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白光世界 後

 理事長は胡坐を解いて立ち上がり俺に向けて両手を翳す。



「銀色か、珍しい色だ」



 俺を中心に銀色の光が輝く。そこには、理解不能な言語で紡がれた円状の式が描かれており、ファンタジーアニメに現れる魔法陣と酷似していた。



渇望突破(ソウル・ブレイク)。我々神にのみ許された、個の存在に一つ存在する行動の根源たる渇望の枷を外すことで過程を無視して莫大な力を与える超越術式だ。まあ、単純に言えばRPGのレベル1から始めるところをレベルマックスで始めるという、様々な存在に喧嘩を売っている術式だ」

「確かにそうですね」

「これによって君の存在としての才を極限にまで高める。そして、異世界でこの術式で補えない技量を大量に魔物を狩り尽くして身に着けてもらいたい。

 ―――と、ここまで言ってきたが君に了承をとってはいなかったな。

 どうするかね、波河世記君。君の了承があれば今すぐにでも術を施し、異世界へと送ろう。ああ、この世界のことは心配しなくても良い。我の力によって君がいない時にも周囲には違和感がない様に措置を施す。この世界にも二度と帰れないわけではない。時折の帰還可能期間を設けよう。我々は悪徳会社ではないからな。君の意志を尊重しよう」



 意外だ。

 異世界転移は普通元の世界には戻れないという鉄則があるはずなのだが。

 たしかに、この条件ならば自分が常に戦場に立つということ以外にたいしたデメリットはない。むしろ、強大な力を有して異世界にわたることが出来ること考えるとメリットの方が大きい。

 それに、この提案は俺が行きたくて仕方がなかった世界への旅だ。これを断る理由は俺には万が一にもなかった。



「―――よろしくお願いします」



 俺はその場に立ち上がり、理事長と視線を合わせる。

 そのことに待っていたとばかりに彼は笑みを浮かべ、手を何か特殊な技法を使ったのか銀色に輝かせる。



「では、始めるとしよう。これは不破の契約だ。結んだら最後、君は世界と戦う使命を寿命の続く限り永久に抱き続けることになる。それでも良いのならば、この契りを交わすのだ。

