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(旧作)ワールドアウト・ロストマン  作者: くつぎ
壱 ここは、世界の外側だ
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「いってきます」

「いってらっしゃい。遅くていいんだからね!」

「逆に早く帰ってきて洗濯物でもたたんどくから」

「あ、それ助かる」


 母さんに見送られながら、学校へ向かって歩き出す七時半。しばらく歩いてからふと振り返ると、反対方向に向かいながら同じように振り向いた父さんと、目が合った。


「吏生! 勉強がんばれよ~!」

「はいはい、そっちこそ仕事がんばってくれよ」


 ぶんぶんと手を振る父さんに手を振り返して、また正面を向く。


「あら吏生くん、いってらっしゃい」

「おはようございます、いってきます」


 いつもこの時間に犬の散歩をしている近所のおばさんにも挨拶。


「おはよう、おまえもいい子で過ごせよ~」


 犬にも挨拶。


「あらっ、吏生くんに言われたくないわよね?」

「……おばさん、それ俺がいい子じゃないってことですか」

「わんっ」

「肯定したのか? 今、俺がいい子じゃないってことを肯定したのか? おい犬コラ」

「こらこら、犬相手に本気にならないの。それじゃあね、吏生くん」


 おばさんと別れて、再び通学路を歩く。


「兄ちゃん、おはよう!」

「おう、おはよう! 慌てると転ぶぞ~?」

「転ばないもんね~!」

「転ぶわけないもんね~!」


 生意気な小学生のガキどもとすれ違う。ただし俺にもあんな頃があったんだと思うと、ガキどもという言い方も失礼か。これからは脳内でも子供たちと呼ぼう。

 これも日常。いつものこと。ずっと、そんなに変わらないはずの、毎日。



『中学の頃は、完全に反抗期だったんだよな』

『今は違うのか』

『反抗がガキくさい事に気付いた』

『大人か!』


 これはまた、学校で学友たちと話したこと。


『物心着いた頃から、父さんに修行させられて』

『修行って、何の?』

『武道? っていうのかな。空手よりはカンフーに近かったかもしれない』

『……おまえの親父さん、何者?』

『俺も知りたいな、そこは』


 父さんと母さんの過去を、俺はよく知らない。本人たちから昔のことを聞いたことはあるが、全部どこか胡散臭い感じがする。二人には兄弟もいないし、両親もいないし、親族と呼べるものは一人もいない。昔からの友人っていうのも、聞いたことがない。


『さすがに中学に入ると、父さんと一緒っていうのが恥ずかしくて』

『修行はいいんだ? 修行は恥ずかしくないんだ?』

『いや、だってあれはあれだから、生活の一部だから』

『いやいや、おかしいから、それはおかしいから』


 そんな話をしながら、中学の頃を思い出してみる。そうだ、ちょうど反抗期に入って、父さんと一緒に修行したくないとか言って、時間帯をずらすようになったんだ。


『だから最近は放課後に屋上で修行を』

『してんだ!? 屋上で修行してんだ、おまえ!?』

『何言ってんだ、当たり前だろ? 継続は力なり、だ』

『普通の高校生は生活の一部に『修行』なんて入れねえよ!』


 そこで初めて、俺は『修行』という日課の異常さに気付いたわけだが。


『でもまあ、そういえばおまえ体育の柔道の時、一人だけ競技が違うもんな』

『そういや構えがまずカンフーっぽいもんな』

『そんで先生にいろいろ突っ込まれるんだよね』

『仕方ないだろ、体に染み付いてんだから』


 そんな話をして盛り上がったのが、高二の最初の頃。そろそろ秋を迎える現在、俺と彼ら三人はいつもつるんでいるような気がする。



「そういや、最近父さんと手合わせしてないな……」


 ぽつり、不意に思ったことが口から出た。

 父さんは、口にこそ出さないものの寂しがり屋の部分があって、俺が中学の頃に『もう父さんと修行はしない!』と宣言した時、無言のままめちゃくちゃ泣いていたのを覚えている。まあ、母さんが慰めてたけど。


「……今週末は、久し振りに手合わせ願ってみるか」


 そう心に決めて、喜ぶだろう父さんの反応を想像して、思わず笑みがこぼれた。


「にゃあ」

「ん?」


 不意に、どこからか猫の鳴き声が聞こえる。視線を上げてみると、ブロック塀の上にいる黒猫と目が合った。


「縁起悪いな……」


 朝食の嫌いなものオンパレードと言い、最下位の占いと言い、黒猫と言い……。今日は何だ、悪いことでも起きるのか。それとも反動でいいことが起きるのか。


「あ」


 何がきっかけかわからないが、黒猫が突然駆け出した。反射的にそれを追いかけようとした途端、ぐらりと体が揺れる。どくりと、心臓が嫌な音を立てた。

 転ぶ? いや、転ぶなんてそんな、マヌケな感覚じゃない。

 足場がない、体を支える場所がない、掴むものがない、すがるものが、何も、ない。


「落ち」


 る。そんな短い言葉を言い切ることも出来ないまま、俺の身体は急速に落下を始めた。自由落下、重力加速度。そんなどうでもいい言葉が頭をよぎった直後、ぼふん、という音が俺を受け止めた。落下時間、およそ三秒。短かった。


「あれ」


 いつの間にか閉じていた目を開けると、天にまで届かんばかりの大きな樹が見えた。こんな巨木、通学路にあったっけ。そんなことを思いながら起き上がると、周りにも同じくらい大きな樹が大量に生えていた。


「……どこだ、ここ」


 うまく働かない頭で、周囲の状況を読み取ろうと試みる。


「……森?」


 巨大な樹が立ち並ぶ、森。通学路には明らかになかったはずの景色だ。


「えっと……これはいわゆる、神隠しというやつでは」


 状況を理解するほどに、理解できないことが増えていく。何で通学路からいきなり森に来るんだ、理解できない。そして何で俺のテンションがこんなに上がっているんだ、理解できない。


「とにかく、とにかく落ち着け、俺」


 目を閉じて、深呼吸を数回。それからもう一度そっと目を開けると、木の陰からこちらを覗く黒い虎と目が合った。……虎?


「ガルルルル……」


 狂暴そうな、明らかな肉食獣だ。ヤバイ、俺の命がヤバイ!


「ガウッ!」

「ひッ!」


 虎が地面を蹴り、小さく出た悲鳴、動けない。怖い、怖い、死にたくない!

 そんな思いの後ろで、ああ、デカイ口だな……なんて考えも一瞬よぎった。

 その一瞬が永遠にも思えて、周りも俺自身さえも、スローモーションにすら見えた。



 そのスローモーションに思えた一瞬の間に、いろいろと思ったことがある。



 例えば、俺の最後の晩餐が嫌いなものオンパレードってどういうことだよ、とか。

 例えば、そういや今日って体育あったのにジャージ忘れたな、とか。

 例えば、あれ、今日の食堂の目玉商品ってプリンじゃね? とか。

 あとは今朝会った近所の方々の顔と、今朝会えなかった学友たちの顔。

 最後に、両親の顔。


 大概、どうでもいいことだった。

 ……俺の人生って。



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