一
世界の外側、世界樹の森。俺はそうは思わない。
世界樹に宿る全ての世界が、この森に収束して、息づいていく。
……この森は、世界を繋ぐ世界だと、俺は思うんだ。
「おまえは変わったやつだな」
フェンリルとの決闘の前日、俺は支部長室でレスティオールとコーヒー牛乳を飲んでいた。レスティオール直々の個人面接、というやつらしい。
「この森にいるやつらは、基本的にこの森を『世界の外側』と認識している。俺もそうだし、アシュレイやライディアスも……エルディリカも」
ショートケーキを一口食べて、レスティオールは言った。
「誰も、ここを『世界』とは呼ばない。あの樹の中に『世界』があるとするなら、この森は『外側』でしかないからだ」
「……俺は、そうは思わない」
面接中、やたら『世界の外側』を強調するレスティオールに、俺はそう言った。それをもう一度繰り返した。
「どうして?」
笑みを浮かべながら、レスティオールが理由を尋ねてくる。俺はコーヒー牛乳が入ったマグカップを置いて、口を開いた。
「そこに『何か』が存在するなら、そこは世界だと思う」
例えば極端な話、俺がたった一人で、地面も空も見当たらない真っ白な空間がそこにあったとする。俺はおそらくそこを『真っ白で何もない世界』と言う。
例えば、人類が滅亡した後の地球を考えてみる。そこに人類はいなくて、けれどきっと空があって、大地がある。俺はおそらくそこを『人のいない世界』と呼ぶ。
「だから俺はこの森を、『世界の外側の世界』と呼ぶんだ」
そう言うと、レスティオールは何か考え込むように腕を組んだ。俺はその姿を見守りながら、もう一度コーヒー牛乳を飲む。
「難しいな」
レスティオールはそう言いながら、苦笑した。
「俺もそう思う」
それに笑みを返しながら、俺はそう言った。
「本当はずっと迷ってるんだ。ここを『世界』と呼ぶべきかどうかって」
「迷ってる?」
「ああ。だってここを『世界』と呼ぶなら、俺は完全に別の世界に来てしまったってことを認めなきゃいけなくなる。だけどここを『世界』と呼ばないなら、それはこの森にある全ての命を否定することになる」
ずっとどっちつかず。俺はまだ、両親がいて学友たちがいるあの世界に帰れることを信じたい。けれど俺は、ここで生きているフェンリルやレスティオールの命を否定なんてしたくない。
「……ずっと、迷ってる」
俺という存在は今、どこに属しているんだろう。
まだ両親や学友たちのいるあの世界と繋がっているのか、それとも既に切り離されているのか。この『外側』の世界に繋がってしまったのか、それともまだこの世界から浮いた存在なのか。
「そうか。……きっと、俺もだ」
レスティオールはそう言って、また苦笑した。
「レイシャル」
「何だ、リショウ」
「レイシャルは、この森のことをどう思ってる?」
「……は?」
きょとん、とレイシャルが目を瞬いた。
「この森を『世界の外側』だと思ってる? それとも『世界』だと思ってる?」
「……何だよ、その難しい質問」
少し呆れたようにため息をついてから、レイシャルは腕を組んで考え込む。
「深く考えたことはねえな」
「そうなのか」
「まあ、あれだ。俺は『世界』なんていう言葉の意味はよく知らないが……樹の中にあるのが『世界』だってんなら、ここは『外側』なんだと思うぜ?」
「そっか」
レイシャルも、レスティオールと同じ考え方ということか。
「だがな」
ふと、レイシャルが言葉を続ける。
「あの樹の中に『世界』があるんじゃなくて、あの樹がただどこかの『世界』と繋がっているだけのものだとしたら、ここは『世界を繋ぐ世界』なんだろうな」
それは、俺とは違う考えだけれど。それでも、俺の他にもここを『世界』と考える奴がいるんだと知った。
「……そっか!」
嬉しくて、思わず笑った。レイシャルは怪訝そうに首を傾げたけど、気にしない。
「今日もレイシャルの料理はうまいな」
そう言ったら、レイシャルはますます首を傾げた。
そうして、翌日。
「私はついていかないが、くれぐれも無茶をするなよ」
「わかってるよ」
「リショウを頼んだぞ、ウィルメイ」
「わかった」
アシュレイがウィルメイの頭を撫でる。ウィルメイは一度そっと目を閉じてから、俺に向き直った。
「行ける? リショウ」
「ああ、行こう」
俺も同じようにウィルメイの頭を撫でて、背中に飛び乗った。
「じゃあ、行ってくる」
「リショウ」
不意に、アシュレイが俺を呼んだ。首を傾げると、アシュレイは小さく微笑んだ。
「信じているからな」
おまえなら勝てると信じている。……違うな、おまえなら生きて帰ってくると信じている、かな。どちらにせよ、俺はいつの間にかアシュレイに信頼されていたようだ。
「……おう」
アシュレイに笑みを返してから、ウィルメイに合図を送る。ばさりと翼が動き、地面が離れていく。
「落ちないでね」
「おまえが落とさなけりゃ落ちねえよ」
「そうだね」
急激に風が強くなる。後ろを振り向くと、事務所の建物が一瞬で小さくなった。
フェンリルは、砂時計の傍らに座っていた。いつもの灰色の狼の姿じゃなく、俺と同じ顔の人の姿で。
「時間ちょうどだ」
俺を見たフェンリルが、にやりと笑ってそう言った。砂時計を見ると、砂は全て落ちている。フェンリルの口振りからすると、俺が来たのと同時に砂が全て落ちたらしい。
「逃げずに来たな」
楽しそうに笑ったまま、フェンリルはそう言って立ち上がった。俺も、あんな風に笑っているんだろうか。二週間前はあんなに怖かったのに、今は楽しみで仕方ない。
「当たり前だ」
そう言ったら、フェンリルは笑みを深めた。
地面を蹴ったのは、同時。