68、白銀の魔剣士
城門は軋む音ひとつ立てることなく、ゆっくりと開いた。
まるで最初から、この夜の訪れを受け入れていたかのように。
白銀の外套が夜風をはらみ、静かな波のように揺れる。
その足音だけが、石造りの回廊に低く、規則正しく響いていた。
振り返ることも、立ち止まることもない。
迷いは──なかった。
城内に満ちる空気は、不思議なほど静まり返っていた。
侵入者を拒む緊張も、慌ただしい足音もない。
その異様な穏やかさに、サイラスはわずかに目を細める。
──読まれている。
そう悟ったが、歩みは止めなかった。
罠であろうと構わない。
むしろ待たれているのなら都合がいいとさえ思いながら、彼は迷いなく奥へと進む。
辿り着いたのは、玉座の間だった。
薄暗い燭台の光が揺れる中、その中央にひとりの男が立っている。
まるで最初から、この夜の訪問者を迎えるためだけに。
「……来ると思っていたよ。サイラス」
苦笑を含んだその声は、静まり返った広間に淡く響いた。
名を呼ばれても、サイラスの表情は微動だにしない。
ただまっすぐに、王太子を見据えるだけだった。
「こそこそと俺の周りを嗅ぎ回ってくれたようで……本当に、何から何まで気に入らない男だ」
吐き捨てるような声だった。
その敵意の理由を、かつてのサイラスは理解していなかった。
ただの政敵でも、王位争いでもない。
あまりにも私情に満ちた視線を向けられるたび、違和感だけが胸に残っていた。
だが──ようやく、すべてが繋がった。
ウェルザンで起きた魔力枯渇事件。
その真相を辿り、いくつもの証言と証拠を積み重ねた先で行き着いた名。
──レグナート王国の王太子、アレックス。
ミリアに魔力を蓄えられる国宝のペンダントを与え、聖女に仕立て上げようとしたこと。
ジークハルトへと近づけ、政局を揺らそうとしたこと。
さらに海賊騒動では、フェルカに策を授け、自ら討伐の立役者となる筋書きを描いていた。
英雄として名を上げ、その褒賞として──エリザベス王女を望むつもりだったのだ。
すべては最初から、彼女を手に入れるためだけに。
その執着の理由を思い至ったとき、胸の奥で何かが静かに冷えた。
ああ、そうか。
俺が、彼女の隣に立っていたからか。
いまならわかる。
目の奥に宿る濁りの正体も、向けられてきた棘の理由も。
改めてアレックスを見据えると、その視線は隠そうともせず嫉妬に塗れていた。
王太子としての威厳でも、政敵への警戒でもない。
ただ一人の男として、エリザベスの隣に立つ俺を憎んでいる目だ。
調べ上げた過去が、静かに脳裏をよぎる。
俺とエリザベスが婚約する前──
彼女には、アレックスとの縁談が持ち上がっていた。
強く望んだのは、アレックス自身。
だが最終的に選ばれたのは俺だった。
ジークハルトと彼女の祖父である先先代国王が、俺とエリザベスの関係を知り、婚約を決めた。
政略ではなく、情を汲んだ判断。
だからこそ、その瞬間から俺はこいつにとって奪った側になった。
王位でも、名誉でもなく──『エリザベス』という存在を。
喉の奥がひどく乾く。
違う、と頭では理解している。
彼女は自分の意思で俺を選んだ。
それは奪ったわけではない。
けれど──
理屈がどうであれ、結果として隣に立ったのは俺だ。
その事実が誰かの歪みを加速させたのなら、引き金を引いたのは、やはり俺なのだ。
俺が隣に立たなければ、こいつは動かなかったのかもしれない。
そう思わずにはいられなかった
魔力枯渇事件も。
海賊の一件も。
回帰前、彼女が処刑台に立たされたあの結末さえ。
すべての引き金が、俺だったのだとしたら。
胸の奥で、何かが静かに崩れ落ちる。
アレックスの目から嫉妬が消えないのは当然だ。
あれは、奪われた者の目だ。
