一
「吏生! 朝だよ、起きなさい!」
ずいぶん遠くから聞こえる、母さんの声。目をこすりながら体を起こして、カーテンを開ける。朝日が眩しい。目を瞬いてから欠伸をして、俺はベッドから降りた。
「……まだ眠い」
木曜日、時刻は六時過ぎ。一応高校生という肩書きを持つ俺は、今日も今日とて学校である。面倒くさい、なんて思いながら、寝間着であるジャージのままドアを開けた。
『リショウ』
カタカナで書かれた部屋のプレートが、ドアを閉めた拍子にカタカタと鳴る。階段を降りてダイニングに入ると、うまそうな匂いが漂ってきた。
「おはよう、母さん」
「おはよう、吏生」
「朝飯、何?」
朝の挨拶を済ませて、いつもの場所に着席。食卓を見ると、今日のメインはエビフライとカキフライだった。
「今日は吏生の嫌いなものオンパレードにしてみました☆」
「何てこった! 嫌がらせか? それとも克服しろってこと?」
「嫌がらせが九割八分かな」
漬物を出しながら、ものすごくいい笑顔を見せる母さん。
「一応聞くけど、残りの二分は?」
「遊び心です」
「優しさがねえな!」
突っ込んでから、溜め息をつく。仕方ない、マヨネーズまみれにして食ってやる。マヨネーズの味しかしないくらいに。
「あれ」
ふと、いつもなら正面にいるはずの顔が見当たらないことに気付いた。
「父さんは?」
母さんのほうを見ると、呆れたような顔でリビングを指差した。その指の先を追うと、ソファに座って一心不乱に新聞を読んでいる、と見せかけて完全に寝ている父さんの姿が目に入った。
「……起こしたほうがいいかな」
「別にいいんじゃない? そのうち起きるでしょ。さ、食べるよ~」
父さんを華麗にスルーして、もぐもぐとエビフライを食べ始める母さん。こういう時にいつも思うんだが、何故この二人は夫婦になったのだろう。気になる。
「あ、吏生。今日の帰りは早いの? 遅いの?」
「早く帰るけど」
「え~……ちょっと八時くらいまで何とか居残りしてきなよ」
「長いな! 何でわざわざそんな時間まで」
「だって母さん、今日は一人カラオケに行ってくる予定なんだもの」
「フリーダムか」
「いや、フリータイム」
「似てるけども!」
うん、こういう時にもいつも思うんだが、俺の母さんは本当に人の親として大丈夫なんだろうか。若干心配になる。……まあ、おかげで俺が比較的しっかりするわけだよ。
「うおっ! 寝てた!」
「おはよう父さん、先に食べてるよ」
「ひでえな!」
ようやく目を覚まし、母さんに対するツッコミも忘れずに、父さんが俺の目の前に着席した。
「吏生も起こしてくれねえとかひどすぎる」
「母さんが起こさなくていいって言ったから」
「おい母さん、てめえ」
「ごめんね、父さん。今晩カレーにするから許して」
「やった、母さん愛してる!」
……まあ、何といえばいいのか、うちの両親はこういう感じだ。これ以上でも以下でもないくらい、こんな感じだ。
さて、テレビで占いをチェックする七時前。
「お、今日は山羊座の運勢がいいぞ、母さん」
「よかったね」
「おう! ……いや、おまえもだろ」
「あ、そっか」
何気に誕生日が同じな両親は、二人そろって山羊座である。
「吏生は最下位だな」
「何てこった!」
ちなみに一人だけ正反対の季節に生まれた俺は蟹座だ。誕生日は……まあ、言いはしまい。そこは個人情報というやつだ。
「あ、七時だ。着替えてくる」
「おう、俺も着替えないとな」
それから、学校へ行く準備をする俺と、仕事へ行く準備をする父さん、家事を始める母さんという具合で解散。
「あ~……縁起悪い」
朝食の嫌いなものオンパレードと言い、最下位の占いと言い。ユウウツだ。そんなことを思いながら、いつもの制服に着替える。夏休みが明けてしばらくの現在、制服は黒いズボンに半袖のカッターシャツだ。
再び階段を降りていくと、洗濯機置き場から洗濯カゴを抱えて出てくる母さんと鉢合わせた。
「手伝おうか?」
「いいよ、大丈夫。それより忘れ物ないね?」
「大丈夫、確認した」
「ならよし」
にこりと母さんが笑う。それにつられて、俺も笑う。
「母さん、手伝おうか?」
俺がソファに腰を下ろした頃、ようやく準備を終えた父さんも母さんに声をかけた。
「いいよ、大丈夫。それより忘れ物ない?」
母さんは俺に言ったのと同じことを父さんにも言う。父さんはポケットを探り、カバンを探り、あ、と声を漏らした。
「ケータイ、忘れた」
「ちゃんと持っておいで」
「は~い」
そんな二人の姿を見て、思わず顔が緩む。
ここでひとつ、少し前に学校で友達と話したことを思い出す。
議題は家族のこと。同い年の学友たちは、大概のやつが反抗期のど真ん中だ。
『うちの母親、勝手に俺の部屋に入って掃除とかするんだぜ? マジあり得ねー』
『俺の部屋なんか、知らないうちに床とかまっさらだぞ。絶対あのマンガ捨てられた』
『大変だね。その点、俺は自分でちゃんとしてるから大丈夫』
その場にいた俺以外の三人は、それぞれそんなことを言った。
『おまえは真面目だもんな……あ、吏生は?』
『俺?』
家での、家族とのあり方を考えて見る。
部屋の掃除は、自分でするよう言われているし、勝手に入られたこともない。
洗濯物は、洗濯してほしいときに洗濯カゴに出すよう言われている。
『特に不自由はしてねえな、今は』
『今はって、前は何かあったのかよ?』
『まあ、な』
「吏生、そろそろ出るぞ?」
「ん、わかった」
いつの間にかトリップしていた思考を戻し、ソファから腰を上げる。アイドルのニューシングル発売を伝えていたテレビを消して、カバンを持った。
「父さん、ケータイ持った?」
「おう、持った!」
にっと笑ってケータイを見せる父さんに、よし、と俺も笑って見せた。
これが、我が家における日常。