 では再び聞こう。

 ―――汝、我ら神と守護者の契約を結ぶか。結ぶのであれば誓いの言葉を神たる私に捧げよ」



 契約。

 その言葉が俺の脳内を支配する。

 おそらく、この契約を交わしてしまえば俺の最低限度の安全が保障されていた人生は終わりを迎えてしまうのだろう。

 朝食時のアニメ鑑賞。

 学校での授業。

 放課後に訪れるゲームセンターでの娯楽の時間。

 夜中にする据え置きゲーム機でのファンタジー世界の探索。

 ……。

 どれも決して誇れるものではないが、俺の生活を構成し彩っていた大事な要素だ。それと引き換えにいつ死んでも可笑しくない戦場へと踏み込むか。そこに何の意味があるのか。

 否。

 俺の渇望は何処に在る。それは、ファンタジーの中に在る。俺の一生は今までも全てファンタジーを体感することに全力を費やしてきた。

 だったら、答えは既に決まっている。

 胸に手を当てる。



「俺は、誓います。例え、不遇の人生だとしてもそこにはファンタジーがあるのならばきっと乗り越えられる。そんな気がするし、そうしようと思うから」



 これは俺の本音。

 これから旅立つ世界は俺の愛する世界そのものだから。そこで何があっても俺はこの地球界と言われる世界で一生を終えるよりもきっと充実した人生を送れると思うから。

 ―――だから、誓う。

 そう、これは俺の渇望であり傲慢でもあり、そして祈りなのだ。

 俺の返事に理事長はうむと頷く。



「―――ここに契約は為された。

 波河世記君。君は今この瞬間から神の使徒として世界を守護する任を課された。それ故に我ら神から契約の証を施そう」



 俺を囲む魔法陣がその光を強くする。

 その光はまるで俺を包むかのように伸びていく。



「世界に遣わされし意志の柱たる神の一つがここに授ける。

 この者、波河世記を我らが眷属とし、相応たる力を授けんと我は契約の対価として与えんと欲す。

 さあ。眼を見ろ。鼻を嗅げ。耳を聞け。舌を味わえ。皮膚を感じろ。そして、その先に在る力へと、汝、至らんと欲せよ」



 ぶわっ。

 銀に閃光が空間を満たす。



「――――――――――――――――、ぁ」



 光は俺のあらゆる場所から入っていき、あらゆる血管、神経、臓器、脳へと満たされていく。まるで未知の感覚であるが、俺の中が熱くなっていくことが分かる。

 これは興奮だろうか。いや、違う。これはそのようなものではない。

 まるで、別のラインが俺の中で焼印のように刻み付けられていくように元々存在してなかったものが強引に構成されていっているかのように感じられた。

 どうしてそのように思えたのかは自分でも理解できない。が、なんとなくそう思えた。

 感覚は、ほとんどない。

 おそらく、五感が正常に働いていたら激痛でショック死していたかもしれないが、この瞬間においてそれは幸いだった。

 体全体に熱が広がりきる感覚。

 すると、俺の身体が唐突に輝き始めたことを朧な視界で確認する。ぼやけた視界ではっきりとは分からないが、俺の皮膚に血管を模したかのような銀色のラインが表出しているように見えた。



「――――――ぁ、―――――――く、ぅ」



 力が、漲る。

 手に、足に、首に、腰に、胃に、そして脳に。

 だが、動かない。

 ここまで来て自分の存在が塗り替わってきているかのような感覚を俺は抱いた。今まで生きてきた中で比べものにならない程の力に満ち溢れている。



 ――――――パリン。



 その音が脳内に響いた。

 既に聴覚は朧げであるのに、透き通るようにきれいな音色ではっきりと聞こえた。



「――――――――――――――――、」



 それは崩壊だった。

 今までに構成されていた欠片が失われ、世界が破壊される喪失感。

 ―――だが、それは構築だった。

 破壊されたところを何かが新しく埋め入り、自分という存在の基盤を再構築していく塗り替えの感覚。

 俺の既知が過去へと誘われて、未知が現在へと取り込まれていく。

 今までの常識が非常識に思え、非常識が常識に思えていく混沌。

 くる、くる。

 思考の竜巻。考えの矛盾。自分という存在の混沌。

 相反の二種が暴れまわり、内側から張り裂けそうな感覚。互いが自分の存在を確立しようと戦争している。その時生じる力が俺の潜在的な意識を強くしていく。

 どちらが正しいのか、どちらが間違っているのか。

 中途半端はいけない。だから、決めなくてならない。

だが、難しい。

 ―――俺は心を表出することにした。

 正誤の基準など思考の中では不毛の争いになる。だから、素直な心に聞いてみることにした。

 そのために、俺は倫理的思考を捨てた。



「。」



 瞬間、俺の身体が白銀に溢れた。





   ▼   ▼   ▼





「なんじゃ、こりゃ」



 理事長は新しく映し出したモニターを見てそう零した。

 そこには、理事長が術を使って鑑定した世記の能力が現れていた。



「それにしても、これほどまでにイレギュラーな能力を持っているとは。普通ならば絶対に発現しない能力だぞ、これは」



 理事長はモニターに書かれていた一つの項目を見る。



『魔法:漆黒渦月(ダークネス)

   :月下超越の瞳ルナティック・ルーラー



「うーむ、本来魔法を所持できるのは一人につき一つ。しかも、所持できる人間が非常に少ないはずなのだがな……」



 魔法とは、その名の通り法を行使することに他ならない。

 魔法所持者とはその法を行使する執行人である。その法は非常に強力であり、そのすべてが多くの形はあるが世界を滅ぼしうる力を内包している。

 それを二つも持つ、世記という少年は一体そんな因果で生まれたのか。そこに理事長は関心を抱かずにはいられなかった。



「―――彼が一体、この全世界にどのような影響を及ぼすのか。非常に興味深いではないか。

 ―――なあ、諸君」



 理事長が振り返ると、そこに九人の男女が姿を現していた。

 ある者はスーツを身に纏い、ジャージを纏い、白衣に袖を通していた。

 その中で、一人の角の鋭いインテリ眼鏡をかけているスーツの美女が一歩前へと出る。



「理事長様。我ら九柱、指令を終えここに参上いたしました。担当した九名は例外なく異世界への道を志し、無事に旅立ちました」

「そうか、ご苦労」

「勿体なきお言葉でございます、主神閣下」

「そう畏まるな。私はもっと和やかにしたいのだがな」

「あなた様は我らが地球界ならびに魔法界を管理する最高権力者なのですからもっと堂々としてください。そもそも、常日頃の態度に問題があると私は思います。

 提言させてもらいますと、昨日までに理事長室から発見された主神様に相応しくありませぬ物がおよそ万を超える程発見されております。無論、管理者補佐の私の手で処理させていただきましたが」

「な―――ッ!?道理で無くなっていると思ったら、お前の仕業かカミナ!あれは、私が伝手を使ってようやく手に入れたプレミヤ物なんだぞっ!!」

「あんな、卑猥なディスクが、ですか?

