三
「止まれ、アルト」
凛とした、声。俺に襲い掛からんとしていた虎が、動きを止める。
「じゃれるのは後にしろ」
虎がおとなしく俺から離れていく。その動きを追って視線をめぐらせると、木の陰から人影が現れた。
「うちの部下が悪かったな。怪我はないか、少年」
ようやく全体像が見えたその人影は、黒尽くめの服に大きな剣を担いだ女。目深にかぶった黒い帽子からは、真っ白な髪が覗いている。が、顔つきからすると俺とそんなに変わらない歳だろう。
「怪我はない、です。大丈夫です」
立ち上がりながらそう言うと、その女はふっと息をついた。
「しかしながら、もう少しうまい方法はないのか」
「うまい方法?」
「ああいや、こっちの話だ」
そう言って、女は少し面倒くさそうに辺りを見回す。
「少しここで待っていてくれるか? 少し人を探してくる」
「人?」
聞き返すと、女はふっと笑って頷き、虎の背中を撫でた。
「アルト、そいつを頼む」
「にゃあ」
「ん?」
さっきブロック塀にいた黒猫と、同じ声。歩いていく女の背中を見送ってから、虎が俺のほうを向いた。
「……まさかとは思うが、さっきの黒猫って、おまえ……?」
虎に言葉は通じまい、とは思いながら、恐る恐る聞いてみる。
「にゃあ!」
「肯定したのか? 今の鳴き声は肯定なのか? なあ、おい!」
「にゃあ、にゃ~!」
「どっち!」
とりあえず、人間一人で置いていかれて寂しかったので、虎と話してみることにした。
突然わけのわからないところへ来た不安を紛らわせるとか、そういう心理があったのかもしれない。
「まさかおまえが俺をこの森に連れてきやがったのか?」
「に~」
「はぐらかした! おまえ今、絶対はぐらかしただろ!」
「うるさいぞ、少年」
いつの間にか戻ってきていたさっきの女の人に、怒られました。
「にゃあ」
随分と懐いているらしく、虎はすぐに女のほうへ寄っていく。女は虎の背中を撫でて、小さくため息をついた。
「ったく、あいつらは自由すぎる」
女はそう言うと、諦めたようにため息をついて、本当に面倒くさそうにポケットを探り始めた。
「少しそこにいろ、少年」
「え、はい」
何やらトランシーバーのようなものを取り出し、女は俺に背中を向ける。
「こちらアシュレイ」
『おう、こちらレスティオール。用件どうぞ』
「これから連れて行くぞ」
『マジで! わかった、用意して待っとく! なあ、確かコーヒー牛乳ってまだ』
ぶつん。かすかに漏れ聞こえた会話が、こんな感じ。……え、コーヒー牛乳?
「そういうわけだから、少年」
女がそう言った直後、先程の虎が俺を持ち上げて背中に乗せた。
「一緒に来てもらおうか」
「来てもらうって……どこに?」
「我々の事務所だ」
トランシーバーをしまいながら、女が歩き出す。その後に続いて、俺を乗せた虎も歩き出す。
「いや、ちょっと待ってくれ、ひとつだけ聞かせてくれ」
「何だ、少年」
振り返った女に、俺はこの森へ来た最初から抱いていた疑問を、投げかけた。
「ここは、一体どこなんだ?」
「……難しいことを聞くな、少年」
女は腕を組み、考えるようなそぶりを見せた。
「とりあえず、単純明快に、至極解りやすく説明するならば」
そう言って、女は俺を見た。
「ここは、世界の外側だ」
ぐらり、頭が揺れるような感覚がした。