二
それからまた、森をさまよってしばらく。
「そういえば」
ふと、昨日のこと、この森に最初に辿り着いた時のことを思い出す。あの時のシュバルツは怖かった。……じゃなくて。
「さっきのヘビと言い、森にちょこちょこいるあの生き物たちは、何者?」
今もまた目が合った、白い鹿。かける、四。
「元々この森にいる生き物のようではあるが、何者かは私たちもよく知らない。研究部のほうで研究されているが、あまり成果は出ないな」
そう言いながら、アシュレイは鹿と目を合わせることなく進んでいく。
「こちらから危害を与えさえしなければ、特に危険はない。少々気にしつつ、あまり気にするな」
「どっちだ」
俺のツッコミは特に拾われることもなく、シュバルツが少々哀れそうに俺を見ただけ。
「……そんな目で俺を見るな」
「にゃあ」
「そういえば、おまえは喋らないよな」
「そうだな」
一瞬シュバルツからの返事かと思ったら、アシュレイだった。
「そこについては我々全員、前々から疑問に思っていたところだ。しかしまあ、アルトは私たちの言葉を理解しているし、コミュニケーションが取れないわけではないから、今のところ不自由はしてないが」
どうやら、この森のことはまだ謎が多いみたいだ。組織の方々も、森について全てを知っているわけではない、ということがわかった。
「元々アルトは、事務所の近くで怪我をして倒れていたので、レスティオールが保護したそうだ。まあ、随分と昔の話らしいが」
「そうなのか」
「ああ」
そこで、浮かぶ疑問がひとつ。
「……でも、シュバルツは黒いよな」
「黒いな」
あれ、聞き方がまずかっただろうか。
「他の生き物は白いのに、何でシュバルツは黒いんですか?」
そう尋ねると、アシュレイは少し面倒そうに頭を掻いた。
「……知識欲が旺盛というのは、面倒だな」
「ひどいな! 正面切ってそんなこと言うなんて、ひどいな! 傷つくわ!」
思わず涙目になって言うと、アシュレイが噴出したのが聞こえた。
「冗談だよ、泣くな」
どこか楽しそうに笑いながら振り返ったアシュレイに、とりあえずむくれて見せた。
「どういうわけかはわからないが、北の森の生き物は黒く、西の森の生き物は白く、南の森の生き物は赤く、東の森の生き物は緑になる」
「なんか、四神みたいな感じだな」
北の玄武、西の白虎、南の朱雀に東の青竜。青竜の青っていうのは、元々は緑色の意味だと何かで読んだ記憶がある。
「だからアルトは北の森から来たんじゃないかと推測されている」
「なるほど」
北の森で真っ黒になった生き物、というわけか。だからここまで真っ黒なのか、などと妙に納得。
「ちなみに本部周辺は金色だな」
「ゴージャスだな」
金色と言うと、麒麟というイメージになるのかな。それとも、黄竜というやつか。
「だから西方支部の人間たちは全員白い髪になるし、ヒト以外の生き物も白くなる」
「白くなるのか」
「しかしアルトは白くなる気配がないな。森にいることで色が変わっていくのか、それとも生まれた場所によって色が違うのか。その辺りも、研究部が研究中だ」
「そうなのか」
シュバルツが白くなったら、リアルな白虎の誕生になるのに。カッコいいだろうに。
……でも待てよ、シュバルツが白くなった場合、名前が浮く。だってシュバルツというのは黒という意味じゃないか。やっぱりシュバルツは黒くないと。
「奇遇だな、私もそう思う。『シュバルツ』が白いなんて、シロという名がついた黒猫のようなものだからな」
「か、勝手に人の心を読まないでください!」
「……口に出ていたが」
俺のバカ!
「まあ、私も元は白ではなくて、灰色の髪だったんだ。だからこの森で『アシュレイ』という名がついた。いつの間にか、こんなに真っ白になってしまったが」
アシュレイはそう言いながら、帽子の隙間から出ている髪をつまんで見せた。
「リショウもしばらく森にいれば、いつの間にか真っ白になる」
「それは……恐ろしいな」
父さん、母さん。俺、二人より先に白髪になるみたいです。
「それで話はアルトに戻るが」
アシュレイはそう言って、シュバルツのほうを向く。
「我々は、アルトも元々この森に住んでいた生物だと考えている。樹の内部への干渉方法を知っているから」
「そういえば、そうか」
シュバルツは、確かにあの時、あの世界にいた。俺の目の前に、小さな黒猫の姿で現れた。そのシュバルツに導かれて、俺はこの森に来たのだから。
「アルトが我々と同じように話すことができれば、この森の謎も明らかになるのだろうが……惜しいことだな」
そう言いながら、シュバルツの頭を撫でるアシュレイ。シュバルツは少しだけ申し訳なさそうな顔をしながら、にゃあ、と小さく鳴いた。
「ちなみにだが」
思い出したように、アシュレイが俺のほうを見た。
「本部の者が樹の内部への干渉方法を知っているのは、本部長ご本人が元々この森にいた生き物だからだというもっぱらの噂だ」
「噂なのか」
トップについての話すら『噂』だなんて……この組織の巨大さを感じた。
とりあえず、確かにこちらから何か仕掛けない限り、森の生き物たちも特に何もしてこないということがわかってきたので、少しずつ恐怖心も和らいできた。……とはいえ、まだ怖いと言えば怖いのだが。
「そういえばさっき、この森で『アシュレイ』という名前がついたって言ったよな」
「ああ、言ったな」
「この組織の方々の名前っていうのは、この森に来てからついた名前、ってこと?」
「そうだな。基本的に、西方支部の者たちの名前はレスティオールがつけている」
「へえ」
今まで聞いた名前を考えてみた。アシュレイ、ディルアート、ザルディオグ。いまひとつ由来がわからない。……髪が灰色だからアシュレイ……も、よくわからない。
「この森で新しい名前がつく理由としては、世界からの切り離しということだな」
「切り離し?」
「名前というのは、世界と生命を繋ぐ最大の鎖なんだそうだ」
「あ~……何となく、わかるかも」
世界で、名前というものが重要視される意味。生まれた命を世界に繋ぎ止めるための、一番大切な鎖。なんか、納得した。
「だからその鎖を断ち切ることで世界から切り離し、この森に繋ぐために新しい名前をつける。そういう考え方、らしい」
「なら、俺がこの森で働くと決めたら、レスティオールが俺に新しい名前をつけるのか」
……どんな名前になるんだろうな……変な名前だったら、俺、働くって決めたのをすぐさま撤回するかもしれない。
「新しい名前がついた時、元の名前はどうなるんだ?」
「そうだな……忘れさせられるというか、何と言うか。
……なかったことになるな」
アシュレイの口からさらりと出てきた言葉が、俺の胸にはやけに重く響いた。
俺に『吏生』という名前をくれた両親の顔が浮かんで、にじんだ。
「それは……嫌だな」
小さく呟いた言葉は、アシュレイには届かなかった。