 無論、拝見させていただきましたがあのようなものは主神様には相応しくはありません。あのような下賤な映像に興味を持たれるとは……少々教育が必要のようですね」



 ノオオオォォォオオッと悲鳴をあげる理事長とそれを縄で縛る女性を背景に残りの八人の神は理事長が最初に映し出した異世界の映像を見る。



「どうか、死なないでほしいですね」



 温和そうな雰囲気の波河の担任教師である中年の男性が呟く声が理事長の悲鳴と共に彼らのいる白の空間を支配した。





   ▼   ▼   ▼





「ねえ、パパ。見て見てーーー!」



 少女は自宅の窓から夜空を見上げる。

 夜空は雲一つなく、見渡す限りの星々や月が光を受けた宝石のように輝きを放っていた。



「うん、どうしたアイリス、と。これは綺麗だなあ」

「そうでしょ、パパ!アイリスね、あのとっても光っているお星さんたちを見ているとね、心がキュンキュンするの!」

「そうだね」



 父親は夜空を仰ぐ。



「僕らの住む世界と比べて、何と美しい世界なんだろうか」



 父親は自分達家族の生活を振り返る。

 農民である彼の家庭は常に金銭のやりくりに四苦八苦している。それに、彼の住む農村には頻繁に危険な魔物が徘徊するため、常に死の瀬戸際に立たされている。

 だから、人々は夕暮れが終わりを告げる前には安全な場所である家の中で生活することにしている。

 救いの無い地獄のような世界。

 それが彼の生きている場所だった。



「パパ……?」



 少女の心配するような声が父親の耳に入る。

 父親はその声を聞いて自分の手を優しく少女の頭の上へと置き、そのまま髪の感触を確かめるかのように撫でる。



「大丈夫だよ、アイリス」



 父親には一つだけ生き甲斐があった。

 それは既に亡き妻との間に設けた明日に丁度六歳になる自慢の娘だ。幼いながらも美人だった母親の容姿を見事に受け継ぎ、可憐という印象を抱かせる。

 彼にとって、妻の忘れ形見でもあるアイリスに少しでも幸せな人生を歩ませることが第一優先事項だ。

 六歳。

 それは彼の住むローメ教国において聖女の素質と魔術適正を診断する義務を負う日でもあった。

 ローメ教国において魔術こそが全てであり、その条件さえ十分に満たしていれば将来が保障され幸せな生活を営むことが出来る。

 彼には既に愛娘が中央都に引き抜かれる未来が見えていた。

 以前にやってきた旅魔術師の診断で、アイリスは母親の高い魔術適正と父親の全体的に見て多いと言われる魔力量を所持している。そして、それを運用する仮想回路(コード)も精密に張り巡らされている。これは魔術師としては破格の才能だ。

