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天を穿つ黴  作者: 宇白 もちこ
第三章 交流
20/33

3-9

「気を付けてね」

 梅はまた心配と羨ましさが混ざった表情でそう言った。林檎は、再び『上』への瞬間移動を試みようとしていた。


「あのさ、梅」

「なに?」

「黴って生きてるのかな」


「んー、『生きてる』の定義にもよるんじゃない?」

 梅は真面目な顔で答える。


「リンちゃんが『上』に行っている間に調べておくよ」

「うん」


 林檎は目を閉じ、瞬間移動をした。移動先は、前に行ったときにあたりをつけていたトイレの掃除用具入れだ。


 瞼を開けると、目の前にはモップや雑巾があった。成功だ。壁の方を向いていたため、足元のバケツを蹴らないよう気をつけながらそっと振り返った。すると、ある物が目に入った。


 扉の内側に、太いテープで何かが貼り付けられていた。よく見ると封筒のようだ。封筒には大きく『ユキトより』と書かれている。ユキトと言えば、ユッキーの本体の名前だ。これは一体どういうことだろうか。触れてみると、封筒に何か硬いものが入っていることが分かった。


 人の声が聞こえる。誰かがトイレに入ってきたのだ。当然のことながら、掃除用具入れに鍵はついていない。


 林檎はその封筒をテープごとぺりっと剥がすと、自室へ瞬間移動した。


 梅と一緒に封筒の中をあらためると、中には小さな外部記憶装置と、一枚の紙が入っていた。

 紙には、『パスワードはあなたの名前』と書かれている。まだ何のことかは分からない。


 外部記憶装置は、深園で流通しているものと同じようだ。林檎はそれをつまむと「どうする? 見てみる?」と尋ねた。


「見ないで我慢するってことが私たちにできる?」

「できないよね」


 林檎は笑みをこぼし、それを自分の端末に接続した。


 外部記憶装置の中には、一つのフォルダが入っていた。フォルダを開こうとするとパスワードを求められた。


 紙に書いてあったメッセージによると、受け取り手の名前を入力すれば良いらしい。試しに『林檎』と入力してみると、フォルダが開いた。二人は顔を見合わせる。


「じゃあ、これはユキトって人がリンちゃんに宛てたものってことだよね」

 梅はそう言うと、「つまりどういうことだ?」と頭を抱えた。


 フォルダの中には、テキストファイルと画像ファイルが一つずつ入っている。


「あのさ、おかしいのは、この封筒を用意した人が掃除用具入れのことを知っていたことだよ。リンちゃんが掃除用具入れに移動しようとしていたことは、リンちゃんと私以外の人が知るはずがない」


 たしかに梅の言う通りだ。説明のつかない不可解な状況に、林檎はファイルを開くのを躊躇したが、梅が促すように「どっちから見る?」と言った。


「テキストから。怖い画像だったら嫌だし」


 テキストファイルを開くと、そこにはユキトとシュンという人物から、林檎に宛てたメッセージが書かれていた。二人は黙りこくってそれを読み終わると、揃って「うそでしょ」と言った。


「この、『林檎のコピー』というのは、たぶん『上』から帰った時に発生した残影だよね」

 梅が確認した。


「そうだと思う」


 メッセージによると、彼らは、『上』に戻ったユッキーや林檎の残影から情報を得て、林檎のことを知ったのだという。彼らにも林檎や梅と同じような能力があるらしい。また、林檎たちのことを『上』の他の連中に告げ口する意思はなく、自分たちは深園の人間に同情的であることも書かれていた。

 最後に、もし話を聞いてくれるなら添付の画像の場所に瞬間移動してほしい旨と、このテキストファイルは複製せず速やかに削除してほしい旨が記載されていた。


「掃除用具入れのことは、その残影から聞いたんだ。リンちゃんの残影はこの人たちを信用したってことか」

「うーん、まあ、そういうことになるか」


 残影から無理やり聞き出したとは考えにくい気がする。ただし、『上』の科学技術については何も分からない。想像のつかない手段によって、知る方法があるのかもしれない。


 林檎は次に画像ファイルを開いた。


「これはキッチン?」

「給湯室みたいな感じだね」


 シンクや小さな冷蔵庫が、狭い空間にきれいに収められている写真だ。ユキトたちに会いたい場合は、ここへ瞬間移動すればいいらしい。


「どう思う」

 もう一度メッセージを表示させて、林檎が梅に尋ねた。


「書かれていることが本当なら、すごく会ってみたい」


 私たちは三人とも、外の世界に胸を焦がしている。できることなら、外へ出たいと思っている。もし『上』に協力者ができれば、その目的には間違いなく近づくだろう。


「だけど私たちにとって、あまりに都合が良すぎる話だよね。信じるには危険すぎるし、怪しすぎる。もうちょっと読ませて」


 梅と林檎は、繰り返しメッセージを読み直した。


 彼らを無防備に信頼するのは危険だと、頭では理解していた。しかし、外の世界への好奇心と渇望が、その理性にあらがおうとしていた。


「邪魔だってば」

 梅がそう呟いたので、林檎は振り返った。


「いや、さっきから、残影が私の目の前に来るからさあ」


「私の残影?」

 林檎がそう言って梅の方へ手を伸ばす。


「吸収されたくないみたい。リンちゃんのこと、仰け反るみたいに避けた」


 その様子がおかしかったのか、梅はふふふと笑った。


「言いたいことがあるのかな」


「もしかして、このメッセージに書かれてるリンちゃんの残影なのかな?」


 二人はその残影に対し、いつものやり方で質問を行った。その残影は、予想通り『上』でユキトたちと交流した残影だった。彼らのことを信用し、写真の場所へ行くべきだと言いたいらしい。


「リンちゃんがそう言ってますよ、リンちゃん!」


 梅が冗談めかして言う。自分の分身が彼らの話を聞き、信用できると判断したのだ。その事実は、林檎の心に確かな重みをもって響き、これまでの疑念が一掃されるような感覚を覚えた。自分の分身が導き出した結論なら、きっと間違いはないだろう。危険を承知の上で、この未知なる出会いに賭けてみる価値はある。林檎は心を決めた。


「その前に、木蓮にも報告だ」


 瞬間移動した林檎は、素早く辺りを見回す。誰もいない。辺りの様子は、送られてきた写真とほとんど変わりはなかった。暖かく清潔だが、狭い部屋だ。扉がひとつだけある。これは林檎の勘だが、ここは深園ではなく『上』に位置する場所のように感じられた。


 慎重に扉を開けると、正面に左向きの立派なデスクが目に入った。デスクの右手には男性が座っていた。彼はすぐに顔を上げ、林檎を確認して少し目を見開くと、笑みを浮かべた。


「林檎だね」

「ユキトね」

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