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二人とユッキーは十六区画の三十階へ来た。どんどん駅から離れてゆく。看板やポスターなどはほとんどなく、用途の分からない空間が続いていた。
ユッキーが立ち止まり、それを見た梅が立ち止まり、そして林檎も立ち止まった。
ある扉の前だ。エレベーターの扉のように見えるが、ユッキーが教えてくれなければ気づかないような、地味で素朴な扉だ。扉の隣には、入力用のモニターがついている。これが、『上』へ通じる場所ということだろうか。
梅が勇敢にもそのモニターを操作したが、扉を開くことはできなかった。おそらく、暗証番号かそれに類するものが必要なのだろう。モニターには『ロックを解除してください』と表示されており、この国で使っている文字と同じものだ。ユッキーにも話が通じるため、少なくとも『上』に住む人間とは、使っている言語が同じだと考えて良さそうだ。
「生体認証なのかな」
梅がユッキーに確認したところ、『はい』とのことだった。
「生体認証じゃ開けられないよなあ。ユッキーには実体がないし」
その扉を確認させるのが目的だったのか、ユッキーはその場を離れた。「ついて来てほしいみたい」と梅が林檎に伝え、二人はまた彼を追いかける。
「あの喫茶店の前で止まった」
扉からそれほど遠くないところにある喫茶店を、梅が指差す。同じ店が他の区画にもあったため、二人も入ったことがある店だった。たしか飲み物と軽食を提供している店だ。きっと、労働者が休憩の時に使うのだろう。
さりげなく喫茶店の窓を覗くと、店内は四割くらい埋まっている。この店に入れということだろうか。
二人は店に入り、一番奥の目立たない席に座った。梅の話によれば、ユッキーは今テーブルの脇に立っているらしい。彼は私たちに何を伝えたいのだろう。
飲み物を注文すると、梅は林檎に話しかけるふりをしつつ、ユッキーに質問を始めた。
「さっきの扉はエレベーターの扉? ……はい」
「さっきの扉から『上』へ行けるの? ……はい」
「この店へ来たのには何か目的があるの? ……はい」
「この店に、エレベーターを開けるための鍵か何かがあるの? ……いいえ」
「この店に、『上』に関する情報があるの? ……いいえ。でもなんか曖昧かも? 迷ったみたい」
「誰かを探してるんじゃない?」と林檎が口を挟む。
「この店で誰かを探してるの? ……はい、だってさ!」
しかしユッキーには、梅のことしか見えていないはずだ。誰かを探しているのであれば、ユッキーの代わりに私たちが見つける必要がある。
「それは、『上』の人間? ……はい」
「『上』の人間がこの店にいるの?」
声を殺しながら、林檎は驚く。ユッキーが言うにはその人物は客らしい。ユッキーには梅以外の人間が見えないにも関わらず『その人物はここにいる』と主張していることを考えると、決まった日の決まった時間にこの店を訪れる客だと考えられる。
梅は、その人物を特定するための問いかけを続ける。
林檎はそれに耳を傾けながら、さりげなく客を観察し、それっぽい人物を探そうとした。制服や作業着を着ている人は、この区画で労働している人だと思われる。スーツ姿の人もいるが、みんな首から社員証を下げている。この人たちもおそらく、この区画の労働者だろう。そうやって客を除外していくと、ある二人組の客が残った。その客は二人とも男性で、一人は四十代くらい、もう一人は二十代前半に見える。ユッキーの示す人物の特徴にも当てはまりそうだ。
ちょうどその二人組の隣のテーブルが空いていたため、店員に断って席を変えてもらうことにした。林檎と梅が席に着くと、おじさんの方の声が聞こえてきた。
「のんびりしたものだ」
それに若い方が答える。
「いっそ、下で生まれ育った方が幸せなんじゃないかと思うときがありますよ」
『下』という言葉が出たことに、梅も気づいただろうか。梅の方を見ると、視線を床に落としているものの、彼女の顔はほとんど隣を向き、聞き耳を立てていることがバレバレだ。怪しまれるといけないので、林檎は大きめの声で「オセロやろうよ」と梅に声をかけ、携帯端末にオセロの画面を表示させた。二人は向かい合って林檎の携帯端末の画面を見つめ、たまに画面をつつきながら隣の話を盗み聞きする。
「そんなに仕事が嫌かね」
「今の仕事は気に入っています。ただ、生きているだけで常に何かに追われているようで」
「私はその方が幸せだと思うがね」
「ええ。私もこちら側にいる以上、そう思います。ただ、石の中で苦しみを知らずに一生を終えるのは、羨ましいような妬ましいような気持ちになります。もちろん、幸せなのは何も知らないからでしょうけど」
若者の言い方には、どこか自慢げな響きがある。『こちら側』というのが『上』のことで、『石の中』というのがこの国、深園のことだろうか。この二人組は、ユッキーの言っていた『上』の人間だと思ってよさそうだ。




