プロローグ
俺は、前世の記憶を持って生まれていた。どうしてかは知らない。発明であったり、技術者であれば、前世の知識を持っているということは、現世で生きる上でとてつもなく有利となることが多いだろう。
しかし、俺の今生きている前世で、残念ながら俺が持っていた知識なんてものは役に立ちそうに無い。パソコン、スマフォ、インターネット、全自動洗濯機に冷蔵庫。俺が生きる現世の人には、はっきり言って、概念どころか、その単語の意味すら分からないと思う。
俺は、人間の生活を豊かにする技術の概念は持っているが、それを実際に作り上げる知識を持っていない。そして、俺が今生きている現世というのは、電気もまだ発見されていない、前世の記憶で言えば、中世のヨーロッパ程度の文明しか持っていない世界だ。発明家にヒントを与えて造らせる、っていうのも難しい。
例えば、電気の発生する仕組みは分かるが、それをどうやって活用するかがいまいち分からない。電気を通して、冷蔵庫ってどうして冷えるの? と聞かれて、即答できる奴があまりいないのと同じだ。
電気は無理でも、蒸気機関なら造れるではないか、と思った時期が俺にもありました。だが、蒸気機関をどうやら俺は、再現出来そうにない。蒸気機関の動力の基本となる、ピストン運動。腰のピストン運動とか、そういう下ネタじゃねぇ——からな!!
蒸気の力でピストンを上に持ち上げる、だが、その持ち上がったピストンを再び、下に下げる方法が分からなかった。蒸気の圧力で持ち上がっているんから、内部の圧力を抜けばいいという話なのだけど、それを設計図に落とすほどの知識は俺は持ち合わせていない。さらにいえば、そのピストンの上下運動を、車のタイヤを動かす力、つまり回転運動に変える方法もはっきり言えば分からない。
そういう訳で、俺にとって、前世の知識は役に立つ物である、という考えは既にない。むしろ、便利な世界を知っているだけ、現世が生きにくい。
時計の無い世界。「日没の頃に、町の噴水前で会いましょう」ということで女の子とデートの約束をして、その当日、3時間くらい女の子を待つ。それが当たり前の世界。
前世の知識を持った俺なら、『つまり、それは何時何分なの?』と思ってしまうし、待つ時間が長くなればなるほど『約束を忘れてしまっているのではないか?』、『何か事故にあって?』、『別の噴水で待っているのか?』などという不安が過ぎってしまう。
携帯電話で、『電車が遅れて、遅れる—— ごめん(m_m)』とかメールできないし、電話をして「いま何処?」とかも連絡できない。
3時間待つのが普通だ、という世界でなら俺もこれが当たり前だと思っていただろう。だが、残念ながら俺の前世の知識は、10分遅れたら大遅刻という世界で、それがスタンダードだった。
この世界は、俺にとっては生きにくかった。
そもそも、この文章だって、パソコンで書ければいいとさえ思っている。なんで羊皮紙にインクで手書きしなきゃなんねぇんだよ!! って感じだ。
まぁ、そんなのは我慢すれば、どうにでもなるけどね。
俺を現世で生きにくくしている最大の理由は、俺が前世での思い出を持っているということだ。沢山の思い出があり、今でも心が温まる思い出だってある。
しかし、俺が死ぬ直前の記憶。それは、後悔しか存在していない。
付き合っていた彼女の誕生日だった。一人暮らししている俺の家で、2人っきりで誕生日を祝うはずだった。俺の手作り料理。当たり年だと言われている、今年のボジョレー・ヌーボォー。ベッドの枕元には、ティッシュとコンドーム。
準備万端だった。
カレーを煮込んでいた俺の携帯に彼女から電話が入った。
「今、健二の家に向かって歩いているのだけど、駅から変な男に後をつけられてる」
「すぐ行く」
俺は、全力で駅へと向かった。
こっから先は、あまりリアルに書きたくない。思い出したくない。
結論だけ言えば、間に合わなかった。彼女は殺されていた。そして、その場に到着した俺も殺された。
どうしてだったのか、犯人の動機とか、そんなのは良く分からない。俺は守ることができなかった。その事実だけで充分だ。
そういうわけで、俺は、前世の記憶を持って、シドニー家の、初めての子供、双子の兄、カートンとして現世に生を受けた。