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入来院鏡子と、俺

 正二十面体、正十二面体、それぞれ特殊なサイコロをテーブルに転がして、俺は天井を見上げた。出目なんてどうでも良い、今振ったサイコロに役割なんてないんだから。

「イチ、イチのゾロよ。ツイているわね」

 よく通るソプラノがテーブルの向こう側から耳に届き、先程投げたサイに視線を戻す。声の通りサイコロの出目はそれぞれ一だった。

 オレンジ色の西日が部室を染め上げている、もうそうな時間だろうか。

 TRPG、テーブルトークアールピージー愛好会等と言う得体の知れない団体に入ったのは、何よりその束縛性のない活動内容に惹かれたからだ。必ず出席しないといけないのは月にたった一回の報告会だけだし――最も、それも必要無くなったが――そのほかの活動といえば、月に二回、市内の公民館の一室で行なわれるTRPGサークルへの参加くらい、それだって基本的には自由参加だ。

 部員は俺こと虎留誠也――とらとまりせいや――と一学年先輩の入来院鏡子――いりきいんきょうこ――のたった二人。

 入来院先輩はその業界では結構知られた存在らしいが、テーブルトークアールピージーとか言うのは二人ではあまり面白くないらしく、この部室ではずっと文庫本を読んでいる。

 本当は部室に顔を出さなくても良いのだろうが、日が暮れる前に家に帰ったところで別段やることも無い、だから俺はいつもこの部室で宿題をしたり、入来院先輩の文庫本を読んだり――大抵次の日になればその本への興味は失っているが――して、時間を潰している。

「こういう無駄な運を何処かに溜めておくことは出来ないもんですかねえ」

 無駄口に、先輩はクスリと笑った。

「先週読んでた文庫本は、どしたんすか?」

「アレはもう図書館に返したわ」

「へぇ、相変わらず、読むの早いっすね」

 自分が所属しておいてなんだが、入来院先輩はこんな陰気な部室で文字を眺めたり、公民館の一室でインドア派の男達に好奇の目で見られるよりも、その黒の長髪を後ろで纏めて、サーファーや茶髪の大学生が多い灼熱の砂浜を、過激な水着を着せて俺の横を歩かせたい人だ。道行けばすれ違う男共全員がはっとして振り返りそうなのに、それをしない、変わっている。

「誠也君は、どう思う?」

 不意に、先輩が文庫本越しに質問を投げかけてきた、俺は焦る。質問の質問してはいけないとは言うものの、この人は時々こうやって、利き手の俺が聞き返さないと会話が成立しないような質問を飛ばしてくることがある。そのような時、先輩は何かに夢中で、自分以外の人間が視界に入っていないのだろうと、俺は高校に入学して半年の間で学習していた。

「何のことっすか?」

「朝礼で言っていた『事件』の事よ」

 ああ、とようやく先輩の意図を飲み込む。朝の全校朝礼の時に、校長が神妙な面持ちで言っていたあれの事か。

「まあ、何て言えば良いんすかねえ。酷い事をする奴もいるもんだなぁと」

「あら、意外ね。誠也君も似たような経験があるのかと」

 ぎょっとして、「んなわけないっしょ」と返した。

「失礼、なんだか色々とやんちゃしてそうな見た目だから」

 先輩は俺の髪を指差して言った、文庫本に隠れてはいるが、刺すような微笑が目元から伝わる。

「こりゃファッションですよ、ファッション」

「そうね、誠也君なりにおしゃれに気を使っているのね」

「なんか、ひっかかる言いかたっすね」

 堪えきれなくなったのか、手を口に当ててさっきより少し大きく笑った。

「犯人は、何を考えていたんでしょうね」

 紫色の栞を文庫本に挟んで、先輩はそれを机の上に半ば放り投げるように置いた、きっと興味が本から別の物へと、それも急激な速さで移り変わったのだろう。

「非経験者として、誠也君はどう思うのかしら」

 肘つき組まれた両手に軽く顎を乗せて、先輩は質問した。

「さぁ、カッとなってやったんじゃないですかねえ。よく分からないけれど、そう言うもんなんでしょう?」

 あんな事をする奴の気なんて知れないし、知ろうとも思わない。

「一番、オーソドックスね。欠伸が出ちゃうほど平凡でもあるわ」

「先輩は、どう考えるすか?」

「失礼ね、わかりゃしないわ」

「そりゃ無いっすよ」

 ふう、と先輩はため息一つ。気がつけば夕日も大分沈みこんだようで、先輩が読んでいた文庫本のタイトルが随分と読みづらくなるほど、部室は薄暗くなっていた。俺は電気をつけようと思って、パイプ椅子を鳴らしたが、「そろそろ帰るから、電気はいいわよ」と俺を制した。

