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(旧作)ワールドアウト・ロストマン  作者: くつぎ
漆 うん、いってらっしゃい
27/39

 懐かしい夢を見た。

 いや、懐かしいなんて言っても、それはたった数日前の日常のこと。



『吏生、朝だよ、起きなさい』


 聞き慣れた母さんの声で目を開ければ、見慣れた自分の部屋の天井。起き上がって辺りを見回せば、やっぱりそこは見慣れた俺の部屋。


「母さん……?」


 ベッドから降りて、部屋を出る。カタカナで『リショウ』と書かれたプレートが、ドアを閉めた拍子にカタカタと鳴る。その音に振り向いて部屋のドアを見ると、霞むように消えていった。

 階段を降りると、ダイニングに並ぶ朝食。トーストに、スクランブルエッグに、ソーセージ、グリーンサラダ。それと、牛乳。


「おはよう、母さん」

『おはよう、吏生』


 毎朝のやりとりをしてからリビングを見ると、ソファに座って一心不乱に新聞を読んでいると見せかけて、すやすやと眠っている父さんの姿が見えた。ため息ひとつ、俺はリビングにいる父さんに近づいて、肩をゆすった。


「父さん、朝飯」

『んあ、おう、吏生。おはよう』

「うん、おはよう」


 父さんが起きたのを確認してから、ダイニングへ向かう。父さんは欠伸をひとつしてから、新聞を置いて俺に続いた。


「今日の朝飯は洋食なんだな。珍しい」

『そうだね。気分』

「気分かよ」


 母さんは相変わらずマイペースだ。


『それに、吏生は洋食の方が好きでしょう』

「ああ、そっか……うん」


 笑顔の母さんに頷いてから、目の前の朝食に手を合わせた。


「いただきます」

『どうぞ』



 朝食の後。部屋へ戻ろうとして、階段が消えていることに気付いた。


『吏生、そろそろ出る時間だよ』

「あ、うん」


 母さんに言われるまま、着の身着のまま、カバンも持たずに玄関へ向かった。


『お、もう出る時間か?』

「うん」


 途中で声をかけてきた父さんに頷いて、玄関で靴を履く。


「じゃあ、いってきます」

『うん、いってらっしゃい』

『気をつけろよ』


 振り返れば、母さんと父さんが二人で、俺に向かって笑っていた。それに笑顔を返してから、玄関を出る。少しだけ歩いて振り返ると、家が忽然と消えていた。



 それから、いつも通りの道を歩く。

 途中で、犬を連れたおばさんに会った。いつも通りに挨拶をして、いつも通りに犬を撫でて、別れて歩き出す。振り向いたら、おばさんの背中はもう見えなかった。

 途中で、元気に走る小学生二人に会った。いつも通りに挨拶をして、転ぶなよと注意して、転ばないと断言されて、そのまますれ違う。振り向いたら、誰もいなかった。



『おはよう、吏生』

『おっす、吏生』

『よー、吏生』

「おはよう」


 教室に着けば、いつも通りの学友たち。自分の席には目もくれずに、学友たちのたむろしている教室の隅へ直行した。


「一時間目、何だっけ」

『数学だよ』

「げ、寝てようかな」


 数学は嫌いだ。


『ところで吏生、職員室は行かないの? 日直じゃなかった?』

「ああ、そっか。じゃあ行ってくる」

『いってらー』

『あ、ついでに自販機でフルーツオレ』

「てめえで買え」


 いつも通りのやりとりをして、教室を出る。教室の扉を閉めてから振り向くと、もうそこに扉はなかった。



「……ああ、そういうことかよ」


 目の前にいるのは、黒猫。あの日、俺をあの日常から切り離した、黒猫。申し訳なさそうな顔で俺を見て、耳も尻尾も垂れ下がっている、黒猫。


「ありがとな。あいつらに、両親に、会えて嬉しかった」


 その場にしゃがんで、黒猫の頭を何度か撫でてやってから、立ち上がる。


「帰ろうぜ、シュバルツ」


 そう言うと、にゃあ、と小さな鳴き声がした。次の瞬間には、校舎も消えていた。



 目が覚めたら、相変わらず白い天井だった。ひとつ欠伸をして、目をこすりながら起き上がる。


「……ん?」


 ふと、指に湿り気を感じた。目を開けて指を見ると、濡れている。……濡れている?


「ああ……そっか」


 もう一度、目元に手をやってみる。やっぱり濡れている。どうやら俺は、さっきの夢で泣いたらしい。


「ガキかっつうの……」


 自分で、自分に呆れた。



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