二
真っ白な部屋の中で、白いソファに座らされている俺。隣には俺をここへ連れてきた張本人。そして目の前にいるのは、初登場の人物である。
「まずは自己紹介をしておこう」
そいつ……白くて長い髪をひとつに結い、白い着流しを着た男が、俺に向かって言う。
「俺の名はレスティオール。この事務所の支部長を務めている。ちなみにおまえを連れてきたそいつは……」
「アシュレイだ。そういえばまだ名乗っていなかったな。失礼なことをした」
隣に座っていた女が、帽子を取って軽く頭を下げた。
そこで初めて気付いたのだが、その女……アシュレイの顔の中央には、額から目の下にかけての大きな傷があった。どういう経緯でついたかはわからないが、かなり古い傷のようだ。だから帽子を目深にかぶっていたのか、と少し納得。
「いや、別に俺も気にしてなかったし、名乗ってなかったし」
手を振りながらそう言うと、俺の向かいでレスティオールが何かの書類を取り出した。
「シロサキ・リショウ、十七歳。父親の名はイツキ、母親の名はユイリ」
「なっ」
ずばり言い当てられた事実に、どくどくと鼓動が速くなる。何でこいつが、俺のことを知っているんだ。
「ここにあるのは、この事務所の人事部採用課『内部調査班』が見つけた人材情報」
レスティオールは俺を射抜くように見て、にやりと笑って見せた。
「おまえは来るべくしてここへ来たのだよ、リショウ」
「……どういう、ことだ」
できる限り冷静に、深く呼吸をして、俺はレスティオールを見つめ返した。
「いいね、いい目だ。確かに『あいつ』によく似ている」
にやりと、どこか楽しそうに笑って、レスティオールは続ける。
「答えよう。俺にはその義務がある」
そう言って、レスティオールは持っていた書類をテーブルに置いた。
「つまり俺たちが、おまえをこの森に呼んだんだ。シュバルツを導き手にして、な」
「……シュバルツ?」
「アルトのことだ。シュバルツを略してアルトと呼んでいる」
隣から、アシュレイが補足説明を挟む。……シュバルツって、どう略せばアルトになるんだ。
「人事部が厳選した人材を、俺が更に選んで、シュバルツが導き、連れてくる。それがこの事務所における人事」
そう言いながら、レスティオールはパラパラと書類をめくる。見たところ、履歴書に似たような書類だ。年齢、家族構成、簡単な経歴……などがまとめられている。
「つまり、おまえはこれからここで働くんだ。よかったな、就職できて」
「は……?」
思わず、目を瞬いた。目の前ではレスティオールが楽しそうににこにこと笑っている。隣を見ると、アシュレイはどこか呆れた様子でレスティオールを見ていた。
「レスティオール、それより先に言うべきことがあるはずだが」
「おっと、そうだな」
アシュレイの言葉に、レスティオールがぽんと手を叩く。
「全く、これだからレスティオールは飾り頭なんだ」
「飾り頭とか言うなよ! 傷つくぞ! ガラスのハートなんだからな!」
「嘘つけ。どうせガラスってあれだろ、鉄線が入ってて割れにくいやつだろ」
「ひどい!」
……うん、確かに敬うような相手じゃないらしい。二人のやりとりを微笑ましい気持ちで眺めながら、俺はそう実感した。
「まあ、気を取り直して」
レスティオールはそう言うと、ソファから立ち上がって窓の方へ向かう。
「この森について、必要最低限の情報を与えよう。俺にはその義務がある」
空色のカーテンを掴み、レスティオールは俺のほうを見ずに続ける。
「そしておまえはそこから、その目で、その耳で、その体をもってして、この森を知らなければならない。それがおまえの義務だ」
そして、レスティオールがカーテンを一気に引いた。広大な森を見下ろす景色。一体何本の樹があるのか、数えることもバカらしいくらい広大な森。
「この森に生えている樹は、それぞれが『世界』を宿している。例えばある樹の内側では海賊が海を往き、またある樹の内側では死神が組織を作る」
レスティオールはそう言いながら、ようやく俺のほうを振り返った。
「俺たちはその樹を『世界樹』と呼んでいる」
「世界樹……」
それは、あれじゃないのか。北欧神話だかに出てくる、樹じゃないのか。
「そしてここは、その『世界樹』が群生する場所。俺たちはこう呼ぶ」
俺の視線の先でレスティオールが、俺の後ろでアシュレイが、同時に口を開いた。
「「世界の外側、『世界樹の森』」」
頭の中が、揺れる。世界の外側、世界が群生する森、世界樹の森、ここは。
……俺は、この森の名前を、知っている?
『世界には外側があって、そこから見たらこの世界だってちっぽけなんだよ』
首を傾げた俺の頭を、がしがしと撫でる母さん。
『吏生にも、きっといつかわかるよ』
『そうかな……』
母さんの言うことは、当時の俺には難しかった。……いや、今の俺にすら、難しい。
『じゃあ吏生、ひとつだけ覚えておいてほしいことがあるんだ』
そう言って、母さんは再び洗濯物をたたみ始めた。
『世界の外側、『世界樹の森』。この言葉を、記憶の片隅においておきなさい』
ああ、思い出した。……母さんが、言ったんだ。
「リショウ?」
唐突に聞こえたレスティオールの声に、はっと我に返る。
「大丈夫か?」
怪訝そうな顔で、俺の顔を覗き込むアシュレイ。レスティオールも、きょとんとした顔で俺を見ている。
「あ、はい、大丈夫」
また思考がトリップしていた。……何だか、今日は朝からやたらと思考がトリップする日だ。何かの暗示なのか、違うのか。いや、単純に現実逃避か。
「聞いたことが、ある。世界の外側……『世界樹の森』」
「やっぱりな」
レスティオールはそう言うと、再び俺の正面に座った。
「おまえの母親、シロサキ・ユイリは、かつてこの組織に所属していた」
頭を殴られたような衝撃が、あったような。意外と、やっぱりそうだったのかと受け入れられる部分も、あったような。
母さんが『世界樹の森』という言葉を知っていたこと。
世界に外側があることを『知っている』と言ったこと。
そんな事実を踏まえて聞いたその情報は、俺の中で意外に早く処理されていった。
「……そうか」
「お、意外と受け入れが早いな」
意外そうに言うレスティオールに、俺はため息交じりに応える。
「母さんの人間性、母さんが言っていたこと……振り返ってみたら、あの人は俺のいたあの町……いや、あの世界との繋がりが極端に弱かった気がするんだ」
「なるほど。あいつは、あるやむを得ない事情であの世界に住むことになったからな。確かに世界との繋がりは弱いだろう」
どこか納得したように言うレスティオール。
「だが母さんの話と、俺がこの森に連れてこられた話とは別だ。母さんがこの森にいたからって、それだけの理由で俺がここに連れてこられたというのは納得できない」
極めて冷静に、俺はレスティオールへ異を唱える。すると彼は楽しそうに笑って、目の前にあったコーヒー牛乳を飲んだ。
「俺がお前を選んだ理由はな、リショウ。……ノリだ」
本人を目の前に失礼ではあるが、俺は思わず口に出して言ってしまった。
「……バカなのか?」