二
「いってええ!」
「黙れ、うるさい」
結果は、散々。やっぱり久し振りに本気で戦闘となると、身体が鈍っていたらしい。いや、それは言い訳だ。アシュレイは、俺よりずっと強い。
「しかし、おまえは思った以上にできるな」
「そうか? そう言われると、お世辞でもうれしい」
「おまえ、私がお世辞なんて言うと思うか?」
「……あんまり思わないかな」
傷の応急処置をしてもらいながら、そんな会話をする。
しかしまあ、久し振りにこんな怪我をした気がする。何せ樹の天辺から落ちてもほぼ無傷だったからな! あれ、自分で言っておいて悲しくなってきた。
「こんなものだろう」
「ありがとう、アシュレイ」
アシュレイの応急処置は、的確だった。手馴れているというか、よく部下が怪我するんだろうか、と思った。
「とりあえず、少々荒削りすぎるな。力技ばかりというか」
救急箱を閉じながら言うアシュレイ。俺は腕にいたるところにある絆創膏や包帯などにめぐらせていた視線を、アシュレイに移した。
「だがまあ、全体を通せば悪くない」
どうやら本気で褒められているらしい。何か、かなり嬉しい。小学生の頃、テストで初めて百点を取って褒められた時並に嬉しい。
「おまえはもっと強くなるぞ。私が保証する」
ふっと微笑むアシュレイ。嬉しくなって、俺もつられて笑った。
「……なあ」
「かああああつ!」
「いてえ!」
昼食を挟んで、現在。座禅を組む俺の背後には、ハリセンを持ったアシュレイがいる。
「黙って集中しろ。おまえに足りないのは精神修行だ」
「こんなんしたことねえし」
「かああああつ!」
「い、痛い! ごめんなさい!」
逆らえない。俺は内心だけでため息をついて、目を閉じた。
精神の集中なんて、やったことがない。父さんとの修行も、一人でやっていた修行も、全部実技だった。集中なんかしなくても大抵の敵には勝てたし、ケンカ中ずっと、今日の晩飯は何だろうとか考えていた気もする。
だけど、そういえば。
『父さん?』
『吏生、静かに』
父さんに声をかけた俺に、母さんがこそこそと言った。
『今、父さんは精神統一の途中だから』
そう言って、母さんは笑った。俺は当時中学生で……そうだ。
父さんも、精神統一、やってたな。
そんなことを考えたら、何となく心が落ち着いてきて、何となく、呼吸の回数まで少なくなってきたような感じがして。
鼻が鳴った。
「寝てんじゃねえ!」
「いてえ!」
頭をはたかれて、はっと目が覚めた。どうやら、普通に就寝するところだったらしい。精神の集中って難しいな。
「おまえは根本的にいろいろ間違っている。何も考えるな」
「そう言われてもほら、俺って常に何かしら考えて生きてるから」
「どうせくだらないことばっかりだろ。晩御飯はハンバーグがいいな、とか」
「いや、今日はミートソーススパゲティがいいなって」
「……もう一発、殴っておこうか」
精神統一の修行が終わった頃、俺の頭はたんこぶだらけだった。痛い。
夕食には、本当にミートソーススパゲティを頼んだ。レイシャルの料理はうまい。
「精神の集中って難しいな、レイシャル。どうすればいいと思う?」
「俺にそんな相談をされてもな……」
確かに、俺はリスに何の相談をしているんだろう。
「まあ、あれだな。死と隣り合わせだと思えば集中できるんじゃねえのか」
「死!?」
「俺はいつでも『これを乗り越えられなければ俺は死ぬ』と思いながら行動している」
「レイシャルって意外と大変なんだな……」
こいつはいつもそんな極限状態で料理や洗濯をしてくれていたのか……今度からもっと労わろう。
「でも命の危機とかになると、逆に焦って集中が乱れる気がする」
うん、多分。シュバルツに襲われて死ぬかもと思った時、確か俺、大概どうでもいいことばかりの妙な走馬灯を見た気がする。
……もはや死ぬことにすら集中できてねえし。
「じゃあ、あれだ。おまえはあれだよ、集中することに向いてない。諦めろ」
「投げ出された!」
ひどいな、レイシャル!
「大体おまえ、失礼にも程があんだろ。ケンカ中に別のこと考えるなよ」
呆れたように言って、レイシャルは俺にスプーンを突きつけた。
「おまえ、あの狼と戦うんだろ? あいつの憎しみ全部受け止めんだろ?」
そう言って、呆れたように俺の頭をスプーンで叩く。痛い。
「だったらちゃんと、あいつのことだけ考えて、真剣に受け止めてやれよ」
……ああ、そうか。納得した。
俺のすべき集中っていうのは、ケンカ相手に対する集中、なのか。そういえばアシュレイと修行したときも、途中で何か余計なこととか考えた気がする。今日の昼飯は何にしようかな、とか。
「レイシャル」
「何だ、リショウ」
「わかった気がする。ありがとう」
「お、おう? 役に立てたならよかったぜ?」
きょとんとしているレイシャルに笑顔を向けてから、スパゲティを食らう。うん、やっぱりレイシャルの料理はうまい。
夜の時間、寝る前にベッドに座り込んで、考えてみた。
ケンカ中に集中すべき点については、レイシャルの言うとおりなのだろう。俺はケンカ相手に対してもっと集中すべきだ。確かに今まで相手に対して失礼すぎた。これまで修行と称して倒してきた不良の皆さん、ごめんなさい。
「でも、じゃあ……座禅の時は何に集中すればいいんだ?」
……あれ、根本的な解決に至ってなかった。
「強くなるのって、難しいんだな……」
寝転んで、天井を見つめてみる。分厚いカーテンが外の光を遮っているおかげで、本来白いはずの天井はうっすら黒い。
「南にある支部は、建物の内装も赤いのかな……北は全部真っ黒なのかな……怖っ」
くだらない考え事を口に出してから、布団にもぐって目を閉じる。
「本部って金色なんだっけ……うわ、それ考えたら西って一番まともじゃね?」
寝ることにすら集中できてない自分がいる。集中ってなんて難しいんだ。レイシャルの言うとおり、俺って本当に集中することに向いてないのか。
「俺、マジで今まで何にも集中してこなかったのか……?」
何だ、その人生。確実にいろんなことを無駄にしている気がする。切実に。
ああ、勉強に集中しておけばもうちょっと好成績だったかもしれない。修行に集中しておけばもうちょっと強くなれていたかもしれない。部活に入って練習に集中しておけば、もうちょっといい青春を過ごせていたかもしれない。
「……今更、だな」
もはや考えることも飽きて、俺はひとつ欠伸をした。