「私って、随分と多く、ファンタジーの世界を旅しているでしょう」

 テーブルトークアールピージーの事だろう、テーブルトークアールピージーはファンタジーの世界を舞台に、プレイヤー達がサイコロの目とゲームマスターの指令に従って自らの分身を動かしていく。

「きっとそれって、非日常に憧れてるからだと思うの、昔から、日常に飽き飽きしていたんでしょうね」

 それは、何となく想像がついた、先輩はふと、冷めたような目をすることがあったから。

「でも今回の事件で、ファンタジーの世界なんかより、こっちの世界のほうがよっぽど非日常に溢れてると思ったわ。日常により近いから尚更ね」

 もう、文庫本がどこにあるか分からなくなっていた、ただ単に暗いと言うより、闇とでも言った方が的確かもしれない。

 先輩であろう影がうごめく、組んだ手を下ろしたのだろうか、俺はただ黙って、先輩の次の言葉を待った。

「だから私、今回の事件の犯人には、憧れるわ」

「な、何をバカな」

 酷く動揺して、噛んだ。

「勿論、人間として、何てことは無いわよ。ただね、そういう行動に至るまでには、きっと犯人なりの理屈の積み重ねがあったはず、私達では到底想像もできやしない、それこそ魔法や、古代のドラゴンなんかよりも、よっぽど非現実で、非日常な理屈の積み重ねがね。そういう発想に、憧れるし、やってみたいの、私は平凡な女だから」

 怖くて、すぐには反応できなかった、俺からしてみれば、先輩の発言こそが非現実だと言う事に、この人は気がつかないのだろうか。あの人は頭が良すぎて、などと言われることがあるが、俺の頭が足りない所為なのか、一瞬だけそれを考えて、すぐに否定した。さすがにそんなことは無いだろう。これに関しては、絶対に俺が正しいはずだ。

 暗闇の中で、何かが何かを手にとって、それを何かにしまう音がした。きっと机の上の文庫本を先輩がカバンに納めたのだろう。

「犯人は、人間の屑っすよ」

 じっと、影を睨み付ける。影は動きを止めた。

「それこそ先輩のような人が憧れるような、そんな高尚な人間じゃないっす。むしろ、知性の無い、理性のストッパーが効かない、けだものに近い奴ッすよ。先輩は素敵な人です、そんな馬鹿な事考えるより――」

 ギィとパイプ椅子と床が擦れる音。姿を大きくした影に、俺は少しビクついた。そして、自分が随分と恥ずかしい台詞を口走っていた事に気づく。

 影は俺に近づいて、背中に触れたかと思うと、そのまま背を撫でて、首筋に。

 怖くて、怖くて堪らない。ぐっと目を瞑っても、暗闇に変わりは無かった。

「ありがとう、私ったらダメね。何でもかんでも理屈付けて考えないと気が済まなくて、そのくせ勝手にその理屈に感動して憧れちゃうのね、悪い癖よ全く。誠也君ぐらい開き直って考えられたら良いのにね」

 首筋とは別に、右頬にも手をあてがわれる、自分の鼓動が脳に嫌と言うほどに伝わり、唇が乾いた気がして、舌で舐めた。

 その時、何かが動く気配がして、俺は何か反応をしようと思ったけど、首筋と頬にあてがわれた両手に力が入っていて、それらの為すがままに顔を傾けさせられる。気付けば、目の前にその美しい影が迫ってきてて、俺とその影は、重なった。驚きで何もすることが出来なかった、ただされるがままだった、いつも、他の女の子とするときはこんな事ないのに。

「フフッ」俺から離れた影は、満足気に笑った。

「また明日、会いましょう」

 遠ざかる足音、首筋と右頬は、まだ温かかった。唇は、少しだけ冷たい。

 古くて鍵の無い部室の引き戸が開けられて、廊下の電灯の光が部室に差し込んだ時、俺は体が熱くなっているのを感じて、慌てて鞄を掴んで「先輩」と叫ぶと、床に焦げ後がつくかもしれないほどに踏み込んで、部室を後にした。

 俺は到底先輩と釣り合う男だとは思わないが、今後そういう男が見つかるまで、俺が何とか先輩を人間の屑から守ってやらなければならない。

 それも明日と言わず、今日から。

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