一
さて、あれから時間は少し経ち、午後の現在。俺はアシュレイに連れられて、虎ことアルト、もといシュバルツと共に森をさまよっています。
「何か質問があったら言ってくれ。何でも答えられるわけではないが」
「……おお」
えっと、何でこういう状況になったんだっけ。
『午後は森の見学だ』
『……見学?』
『その目で、その耳で、その体をもってして、森を知ること。それがおまえの義務だ』
『ああ、うん、それはレスティオールから聞いたな』
『だから森を知りに行くぞ』
『それは唐突過ぎないか』
……これは、午後になって俺のところへ来たアシュレイと、ラーメン鉢を洗っていた俺との会話だ。
『レスティオールから話は聞いている。おまえ、戦えないことはないんだろう』
『まあ、父さんから武道の修行を受けてはいたが』
『なら大丈夫だ』
『いや大丈夫じゃないだろ』
そういったわけで、俺はアシュレイに連れられて森にいる。
……うん、そういったわけだ。
俺は未だに納得していないし、あの白い部屋に帰りたくて仕方がない。何故って、午前中にあの大迫力の巨大ドラゴンを見たばかりで、森に対する恐怖心が少々根付こうとしているこのタイミングで、森に出るなんて。
「……俺ってばチャレンジャー」
「何か言ったか」
「何でもないです」
ぶんぶん、手と首を振ると、アシュレイは前を向く。とりあえず息をついて、辺りを見回してみた。天辺も見えないほどの、大きな樹。それが立ち並ぶ森。世界樹の森。
「……やっぱり、すごい世界だな」
「世界? ここは世界の外だ」
「……ああ、そうか、そうだった」
この森は世界の外側。宇宙の、もっと向こうの場所。この樹の内側には、宇宙があって星があって、人が住む場所がおそらくあって。……そう考えると、気が遠くなるほど壮大な話だと実感する。
そして、これまで組織の方々の話を聞いた判断。
『ここは、世界の外側だ』
『つまり俺たちは、外側から世界を守るんだ』
『守る? おこがましいね。僕たちは外にいるのに』
この組織は、ここを『世界』だとは思っていないみたいだ。
「……アシュレイ」
「何だ、リショウ」
「今、ふと思ったんだけどさ」
よくよく考えてみて、思い出してみて、気付いたことがひとつ。
「人事部、採用課、内部調査班……が、人材を見つけるんだよな」
「……よく覚えていたな、いい記憶力だ」
「あ、うん、どうも」
真面目に感心されてしまった。
「いや、そうじゃなくて。樹の内部に干渉できるのは、本部の人間だけ、なんだよな」
「そうだな」
「だったら、内部調査班っていうのは、どうやって人材を探しているのかな、と」
ぴたり、アシュレイが足を止める。それに倣って、俺も足を止めた。
「……そうだな、それは説明するより見るほうが早い」
そう言うと、アシュレイは一番近くにあった樹を振り向く。
「例えば、リショウ。この樹に触ってみろ」
「触ればいいの?」
言われるがまま、示された樹の幹に触れてみる。どくん、どくんと、鼓動の音が聞こえた気がした。
「そして目を閉じる」
「はい」
目を閉じてみた。視界いっぱいに広がったのは、大海原。
『島だー! 島が見えたぞー!』
『うおおおお!』
ふと聞こえた声に、はっと目を見開く。それからすぐにアシュレイのほうを見ると、彼女は楽しそうににやりと笑って見せた。
「見えただろう? 何か」
「……見えた。見えたし、聞こえた」
樹から手を離して、アシュレイに向き直る。するとアシュレイは樹を見上げながら、口を開いた。
「内部調査班については、そうして世界の中を見て、人材を探す。ただし見ることしかできない。実際に世界の中へ入る術は、確かに本部の者しか知らない」
「そう、なのか」
今、樹に触れてみて、確かにこの中には世界があるんだと知った。
「アシュレイはこの森に来た頃、現実逃避とかした?」
「まあ、少しだな。ああいう光景は、私のいた世界じゃそれほど変わったことでもなかったから」
そう言いながら、アシュレイはちらりと左のほうを見る。そちらに視線をやると、随分遠く、巨大めのヘビが地面を這っているのが見えた。……ぞっとした。
「リショウのいた世界がどうだったかは知らないが、私のいたところではドラゴンも虎も身近な生き物だったんだ。だから、生き物について現実逃避をしたことは……」
ない、と言おうとしたらしいところで、アシュレイが言葉を止める。
「……いや、一度だけあるな。レイシャルが喋りだした時は、さすがに現実を疑った」
やっぱりリスが喋るのはどんな世界でも共通におかしなことなのか。
「あの外見で、あの低い声は駄目だ。せめてもう少し可愛い声で喋ってくれないと」
「そこ!?」
喋ることに異論はないのか! リスが喋る時点でおかしいとは思わないのか! 確かにあの外見ならもう少し可愛い声で喋ってほしいとは俺も少し思ったけども!
「あの外見で『俺』とか言っちゃ駄目だろう。そう思わないか、リショウ」
「いや、リスにもオスとかメスとかあるから」
「……そうか。そう言われると、確かにそうだな」
アシュレイは納得したようにポンと手を叩いた。それで納得するのか……。
「なんていうか、アシュレイって変わってる」
「嬉しい言葉だな。個性は大事だ」
……本当に、変わってる。
「しかしまあ、生き物についての現実逃避はそれくらいだったな。ただし未だに信じられないのは、この樹の中に世界があることだ」
そう言いながら、アシュレイは近くの樹に触れた。
「世界……村、街、国……星、宇宙。生き物。そういった全部が、こんな樹に収まっているという事実は、未だに受け入れきれない部分がある」
それから天辺を見上げて、目を細めるアシュレイ。
「不思議なことだな。この森に来てもう随分経つのに、未だにそれだけは信じられない」
そう言って、アシュレイは困ったように笑って見せた。
「だが、事実なんだよな。いくら信じられなくても、この中には世界がある」
その言葉を聞いた時、心の底から思ったことがある。
アシュレイも、俺と同じだ。人間とくくることはおそらくできないのだけど、感情の面では俺と変わらない『人間』なんだと思った。
「だから、現実逃避はしていないつもりだが……本当は私もまだ、現実から逃げているのかもしれないな」
そう言って笑ったアシュレイに、俺もつられて笑った。