二
『吏生はさ、どうしてケンカするの?』
それは、ここへ来るつい前日くらいの、学友との会話で出てきた話題。
『どうしてって?』
『この町で最強と呼ばれたいの? それとも実はケンカと見せかけて不良に取り付いた邪悪な何者かと戦ってるの?』
『俺は厨二病か』
別にそんな面白い設定なんて求めてない。
『違うの?』
『違う』
『じゃあ何? 実はどこかの組織の依頼とか?』
『俺を裏社会の人みたいに言うな』
妙なボケをかます学友にツッコミを入れてから、考えてみた。
俺はどうしてケンカをするのか。
別に、破壊願望があるわけじゃない。不良たちに恨みがあるわけでもない。両親から愛情を受けなかったわけもないし、社会に反旗を翻したいとも思わない。
……じゃあ、何で?
『じゃあ、――』
……あ。
『思い出した』
『忘れてたんだね』
『おう。でもちゃんと思い出したぞ』
ケンカする理由。
『俺はさ、父さんに勝ちたいんだ』
『親父さん?』
『ああ。約束したんだよ、昔』
時はさかのぼって、あれは確か俺が小学生だった頃のこと。
『父さんの持ってるナイフがほしい』
『……あ?』
唐突な俺の言葉に、父さんはきょとんとか、ぽかんとか、そんな顔をした。
『これか?』
『うん』
それって言うのは、ちょうど父さんが愛情込めて磨いていたナイフ。見つかれば銃刀法違反で捕まるんじゃないかってくらいの、ほとんどダガーくらいのナイフだ。
『これは駄目だ。危ないからな』
『ケチ』
『誰がケチだ』
諦め悪く父さんのナイフを見つめる俺に、父さんは小さくため息をついた。
『じゃあ、おまえが俺に勝てたら、やるよ』
苦笑を漏らしながら、父さんが言った。俺はその瞬間に嬉しくなって、その場で飛び跳ねるくらいの勢いで。
『本当か!? 絶対だからな!?』
『男に二言はねえよ』
『約束な!』
『ああ、約束だ』
父さんはそう言って、楽しそうに笑った。
『……みたいな』
『物騒な理由だね。しかもそれを忘れてたってどうなの』
『不思議な話だよなー』
『吏生ってやっぱりバカなんだね』
『何だとこのやろう。否定できねえけど』
真正面からバカってひどい。そう思いながらじっと睨んだら、その学友は少し呆れたように笑った。
『でも忘れてたってことは、今はもうさほどほしくないんだね』
『まあ、そうだな。正直、あのナイフもらったところで使い道なんてないし』
『じゃあ、多分今は別の理由なんじゃない?』
『そうだな……』
確かに。忘れてしまった上に、たいしてほしくもないナイフのために強くなろうとしていたとは思えない。何か別の理由、別の理由。
この町で一番強くなりたい? そんなことで有名になったら面倒なだけだ。
父さんを倒したい? いや、そんなことは一度も思ったことがない。
ストレス発散? いやいや、ストレスがたまるような生活はしていない。
『……ない、かもしれない』
最終的な答えは、それだった。
『ないの?』
『うん』
『……理由もなくケンカしてるってこと?』
『そうなるかな……』
その時、学友に「こいつ本気で将来心配なんだけど」みたいな顔をされたのを、今でもすごく鮮明に思い出せる。……まあ、まだ一ヶ月も経ってないし。
でも、今は。……今ケンカするのは、フェンリルの憎しみを受け止めるためだ。
「ムカつく。おまえの顔を見ていると、あの男を思い出して気分が悪い」
口元を伝う血を乱暴に拭いながら、フェンリルは言う。お互いに結構傷だらけで、ボロボロになって、でもまだ勝負はつかなくて。
「おまえのニオイを嗅ぐと、あいつのことを思い出してココロが痛い」
そう言って、フェンリルはわずかに顔をしかめた。その一瞬、俺がフェンリルの表情の変化に反応した一瞬。地面を蹴ったフェンリルが、俺の胸倉につかみかかった。
「だから俺はおまえが嫌いだ!」
勢いそのままに、背中から地面に倒れ込んだ。何とか頭は打たずに済んだけれど、状況としてはまずい。俺を見下ろしているフェンリルはまだ、俺の胸倉から手を放さない。
「おまえはエルドとあの男の息子なんだろ?」
エルド。その名前を俺は知らなかったけれど、母さんのことだというのはわかった。
「……ああ、そうだよ」
目の前のフェンリルは、俺と同じ顔をしたフェンリルは、そのくせ俺より剣呑な目つきで俺を見る。そこに見えるのは嫌悪、憎悪、と?
「――何で」
小さな声の後、フェンリルが俺の胸倉をつかんだまま、倒れ込むように、すがりつくように、俺の胸に顔をうずめた。……いや、俺、男に抱き付かれる趣味はないぜ?
「何で、おまえがここにいるのに」
フェンリルの肩が震えている。
「俺が会いたいのは、おまえじゃなくて、おまえなんかじゃなくて」
ああ、そうか。さっき見えたのは、憎悪、嫌悪、と……きっと、孤独。
「エルド」
まるで、心から愛しいみたいに、フェンリルは呟いた。それから、俺の胸倉をつかんだままで、俺の胸に顔をうずめたままで、しばらく泣いていた。
その時、知った。フェンリルは母さんを憎んでいたわけじゃないって。
「大切、だったんだな」
フェンリルがその問いかけに応えることはなかったけれど、沈黙は肯定だと思うことにした。
まあ、あれだ。フェンリルの憎しみ全部受け止めるつもりで来たけれど、結局受け止めたのは憎しみじゃなくて、寂しさだったわけだ。