9話
「シェラザード」
小さな声に呼ばれて目を開ける。今日二度目の目覚めのせいか、もともと眠りが浅かったのか、一瞬で今の状況を理解できた。自分の腕が彼に巻きついていた為に起きれなかったのだ。
「悪いが、もう起きる時間だ」
「ご、ごめんなさい!」
慌てて彼に抱きついていた腕を放し、飛び起きる。品のない行動だとわかっていたが動揺に包まれた自分にはそんなことまで慮る余裕はない。
「構わないが、シェラザードから抱きついてくるなんて初めてだな。そろそろ本当に妻になる気にでもなったのか?」
からかうような笑顔に自分の使命をすっかり忘れていたことを思い出す。
『そして一度は必ず契りなさい。しかし決して子供をなすことは許しません。』
あの時のキンキンと耳に痛い声もセットで思い出す。一度は契るどころか全くそういった接触を持ってはいない。
明後日に帰り、入れ替わりここに戻ってくるシェラザードは自分とは違う。
2ヶ月以上妻の務めを果たさず、ようやく答えた妻が他のものと愛を交わしたあとだとわかったらどんな気がするのだろう?
傷つくのではないだろうか。
それと同時に頭によぎる。彼から貰った優しい言葉やぬくもりを返すことなく私はここを去る。自分に持っているものはこの身一つ。位もお金も美貌すらもってはいないけれど、そんな価値があるのかわからないこの身一つで、何かが返せたらいいと思う。
こんな考えは言い訳に過ぎないとわかっている。でも最後に彼が愛した人にしか与えないぬくもりがほしいと思った。
「どうした?そんなに考え込んで」
「ゲイル様、今夜、お帰りをお待ちしております。できればお早くお戻りくださいね」
できるだけかわいらしく見えるようにと思いながら、彼に笑って見せると驚いたように少し目を見開いた。
「いいんだな?」
念押しするようにまっすぐに見つめてくる目に、全てを見透かされているような気がする。自分の気持ちがわかるわけはないと、迷いを払うつもりではっきりと彼の目を見て答えた。
「お待ちしております」
きっと品のいいお嬢様はそんなことをはっきりとは伝えないだろうと思い、自分も言うのは流石に恥ずかしいと誤魔化して伝えてみたが、思うところはきちんと伝わったらしい。
「わかった。できるだけ早く戻る」
そういって笑った彼の笑顔は、今までみたどの笑顔より獰猛で男の色気を孕んでいた。
高鳴る鼓動とともにすごく恥ずかしいことを言ったという、実感が湧いてきて顔に血が上る。
気持ちを切り替えると早いのか、さっさとベッドを抜け出し部屋へ戻っていく。自分たちの寝室はつなぎ間となっているため、扉でつながっている。今見送ったばかりだというのに、今夜のことを思うと早くも恥ずかしさに体が熱くなる気がした。
じたばたと暴れたい衝動に駆られながら、今の今まで体を任せていたベッドに突っ伏す。
「ゲイルさま、愛しています」
不明瞭にくぐもって聞こえた声は、誰もいないこの部屋には聞くものがいないとわかっていたが、はっきりと口に出すことは何かを壊してしまう気がしてできなかった。
「マリ、リューン、お願いがあるのだけれど」
もの凄く恥ずかしいと思いながらも、この二人以外に自分が相談できる相手はいない。
「なんでしょうか?ご主人様」
マリの答えにリューンも改まった私の言い方に不思議そうに視線を返してくる。
「その、ね。殿方が・・・喜ぶような服装というか・・・好まれる服装というか・・・・」
「・・・夜の、ということですか?」
恥ずかしさに言いよどんでいると、察しのいいマリが少し潜めた声で聞き返してくれる。
小さくうなずくと、なぜかマリとリューンの二人の顔が輝いた。
「お任せ下さい!!今までも十分にお美しいですけれど、さらに磨き上げますわ!!」
「ゲイル様がお喜びになられますわ」
「それは、・・・どうかしら」
「いいえ、絶対です!!」
二人のメイドの気合には少し驚いたが、これならきっと頑張ってくれることだろう。
彼の記憶に最後に残る自分は少しでも、彼にとって好ましいものであればいいと思っての行動だった。
しかし、そろそろ夜を迎えようかという時刻になる頃には後悔し始めていた。
たっぷりの湯を使って全身を磨き上げられ、髪はくしけずられて輝きを増している気がする。体には花の優しい香りのするクリームを二人がかりで塗り込められた。
マリの素晴らしいテクニックで、メイクをしているように見えないくらい自然に仕上げてくれた。
そこまではとても嬉しかったのだがその後が問題だった。
パールのような滑らかな光沢のある生地を使ったナイトウェアは、胸元に繊細なレースがあしらわれてはいるものの、とてもレースではカバーできないくらいしっかりと胸元が開いているし、体にフィットしたラインにのせいで、下手に裸でいるより体のラインがわかる気がする。しかも丈が短いのにスリットが入っている意味不明なデザインのせいで足はほとんど隠れてないと思う。
頼みの綱ともいえるガウンは丈こそ床まであるものの、薄手で肌がうっすらと透けて見えている。隠す気が感じられない。むしろ下が見てみたくなるような妖しげな感じ。
「本当にこの服装で喜ばれるのかしら」
遠まわしに嫌だなぁという気持ちを主張してみたのだが、楽しそうなメイド二人には全く伝わらない。
「そんなことございませんわ、本当に美しくていらっしゃいますもの」
「でもその・・・肌の露出がちょっと多すぎ・・・な気が」
「いいえ!!そんなことありませんわ。毎晩のお通いになられているゲイル様に、さらに喜んでいただこうというのですもの!!このくらいしなくては!!!」
「ゲイル様でなくても、ふらふらと吸い寄せられそうなくらいの美しさですわ。きっとご満足いただけます!!」
私達が初めてなんてことは知らなくて当然だったのに、すっかりそのことを失念していた。
ということは・・・二人の頭の中では、結婚してそろそろ2ヶ月くらいたったから、今まで以上にゲイル様に喜んでいただこうと私が思っていることになっているということか。
どうりで初めての晩にしては、色気過剰だと思ったよ・・・。
言葉にできない思いを心の中でつぶやくが当然伝わるはずもなく。
結局その姿のまま寝室で彼を待つこととなった。




