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天を穿つ黴  作者: 宇白 もちこ
第三章 交流
19/33

3-8

 そう言うと、シュンがまた言葉を止めた。どうやらユキトに遮られたようだ。何度も邪魔をする彼に、シュンはゆっくりと首を振り、そのまま黙り込んだ。穏やかな表情ながらも、呆れと諦めがじんわりと滲む。シュンの後ろでじっとしていたユッキーが、静かに動いて彼の隣に立った。それに勇気づけられるようにシュンは再び口を開く。


「ユキト、君はいつも正しいよ。でも、正しさは人や立場によって変わるでしょ。最近、ユキトにとってのその判断基準が揺らぎ始めているんじゃない? そこから目を背けようとしているように俺には思える。俺たちの仕事についての善悪の話は、今更ここで持ち出すつもりはないけどさ。ユキトの筋が通った人生に後悔が混じらないように、柔軟に考えるべきなんじゃないのかな」


 シュンは覗き込むような視線をする。


「リスクの話をするなら、ほとんどないと思う。彼女が本体に吸収されるとき、彼女の記憶は残らないんだ。仮に俺みたいにコピーが見える人間が『下』にもいたとしても、彼女一人にできることはないよ。俺が話すことについての裏付けもないし。下の社会における管理システムへの信頼と国民の思考力の低さについては、俺たちが一番よく分かっているでしょ。代わりに、俺たちに敵意がないことを納得してもらえれば、彼女とコミュニケーションを取ったり情報をもらえたりするかもしれない。

 俺たちは、正しい情報を集めて、正しい選択をするときだと思う。でも、もちろんユキトの意思は尊重する。だからこれは、俺がユキトの助けを借りたいがための、わがままだとも言えるね」


 シュンは照れ隠しの苦笑をこぼした。


 彼の言葉に林檎は感動しつつ、確かに彼の言う通りだと思った。私が手に入れた情報は、本体や梅に共有できなければ何の意味もない。それに、残影の身体で情報を伝えるには限界があるだろう。せめて、シュンとユキトのことだけでも伝えられればいいのだが。


 そのとき、林檎はあることに気づいた。不安が胸を締め付け、焦りが全身を駆け巡る。


 自分の身元が割れる心配はないと安堵していたが、ユッキーのことを考えると話は別だ。彼が梅のところまでユキトたちを連れて来るかもしれない。そうなったら、一体どんな目に遭うのだろう。


 林檎は切実な思いでユッキーを見つめた。


「そうだ、君は『下』の様子を見てどう思った?」

 シュンが隣にいるユッキーに尋ねる。


「『下』の人たちとコミュニケーションを取った?」


 ユッキーは左に動く。


「今のユキトと、意見は同じ?」


 ユッキーは右に動く。


「意見は違うそうだよ」

 シュンがユキトに伝える。


 束の間の無音の後、ユッキーがまた左に動く。ユキトが何か質問をしたようだ。なんと質問したのだろう。


「ユキトが、下の人たちの生活を見て考え方が変わったのかって聞いたんだよ」


 シュンが親切にも林檎に教えてくれる。彼は複雑な表情を浮かべていた。不安や後ろめたさの中に喜びがあるような、そんな表情だ。それから控えめにユキトに視線を向けた。彼が何かを言っているようだ。


「同情的になったということ? ってユキトが質問してるんだ」


 シュンは再び林檎に教えてくれた。彼はどこか期待の込もった目でユッキーを見る。ユッキーは逡巡を見せてから左に少し動いた。


 シュンが「ユキトは元々同情的だったでしょ」と言うと、ユッキーに重ねて「同情的よりも好意的という感じ?」と質問した。


 ユッキーは左に動く。


「はい、とのことだ。あの人たちが僕たちと同じだって思ったんじゃない?」


 ユッキーは迷いなく左に動く。


「はい、って言ってる」


 シュンは安堵の表情を浮かべ、気遣うように少しの間を置いた。ユッキーはそのままじっとしている。シュンは、ゆっくりとした動作でジュースを飲むと、何かを待つように沈黙した。ユキトもまた、黙り込んでいるのだろうか。ユッキーは考え方が変わったことを示したが、ユキトは元々どんな考え方をしていたのだろう。ユッキーが吸収を拒んでいたのは、その気持ちの変化を伝えたかったからだろうか。ユキトは、自分の分身であるユッキーの気持ちを無下にできず、深く考え込んでいるのかもしれない。


 シュンは控えめな口調で尋ねた。

「例えば、下の人たちを解放するのには、賛成?」


 林檎は思わずシュンの顔を見る。深園の人間を解放する手段があるのだろうか。ユッキーは左に動いた。


「はい、だって。ふふ、これも間違いなくユキトの意見だからね」

 シュンは、あどけない笑みをこぼした。


「受け入れられないなら、俺の言っていることを信じないって逃げ道はあるけど。コピーは俺にしか見えないんだし」

 シュンがからかうような口調でそう言って、その後に笑った。きっとユキトは否定したのだろう。


 それからシュンは真剣な顔でユキトの方を見た。彼が何か言っているらしい。


 すると、ユッキーがユキトのいる方へ近づき、すっと掻き消えた。吸収されたのだ。


「その言葉を聞きたかったみたいだね」

 シュンは柔らかい微笑で静かにそう言った。

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