 だから、彼は明日にはやってくるだろう法術局の使いの審査を心の底から待ち望んでいた。

 おそらく、明日になれば彼と娘はその人生の道を違うことになる。だが、彼はそれでよいと思っていた。その結果娘が幸せになれるのならば、それでいいと。



「アイリス。もう夜だ。これ以上夜更かしをしてしまうと魔物さんが父さんたちをパクッとしちゃうかもしれない。だから、早く寝むってしまおう」

「えーー。アイリスはもっと星が見たいよ」

「うーーん。だったら、これはどうだい。ママが好きだった昔話を聞かせてあげよう」

「え、ホント!?だったら、アイリスも寝るよ!」

「そうかい。だったら、早くベッドに入ってしまおうね」

「うん!!」



 父親と少女はベッドに入ってから部屋の明かりを消す。

 二人の住む農村は辺境に在るためか静寂に包まれている。これはまだ農村に魔物が出現していない証拠だ。

 父親は安心して娘の頬をさする。



「じゃあ、話を始めるね。題名は〈月の少年と太陽の少女〉。一人の少年が、一人の少女と魔物を退治するために一緒に世界を旅する物語だよ」



 魔法界。

 地球界の裏に存在するこの世界には、不幸が溢れている。

 だが、その中でも彼らは微かな希望を抱いて生き続ける。

 誰もが自分の生き方に哲学を持つ強欲な世界。それは地球界とはまさに対極の在り方であり、だが同じく人の生きる空間だ。


 翌日。

 少女アイリスは法術局に保護されて、父親と道を違うことになる。

 そして、それが今生の別れになることを彼女は予知していなかった。


 時は過ぎて半年後。

 アイリスの故郷の村は大量の魔物に襲われて壊滅する。

 国の騎士団が駆けつけた時には生存者は誰も存在せず、その中の犠牲者の名前にアイリスの父親の名前も当然記されていた。


 誰がいつどこでその命の灯を消し去ってしまうか分からない世界。

 それが魔法界だ。





   ▼   ▼   ▼





 魔法暦199年五ノ月。

 冒険者連合ローメ教国支局は相も変わらずに周囲から集められた屈指のならず者達でわいわいと賑わっていた。

 冒険者連合に所属する人間は多種多様だ。

 世界基準で基礎体とされている純人種や耳の長い美貌が特徴のエルフ、獣の耳や尻尾を持つ獣人種などが多く所属している。

 冒険者連合はそれほどに世界中に浸透している組織である。

 当然、世界中の強者が集まるわけであるため、連合を取り仕切る受付の人たちは特別な分野で役に立つといった特殊な例外を除いて相応の腕を持った人間でなければ勤まらない。

 そのような絶対の番人たちに対して喧嘩を売ることは自身の破滅を意味していることを知っているため、冒険者たちは彼らに対して最大の敬意をもって接している。

 そのため、冒険者連合の施設である連合支局内の治安は高水準に保たれている。とはいっても、稀に諍いは起こることはあるが、それらは大体冒険者の間の痴話喧嘩みたいなものなので捨て置いても大丈夫な用件だ。



「――――――、はあ」



 そんな支局の中で一人の受付嬢がカウンターで肘をつきながら溜息をついていた。

 支局の中の男性たちが彼女を見ている。

 彼女は美少女である。それも曖昧な表現での評価基準ではなく、まさに美少女という言葉に相応しい女性だ。彼女の淡い黄緑色の長い髪から時折姿を現す上に向かって長く伸びている耳はまさしくエルフの証だ。



「暇ね……」



 彼女は退屈していた。

 冒険者連合の受付とは基本的に常時受付員と契約受付員の二つに分かれる。

 常時受付員とはその名の通り、普段から様々な依頼の受注の承認などを行う人間で受付員の中でもあまり位の高くない人たちだ。

 それに反して、契約受付員とは受付員になる前に何かしらのことで成果をあげて冒険者組合に入った、もしくはスカウトされた人間がなる役職である。

 その役割とは自分が専属として契約したいと思った人間と契約を結んでその人間のあらゆる事務処理を行う職だ。したがって、契約したいと思う人間がいなければずっと仕事をしなくてもお金がもらえるというあらゆる社会人に喧嘩を売っている職業でもある。

 だが、それが許されるのはその実力故である。

 もしも、町に非常事態が起きた場合には精鋭である契約受付員が真っ先に命を張ることになる。だからこその我が儘が許されている。

 つまり、退屈そうに暇を持て余しているエルフの女性は紛れもなく契約受付員というエリートであるのだ。



「本当に、退屈ね」



 彼女はおよそ一月前に冒険者組合に所属することになったのだが未だに契約者を見つけていない。

 それは、所属してから今まで彼女が力を認める存在が一度たりとも現れていないからだ。

 ひと月の間に何度も冒険者の方から逆アプローチをかけられたり、同じ受付の同僚や支局長に早く見つける様に言われているがそれでも頑なに契約を交わしていなかった。

 それに、彼女は今男たちから浴びせられている破廉恥な視線が大嫌いだった。



「私だって人間なのだけど、そのことを考えないのかしらあの男どもは。

 ―――、って言っても仕様がないのでしょうけど」



 彼女は自分の容姿を知っている。だからこそ、男たちに注目され続けることは既に諦めている。

 だが、彼女は今までに自分の外見だけではなく内面まで見て評価をする人間をごく少数の女性の友人にしか持っていなかった。少なくとも彼女と出会った冒険者は例外なく彼女の外見だけしか見ていないと彼女は直感した。

 彼女は妥協が嫌いだ。

 契約を結ぶということは即ち、自分の背中を預けることだ。契約を結んだ以上、結果を出せなければいくら契約受付員であるとしても立場が危うくなる。それは冒険者と全く同じことだ。