そして俺は──奪わせてしまった者だ。
どうして、今まで気づかなかったのか。
思い返せば兆しはいくらでもあった。
向けられる敵意も、過剰な対抗心も。
だが俺は見なかった。
彼女以外のことに、興味を向けようとしなかったからだ。
彼女の隣に立つことだけを考え、それ以外を切り捨ててきた。
その結果、足元で燻っていた嫉妬に気づかなかった。
──だが。
ひとつだけ、どうしても腑に落ちないことがあった。
あれほど執着していたはずの彼女を、なぜ孤立させたのか。
悪評を流し、毒を盛り、彼女を信じる者を遠ざけた。
回帰前には、ミリアを使って処刑台にまで追い込んだ。
愛していると言いながらなぜそこまで壊すのか、理解できなかった。
だから、問うしかない。
「エリーを……エリザベス王女を──」
「っ、気安く彼女の名を呼ぶな! 貴様如きが!」
彼女の名を口にした次の瞬間、激しい金属音が玉座の間を震わせる。
怒りに任せて振るわれた刃を、サイラスは受け止めた。
火花が散り、互いの距離が一瞬で詰まる。
先ほどまで余裕を装っていた男の顔は、もはや別人だった。
歪み、理性を失い、むき出しの嫉妬だけが浮かび上がっている。
「本当に……お前が憎くて仕方がないよ。エリザベスを奪っただけでは飽き足らず、その涼しい顔で私を踏みつけてきた。何もかも手に入れた者の顔でな」
「……彼女は、お前のモノではない」
「黙れっ!!」
アレックスの声が、玉座の間に鋭く響いた。
「彼女は、この世界に選ばれている。……本来なら、俺と共に在るために」
それは怒号ではなく、歪んだ信念を押し殺した声だった。
怒りに任せて振るわれるアレックスの剣は確かに重い。
しかしその軌道は荒く、感情に引きずられているのが見て取れた。
対するサイラスは一歩も退かない。
踏み込むこともなく、ただ最小限の動きで刃を受け、流し、逸らす。
余計な力を使わず、必要な分だけで制する。
数回、刃を交えるうちに、アレックスの呼吸が乱れ始めた。
焦りが混じり、動きが鈍る。
次の刹那、均衡は崩れた。
アレックスが力任せに振り下ろした刃を、サイラスはわずかに身を捻って受け流し、その反動を利用して鋭く打ち払う。
甲高い金属音が響き渡り、弾かれた剣は主の手を離れて床を滑り、遠くで乾いた音を立てて止まった。
息を呑む間も与えず、踏み込む。
同時に、白銀の剣先が真っ直ぐに喉元へと突きつけられる。
距離はわずか。
あと一寸でも進めば、皮膚を裂く位置だった。
アレックスの指先に魔力が集まりかける気配が走る。
だがそれすらも許さない。
紡がれるより早く、殺気がそれを断ち切った。
玉座の間に落ちたのは、完全な静寂だった。
「……っ、白銀の魔剣士というのも嘘ではない、か」
震える声が漏れる。
だがサイラスの目は、少しも熱を帯びていなかった。
「……違う」
「何?」
喉元に突きつけた刃は揺らさぬまま、サイラスは静かに否定した。
アレックスの眉がわずかに動く。
燭台の火が揺れ、広間の空気がひととき止まったように感じられた。
サイラスは視線を外さず、淡々と続ける。
「……彼女の傍に立つために、必要だっただけだ。白銀の魔剣士などという名は、結果に過ぎない」
誇示するでもなく、誇るでもなく、ただ事実を述べる声だった。
強さを求めたのは事実だ。
だがそれは誇るためではない。
彼女の隣に立ち、彼女を守り抜くための力が欲しかった。
ただ──彼女の隣に並ぶ資格が欲しかった。
婚約者として胸を張れるように。
どんな敵からも守れるように。
隣に立つに足る男であると、自分自身に証明するために。
その積み重ねの先に、白銀の魔剣士という呼び名があっただけだ。
「……それだけだ」
その重さを、理解しているのは彼一人だった。
読んでいただきありがとうございます!




