7話
「今日はどんなことをしたんだ?」
「今日はですね、お母さまとお買い物?をしましたよ。布を合わせたり、サイズを測ったり、レースを合わせたりでびっくりしました。お母さまがとっても楽しそうで嬉しかったです」
「あぁ、母上は女の子に生れなかった俺に文句を言うほど娘にあこがれているからな。面倒だろう」
二人の様子が目に浮かぶと言わんばかりに眉をしかめてみせる。
「そんなことないですよ。私には記憶あるなし以前に母はいませんからこうして一緒に過ごせるのはとても楽しいです」
「そうか。そういってもらえるなら俺も助かる。まぁもう少しすれば少しは収まると思うから」
「いえ、大丈夫ですよ」
「他には・・・何もなかったか?」
「他にですか?そうですね・・・」
ほんの数秒であったが、少し考えている間に後ろからは穏やかな寝息が聞こえてくる。今日も疲れてるんだろうなと思いながら体をずらして布団を引っ張りあげる。そんな風に動いても彼の腕が外れる様子はない。まあ大きな子どもに抱きつかれているようなものだと最初の数日で慣れた。
ほとんど毎晩こんな調子か、彼が帰ってこないうちに自分が眠っているかだ。
朝にはまたこの体勢っていうのが律儀なのか抱き枕がないと眠れないたちなのかといぶかしんでしまうが今のところ聞くことはできていない。
しかし夫婦ってこういうものなんだろうか?と疑問に思うが、自分にとっては非常に助かる状況なので、あえてこの状況を変えようという気にもならない。
さらわれたあの日から、ある意味一番穏やかな日々を過ごしてた。
「おかえりなさいませ」
「あぁ、あいさつはいい。さっさとベットに入れ」
これメイドとか聞いてたらとんでもない会話だわ、と少し苦笑しながら言うとおり素直に動く。
「今日はいつもより少し早いんですね」
「あぁ、春に控えている式典のために今は忙しい時期だが、ようやく終わりのめどが見えてきたからな」
「それはよかったですね」
「まぁな、それで今日はどうやって過ごした?」
「特に目新しいことは何もないんですけど・・・」
こう毎日聞かれたのでは、最初は新しい生活が目新しくお茶会の話、お庭の見たこともない花や立派な庭の話、甘いデザートが美味しかったこと、ドレスがいっぱいありすぎていつも迷うことなんでも話せたが、少し時間が経てば、お嬢様が話すべきことではないと分かる。
でも本当のお嬢様がいったいどんなことに驚いたり感動するのか自分にはさっぱりわからない。
「もう飽きたのか?」
「え?そんなことありません。マリもリューンも良くしてくれますし。迷惑をかけてばかりですけど」
マリとリューンはこんな私についてくれているメイドさんだ。この家の中で不評の中心にいた私に誰がつくかということでかなり揉めたらしいのだが、もともと式でお世話をしてくれたこの二人が買って出てくれたことで終着したらしい。
わざわざ調べたわけではないが、聞かせるようによそで話している噂話を聞いてしまったのだから仕方がない。
「あっ、今日はリューンが泣いてしまって困りました」
「泣いて?」
それほど大変な内容ではないので意識して、落ち着いた様子で話したのだが、やはり驚かれてしまったらしい。
「大したことではないんです。私のドレスにあやまって紅茶をこぼしてしまって、もちろん私が急に動いてしまったからでリューンは悪くないんですよ?」
「あぁ、それで?」
「それは良かったんですが、驚いたリューンが泣き出してしまって、大丈夫といくら言っても聞いてくれなくてお叱りをと繰り返すのでどうやって収めたらいいのかわからず、困ってしまいました」
「普通、主人のドレスに紅茶をこぼすなんて失態には罰を受けさせられているだろうからな」
「こぼしたといっても少し裾のほうにかかっただけで、それにやけどをしたわけでもないのに」
「貴族の家はそういうものだ。上下関係を示す上でもそのように振舞う」
「くだらない」
とっさに答えた内容にまずいと思った、思うよりずっと感情がこもってしまった言葉に、彼が何かを感じてしまったらどうしようか、すぐに顔をみたい気持ちを抑えて、自然な動作でそっと伺い見ると、少し驚いたような表情でこちらを見ていた。
