67 、見送る背中
ヴォル視点です。
城に戻ったあいつは、静かすぎるほど静かだった。
姫さんを見るときの目も、どこか違っていた。
どこか──覚悟を決めた者の目だ。
それは、見覚えのあるものだった。
胸の奥が、わずかに冷える。
指先に魔力を集めると、闇色の鳥が音もなく生まれた。
「……頼むね」
それだけ言って、空へ放つ。
疑っているわけじゃない。
姫さんが泣く未来だけは、見たくなかった。
それだけだ。
◇◇◇
夜風が、わずかに冷たい。
あいつがレグナートの城にいると伝えると、すぐに迎えに行くと決めた姫さんの横顔には、もう迷いはなかった。
月明かりに照らされたその横顔は、不思議なくらい静かで、強い。
胸の奥で、小さく息を吐く。
……ああ。やっぱり、そうか。
驚きはない。
分かっていた。
最初から、こうなることくらい。
ウェルザンで、サイラスが意図的に距離を取り始めたあの頃から。
理由も分からないまま、それでもどこか寂しそうにしていた姫さんを見ていた。
隣にいたのは、確かに俺だった。
並んで歩き、手を差し出し、笑わせることもできた。
触れられる距離に、いつもいた。
けれど──
姫さんが見ていた先は、俺じゃなかった。
あいつの背中を、無意識に探してしまう視線があった。
名前を呼ぶとき、ほんのわずかに息が揺れることも、知っていた。
──気づかないふりは、できなかった。
(……俺は、ここまでか)
今さらの問いだ。
答えなんて、とっくに知っている。
もし、ほんの少しだけ踏み込んでいたら。
名前で呼んでいたら。
あの手を、引いていたら。
……何か、変わっただろうか。
──いや。
そんな未来は、最初からなかった。
胸の奥がほんの一瞬だけ軋むが、それもすぐに押し込める。
そばにいると決めたのは、俺。
守る側でいいと選んだのも、俺。
なら──
最後まで、その役目を果たすだけだ。
ひとつ息を吐いて、いつもの調子を取り戻す。
姫さんが掌の中のブローチを見つめたとき、何を考えているのか、もう分かっていた。
光は焦ることもなく、ただ呼ぶように静かに強く脈打っている。
──ああ、やっぱりそうか。
姫さんは、あいつのところへ行く。
止めようとは思わなかった。
止められる立場でもないと、分かっている。
姫さんは、俺が守るべき人だ。
けれど同時に──俺が、選択を奪っていい人じゃない。
掌の中の光が、ふっと強く瞬いた。
姫さんが顔を上げる。
その瞳は、もう迷っていなかった。
「……いってらっしゃい、姫さん」
あえて、その呼び方を選ぶ。
“エリザベス”とは呼ばない。
それは、俺の場所じゃない。
俺が、ここにいられる距離の呼び方で。
姫さんは、小さく頷いた。
「……行ってくるわ」
静かな声だった。
それは迷いを断ち切った決意であり、すでに出ていた答えでもあった。
次の瞬間、転移魔法が展開する。
月明かりの下、光が姫さんの輪郭を柔らかく包み込み、その姿をゆっくりと夜の中へ溶かしていった。
振り返った瞳が、まっすぐ俺を見る。
でもその瞳の奥に映るのは、俺じゃない。
……それでいい。
選ばれないことと、価値がないことは違う。
俺はちゃんと、分かっている。
そのまま、光に溶けるように──消えた。
俺はその背中を見送る。
(……幸せになれ)
祈りでもなく。
命令でもなく。
ただ、それだけを願う。
姫さんが選んだ未来の先で、ちゃんと笑っていられるように。
姫さんが笑っているなら、それでいい。
それが──俺の選んだ在り方だ。
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