 自分のことを正しく見てくれない人間と絶対に一蓮托生などになりたくない。それが、彼女が今までの契約を結ばなかった意地の正体だ。



「とはいっても、そろそろ適当にでも結ばないと周囲の目が怖いのよね」



 そう。職場には空気という物が存在する。

 彼女の行動はその空気というものを明らかに悪くしている。

 それは当然だ。常任受付員が多くの冒険者たちの受付を捌いている中で、一人だけ何もせずに溜息ばかりつき、しかも自分達よりも給料が多いともなれば反感も買うだろう。

 規則上では問題が無くても、それは悪いことであると職場の空気が彼女にささやく。



「―――、はあ。苦肉だけれど、次のお客様で私の我が儘を最後にしましょうか」



 せっかくの職場で村八分になどされたら困ると思い、彼女は自分の忍耐を決意する。

 次で望んだ人間が来なかったら我慢し、来たら内心喝采しようとそう心の中で決める。

 つまりは、どちらにしても次にやってきた初対面の人物に契約を持ちかけるというわけだ。彼女は自分の運命力にこれからを賭けたのだ。

 運命に愛されているならば幸運、愛されていないならば不幸。彼女はそう腹をくくった。



 ―――カラン、カラン。



 連合支局の入り口の扉を開く音が響く。

 いつもであったら聞き流してしまう音だが、今回に限っては彼女の耳の中に何度も反復して鳴り続けていた。

 彼女は入り口の方向を見る。



「――――――、は、ははは」



 視界に入った存在を見た時、彼女は驚きの余りに冷や汗をかきながら笑うしかなかった。

 目に映る存在は、白を生地とした衣服の上に真っ黒なローブを身に纏っている飛び跳ねた癖のある黒髪の少年だった。少年は彼女が今までにこの建物中で見てきた男の中でも小さめの体格で、冒険者と素手で殴りあったら簡単に複雑骨折でもしてしまうほどに貧弱そうな身体つきだった。

 ――――――だが、



「……ちょっと待ってほしいわ。何なのあの右眼は……?」



 彼女が注目したのはその少年の眼帯で隠れている右眼だった。

 彼女は受付嬢であると共に超一流の魔術師でもある。それ故にこの建物内にいる他の人間では決して気づかないことを認知した。



「―――封印魔甲。しかも、あれは道具に様々な魔術的要素を組み込むことでその力を増すタイプね。その眼帯はとても緻密に作られている。となると余程のものを封じているはずよね……」



 彼女は唾液を呑みこむ。

 周囲は今入ってきた新入りの少年をからかいに来たクソガキと認識している人間が多い。しかし、彼女だけが彼の底知れない実力に虜になっていた。

 彼女を魅了する要素は彼の右眼だけではなかった。

 未だに魔力制御が上手くできていないのか、時折溢れる銀色の異常なほどに濃密な魔力。

 そして、そもそも少年の雰囲気が彼女にとって好ましいものだったのだ。

 我が道を行く。

 彼は今、誰の眼も気にせずに彼女たちの方向へと歩いて向かってくる。

 彼女はその時たまたま少年と視線が合った。

 瞬間―――、



「――――――、ニィ」

「――――――!?」



 少年が彼女に向かって口元を上へと吊り上げるようにして笑みを浮かべた。

 この時まで彼女は少年がただの意地っ張りな目立ちたがり屋なのかもしれないと心の奥底の片隅で思っていた。

 だが、彼女は少年の笑みを見て気づいた。

 ―――彼はそんな下賤なものではない、と。



「――――――、ふふふ」



 そう気づいてからは行動が早かった。

 彼女はすぐさま受付窓口を飛び越えて、少年の元へと駆け寄る。その時に少しばかり周囲を見渡すと、彼女のように少年を狙っている契約受付員が数人いた。

 女性は自分よりも遅かった同僚に勝ち誇ったかのような笑みを向ける。その顔を見て同僚たちは悔しそうな顔をして持ち場に戻って行く。

 そのことを確認した彼女は少年の方へと向き直る。

 少年は彼女よりも少しばかり背が高いようで、ヒールを履いた彼女の今の全長と同じぐらいの大きさだった。

 彼女は少年を見る。

 少年は今の状況に少しばかり不思議そうな顔をしている。



「いきなりですが、少しお時間をよろしいでしょうか」



 気づくと彼女の口から声が出ていた。

 彼女の言葉に少年は先程とは違う少し温和そうにニッコリと笑みを浮かべる。



「いいですよ。ですが、内容は単純明快にお願いします。その方が簡単でいいですから」

「そうですか」



 意外に冷静で礼儀正しい対応に彼女は少し感心する。

 なるほど、人間性も良いのかと少年に対する評価をあげる。それと同時に、やはり他の人に横取りされないようにすぐに駆けつけて良かったと彼女は思った。

 すう、はあ。

 少し、心臓の鼓動を深呼吸で抑えてから彼女は脳内に浮かべていた言葉を少年に問いかける。



「単刀直入に言います。私の名前はアイリスです。唐突で申し訳ありませんが、私の契約冒険者になりませんか?」





 これは世界にありふれている幾何もの出会いのうちの一つ。

 だが、後にこれを見ていた人々は語る。

 これこそが、世界に変革をもたらした最初の出来事であると。










 プロローグ、完。


ここでプロローグ終了です。

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