「はっきり意見をいうシェラザードは珍しいな。」
「そ、そうですか?」
「以前の貴族らしいお前なら絶対に罰を与えて二度と自分に仕えることなど許さないだろうし、はっきりいうのも納得するだろうが、ここに来てからのお前だけみていると珍しいと思う。」
気弱な小さな声で、聞き返してしまう。彼なら違う答えをくれる気がして。
「貴族としては許しては、いけませんか?」
「貴族としてはダメだろうな」
「だめ・・・ですか」
失望とでもいうのだろうか。なぜかこの人だったら許してくれるような気がしていたのだ。いつもお嬢様らしくない驚きや、戸惑ったことを受け止めてくれるゲイル様なら。
しずんでしまった気分のまま、話しをすることもできず俯いていると彼のほうから珍しく話し始めた。
「貴族らしくあれ、というのは高圧的な態度で示すことではないと俺は思っている」
「え?」
あいかわらず体勢は私を抱きしめられたままだったが、彼の言葉に驚きのあまり振り返って視線を合わせようとするが、彼は私を見ていなかった。しいていうなら天井のほう、どこか遠くをみつめている。
「貴族はたしかに敬われている。それは国の政に関わる重責を担っているからだと俺は思う。だが、今の貴族の大半は自分たちの血脈や家名が偉いのだと勘違いしている。自分たちがいるから平民や貧民は暮らしていけるのだと」
「だが俺はそうは思わない。平民や貧民と呼ばれている人の力で貴族は存在できるのだと思う。国の政治を動かすのは貴族でも、国は国民がいなくては国ではない。国民というのは貴族だけでなくこの国に暮らす全ての人のことだ」
「全て、ですか?」
「あぁ、貴族も平民も貧民も、生きる場所や地位に差はあれど、この国に生きる人である以上国民だ。だから俺全ての国民が国の未来を安心して任せられる、そういった存在であるように振る舞い実行することこそが貴族らしいということじゃないかと思う」
「貴族らしく?」
「偉そうにではなく、信頼にたるように、仕えることが誇らしいと思えるようにということだ」
視界が滲む、いけないと思いながら涙があふれてくるのをとめられない。
「む、難しいことは、わかりません」
押し殺せない涙が頬を伝うのをごまかす為に、顔を前に向け少し俯き加減に表情が分からないようにする。
「眠るのか?」
「はい。・・・寝る前にひとつだけ聞いても?」
彼の考えがここまで気になったのは結婚して以来初めてだった。無言を肯定と受け止めて、話を続ける。
「私の振る舞いはあなたの中で、貴族らしくありませんか?」
「・・・俺の中ではということなら、お前の相手を思いやった行動は貴族らしいと思う」
「そうですか。・・・おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
自分が先に寝てしまったせいで、彼もすぐに眠ることにしたらしい。腕の力が少し強まったあと少しして穏やかな寝息が聞こえはじめる。
彼の言葉に動揺していることを押し隠しながら、必死に寝たふりをしていた。
彼の言葉に心が救われた。
あのさらわれた日から人としてすら認められない、玩具のように他人の都合に振り回される日々にずっと傷ついていた。
それなのに、貧民だろうと同じ国民、人であるという言葉をあの女よりはるかに位の高い貴族の彼の口から聞かせてくれた。
貴族なんて皆同じだと思っていたのに、そんなことを真剣なまなざしで語る貴方に、私は愚かにも心を動かされてしまった。
彼は貴族でシェラザードの夫。
私は身代わりの花嫁、貧民のシェーラ。
この二人は決して結ばれることはないというのに、思いあう関係になどなれるはずもないのに、必死に心を抑えつけているのに、走り出した恋心がとまらない。
今だけは、今だけは貴方の妻である私が、貴方を思うことを許してもらえるだろうかと祈るような心で、おなかに回った彼の手に自分の手を重ねた。
自分から彼に触れたのは初めてだった。