんだ。だから私たちは時間を決めて働いている。今は夜の時間だ」
そう言ってアシュレイが指差した時計は、九時を示している。
「もうそんな時間か」
家を出た七時半、森をさまよって八時半、話し込んで八時半、そして今に至る、か。とりあえず、時差はないみたいだ。
「それじゃあ、失礼する。ゆっくり休めよ、リショウ」
「ああ、おやすみ」
反射的に応えると、アシュレイはふっと笑って部屋を出て行った。扉の閉まる音を聞いてから、俺はベッドに寝転がった。
今日の出来事を、振り返ってみる。
朝、母さんの『嫌いな食べ物オンパレード』に遭う。占いで最下位。黒猫と出会う。
どこかもわからない森に放り出される。拾われる。話し込む。
……あれ、何か、忘れてる。
「修行、してねえや」
でも駄目だ。起き上がる気力もない。襲ってくる眠気に任せて、俺は意識を手放した。