13話
「この家の人間ときたらわたくしのことを侮るにも程がありますわ!!」
彼女がブチ切れたのはこの家に来て1週間もしないころだった。
日ごと彼女の食事は質素になり、自分の家から連れてきたメイド以外には何を頼んでも、聞いているのかいないのかというような態度で、希望が通ったためしがない。
もともとゲイル様が気づかい、義理の母や祖母が声をかけて可愛がることで、嫌われていたこの家の中でもシェラザードの居場所があったのだ。その家族たちが見放せばこうなるのは当然の結果だった。
「シェーラ!お前がきちんとここにいる間に、家の人間にいうことを聞かせなかったからこんな目に私があうんでしょう!!」
感情的になったシェラザードは噂に違わず、手が早く今も自分の顔に向かって扇子を投げる。
あまりに至近距離の攻撃に当然よけることもできず、扇子は顔に大きな音を立てて当たる。
「さっさと拾いなさい!この愚図!」
痛さに顔をおさえるがこれ以上うるさく言われるのも面倒なので、さっさと扇子を拾って差し出すと乱暴な所作で奪う。
「あの男が夜に来ればお前の仕事など終わりなのに、本当に貧民出のクズが視界に映るたびに不快な思いをさせるなんて、本当に不愉快だわ」
そういいながらドカドカと足音をさせてテーブルにつくとお菓子を頬張り、紅茶で流し込む。かなり品のない行為だと思うのだが、そんなことに構う余裕はないらしい。
毎日食べてばかりで、ろくに動かないシェラザードは驚異的な勢いで体重が増えていっている。
いくらなんでも暗闇でも、気付くぐらいシルエットに差があると思うのだが、もちろん誰も文句は言えない。
「シェラザード様、でしたらゲイル様にお手紙でもお送りになって、夜に来させればよろしいのでは?そうすればこの娘は送り返せばすむことですもの」
マーサの進言に一瞬嫌そうな表情を浮かべる。
「じゃあマーサ。変わりに適当に手紙を作って届けて頂戴」
「かしこまりました、シェーラ。何かあの男が必ず来るような誘い文句はないの?お前がいる間は毎夜来ていたというじゃないの」
「ただ寝にいらしただけですので、私がしたことなど特には」
「何か考えなさい。そのためにお前はいるのよ」
「そんなことおっしゃられても・・・」
ゲイル様を苦しめることのために知恵なんて貸したくないという考えが頭を占めているせいかちっとも思い浮かばない。困ったように言いよどんでいると、お菓子を貪っていたシェラザードが苛立った様に振り向き使っていたフォークを投げる。とっさにフォークはよけたが言葉の刃が続いてとぶ。
「貧民、自分の立場を考えなさい!お前の存在価値などそれしかないのだから、さっさとない頭を使って考えなさい。できないようなゴミはさっさと捨てるわよ!もちろんおばあ様にそれ相応の罰を科してもらってからね」
部屋にいた古株でないメイドからはあまりの言葉に難色を示しているものもいるが、だからといって口は挟めない。
明らかに空気の悪くなった中で、仕方なく考える。罰といえば当然、孤児院のみんなが危険にさらされる事になるのだから。
「・・・『あの日の約束を叶えてください』と書けば・・・もしかすると来てくださるかもしれません」
「あの日とは何?」
またお菓子に夢中に戻ったかと思ったシェラザードは以外と話は聞いているらしい。
「私が里帰りの直前に、夜にお会いする約束をしたんです。きっと記憶がないと言っているので真実が気になっていらっしゃるでしょう」
全ては話さなかったが、それ以上の興味もなかったらしい。
「ではマーサ、それで今晩行くと書きなさい」
「行くですか?」
「当たり前でしょう?ここはわたくしの部屋ですもの。ここに貧民が寝るなんて絶対に嫌です。だからシェーラがあの男の部屋へ行けばよいでしょう」
当然だという顔で話しているが、本来ゲイルの主寝室というのは、妻と一緒に寝ないときに使う為のものなのだ。妻とはいえゲイルの誘いなく入ることなど、本来ありえないし、押しかけるといった行為は恥ずべきとされる以外の何者でもない。
しかしシェラザードの中ではそんなことはどうでもいいらしい。
「では今晩10時にあの日の約束を叶えていただく為にお部屋へ伺います。明かりを消して待っていてくださいと書きましょう」
マーサの言葉にシェラザードはにっこりと笑んでうなずいて見せた。
「ええ、それでいいわ」
「シェーラはせいぜい私に見えるように着飾りなさい。これが終われば帰っていいわ」
えらそうなその態度にいつもながら腹立ちは募るが、これ以上逆らうことになんの意味もない。素直に返事を返せばすっかり興味がうせたらしいシェラザードはマーサに別の紅茶を入れるように指示を飛ばしている。
なんてわがままで自分本位な女だろうとあきれ混じりにひとつため息をついた。
いきなりの手紙に断られるのではないかと思ったが、夕方帰ってきた彼からの返事は早かった。
「待っている」
立った一言の文に胸が熱くなる。
支度は自分でするのかと思いきや、最近雇われたばかりのものたちが楽しそうに身支度を手伝ってくれたので、かなりいい出来ばえのように思えた。
「やっぱり美人は違うわね。シェラザード様には全然見えないけど」
「こらっ、どこで誰が聞いているかわからないわよ」
「まぁ、こわい」
仕事仲間二人の楽しそうな掛け合いに、緊張も少しほぐれる。
「シェーラ、男性に任せて大人しくしていればあっという間のことだから。初めてだから痛いとは思うけど、あまり痛いと声を漏らすと、男性はその気がなくなるというから我慢するのよ」
「そうそう、それに痛みには個人差があるというから、どのくらい痛いかなんてわからないわ。あまり痛くない人もいるそうだし」
「とにかく大人しくしているわ。話してもばれない自信もないし」
「あぁ、確かにね。シェーラにあの!シェラザードお嬢様のようには振舞えないわよね」
『あの』の部分をずいぶん強調した言い方に、他のメイドたちもついつい忍び笑いを漏らす。
残りのメイドたちは、シェラザードの湯浴みの手伝いに総出で当たっているので、ついつい気が緩んでこんな会話になっている。
「とにかく頑張るわ」
できるだけ心配をかけないように笑ったつもりだったが、上手く笑えていなかったようだ。みんなの視線が心配そうなものに変わる。きっと明るく話してくれていたのも、私の不安を和らげようとしてくれたからこそなのだろう。
ただ、みんなは私が今夜のことを不安がっていると思っているようだけど、本当は今夜で彼に会えるのが最後だとわかっているから寂しくて仕方がないだけなのだ。まして、この後は彼女が彼に抱かれるのかと思うだけで胸には黒い霧のようなものが渦巻く気すらする。
自分が抱いてはいけない感情だとわかっているのだけれど、一向に霧は晴れそうになかった。




