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天を穿つ黴  作者: 宇白 もちこ
第三章 交流
14/16

3-3

 手を止めていたため、梅に視線で促される。林檎は慌てて画面をタップし、適当な場所に黒い駒を置く。


「今、妬ましいと言ったね」


「はい」


 おじさんが飲み物を口に運び、浅い溜息をつくと唸った。


「ええ、なんですか」

 賛同しかねるというおじさんの反応に、若者は戸惑っている。


「そりゃあ、精神疾患になる割合が僕らより非常に高いのは知っていますが、そんなの甘えですよ。先天的な病気はなくなったはずだし、向上心を持って健康的な習慣を心がければ罹りませんから。僕は贅沢な話だと思いますけどね。こんなに恵まれていて、何が不満なんでしょう。彼らの見た目が僕たちより幼く見えるのも、きっと苦労を知らないからですよ」


 贅沢。

 最近、木蓮と同じような話をしたのを思い出す。


「それに、自由だという点も羨ましいですね。僕には自由がありませんから。働かないと暮らしていけないし、どんな行動にも責任が伴う」


「私の考えとは随分と違うようだ」


 そう言っておじさんは店内を見回す。林檎は慌てて真剣な顔をつくり、オセロの盤面を睨んだ。


「私は、ここで暮らす人間のことを黴だと思っている」


「黴?」


「彼らは生暖かく薄暗い場所で何もせず、時間の経過をただぼんやり見ている。考える頭を持たず、受動的に繁殖していく。同じ人類だとは思いたくない。自由への探求や想像力を手放したら、人類とは別の生物だと分類してほしいね」


 どんと胸を押されたような感覚に見舞われた。


 軽く画面に触れていた指が、するりとずれてしまう。手のひらには汗がにじんでいる。そうだ、オセロをしないと。次は梅の番だ。彼女の顔をちらりと見ると、頬を赤らめている。彼女も、林檎と同じ気持ちなのかもしれない。


「そんなことを考えてらっしゃるんですか」


「君もこの仕事を続けていけば、気持ちが分かるさ」


「ふーん、……黴ですか」


「ああ、黴だ」

 おじさんは忌々しい口調で言い放つ。若者がふと顔を上げる。


「僕たち、こんな場所でこんな話をしていていいんですかね」


「この黴どもには想像力が欠落している。盗み聞きされたところで、お芝居の台詞合わせか何かだと思うだろう。それどころか、たとえ私たちが両肩を掴んで真実を説明したとしても、妄想だと一笑に付されるか、病気だと気の毒に思われるだけだろう」


「なんだか、ここの人を見ていると気持ちが沈みますね。哀れというか」


「できれば降りて来たくないのは、みんな同じだ。ただ、これも仕事のうちだからね。定期的にここへ降りてきて、彼らの暮らしぶりを見て、彼らが同じ形をした人間なのだということを目で確かめないといけない。でないと研究結果に偏りが出たり、非人道的なことをする研究者がいたりする。私自身のことを鑑みると効果は薄いようだが」


 おじさんは皮肉な笑いを浮かべる。


「あ、でもそれはちょっぴり分かります。僕も、今回ここへ来るまでは、虫の巣穴を覗き込むような気持ちでしたから」


 二人組は、それから十分ほど話をしていたが、おじさんの「では、そろそろ行くかね」という言葉で立ち上がった。

 林檎と梅も、携帯端末を使って素早く会計を済ませると、彼らを追う。二人組は、エレベーターの方へ向かっているようだ。


 これはチャンスだ。梅が携帯端末でカメラを起動させ、その画面を林檎へ見せる。エレベーターが開いたら、内側を撮影しようという合図だろう。


 二人組はエレベーターの前へ到着し、おじさんがモニターを操作し始めた。彼らとの距離が近いため、このままだと追い抜いてしまいそうだ。


 ちょうど男たちの真後ろ、つまりエレベーターの正面に差し掛かった時、梅がわざとらしく声を上げた。


「あれ、逆じゃない?」


 携帯端末のカメラをエレベーターの方へ向ける形で、林檎に画面を見せる。「やっぱり向こうじゃない?」と言いながら、今やって来た方を指差す。

 林檎はぴんときて、話を合わせる。梅は、道に迷って地図を確認しているふりをしているのだ。もちろん携帯端末の画面には、地図ではなくカメラ越しの二人組が映っている。

 若い方の男性が、二人が見ている画面の中でこちらを振り返り、不審そうな視線をカメラに向ける。


 おじさんのモニターでの操作が終わり、エレベーターの扉が開いた。


「あ!」

 梅が声を上げ、林檎はびくりとする。


「待って、地図の見方が間違ってた」

 梅は取り繕うように言う。


 二人組がエレベーターの中に入り、扉が閉まった。


 廊下に二人きりになると、「ユッキー、エレベーターに乗って行っちゃった!」と梅が言った。さっき驚いていたのはそれか。


「仕方ないよ。上に戻れるチャンスだったもんね」


 貴重な情報源である彼がいなくなるのは惜しいことだが、今は、それよりも新しい手がかりが気になる。二人はその場で携帯端末の画面を覗き込んだ。


「撮れたかな?」


 画面には、怪しむようにこちらを振り返る若者が映っている。改めてじっくり観察すると、深園で見かけても違和感のない、普通の男性だ。服装も体つきも特徴的ではない。カメラ目線なので、撮られていることに感づいているのかもしれないが、たとえそうだとしても林檎たちのやろうとしていることまで悟られる心配はないだろう。


 エレベーターの内部についても、ばっちり撮れている。二人組が映り込んでいて邪魔ではあるが、おそらくこれで瞬間移動はできるだろう。二人は十二区画まで帰って木蓮に報告し、これからのことを十分に話し合った。

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