63、よく頑張ったな
重厚な扉が閉まり、室内に静けさが落ちた。
先ほどまで王として立っていたお兄様は、ゆっくりと息を吐いた。
その目にあるのは威厳ではなく、ただ兄のまなざしだった。
「……痩せたな」
「お兄様こそ。お疲れが見えます」
小さなやり取りのあと、沈黙が落ちる。
やがてお兄様が口を開いた。
「お前が処刑されたという話を聞いた──」
その言葉に胸の奥がわずかに軋むが、お兄様は目を逸らさなかった。
「俺は……その場にいたらしい」
“いたらしい”。
その言い回しに、かすかな違和感を覚える。
「命を下したのは、俺だった……」
淡々とした声音だが、その指先がわずかに強く組まれているのを、エリザベスは見逃さなかった。
「覚えてはいない。魅了にかかっていたという話、だが……」
言い訳のようには聞こえない。
ただ事実を並べているだけなのに、その静けさがかえって重い。
「……守れなかったという結果だけは、消えない」
その一言に、胸が締めつけられる。
まだ戴冠もしていなかった。
それでも──
「お前を守るべき立場にありながら、俺は何もできなかった。むしろ……」
言葉は穏やかだったが、胸の奥では別の感情が静かに渦巻いている。
──お兄様は、覚えていない。
それでも、罪のように背負っている。
その事実が、痛かった。
私は静かに首を振る。
「それは、お兄様の責任ではありません」
「それでもだ。魅了にかけられていたとしても、言い訳にはならない。私はお前を守る立場にいた」
わずかに視線を伏せる。
「でも、今回は──これで、守れただろうか」
「……え?」
その声はとても自信がなさそうなほど小さくて、思わず聞き返してしまう。
「……お爺様が亡くなる少し前に、手紙を預かっていた。封を開くことができたのは最近だが……」
お兄様は机から一通の封書を取り出す。
「──王とは、責任を引き受ける者だ。もし、この国が道を誤るのなら、お前が正せ」
ゆっくりと読み上げたあと、静かな決意が言葉に宿る。
「俺は、正しただけ。だが結果として今回はお前を守ることができたと思う。それはそれでいいんだ。だが……お前まで背負う必要はない。お前には、ただ幸せでいてほしいんだ」
「お兄様……」
それは王の声ではなく、兄の願いだった。
「不遇な思いも、理不尽も、もう十分味わった。 マイザーでも、ウェルザンでも……お前は誰よりも懸命に戦っていた」
お兄様はわたしの瞳をまっすぐみて言葉を続けた。
「……そんなお前をみて、何かを成し遂げようとしているのは感じていた。……でももう、一人で背負おうとするな。……お前はもう十分、頑張っている。そしてその結果、多くの者の命を救ったんだ」
── 十分、頑張っている。
その一言は、静かに、それでいて確かな重みをもって胸の奥へ沈んでいった。
これまで、ただ前だけを見て走ってきた。
立ち止まれば崩れてしまいそうで。
考える余裕など持たず、ただ償わなければならないと自分に言い聞かせ続けて。
それが正しいのだと、疑いもしなかった。
けれど今、お兄様はそれを否定せず、ただ「頑張っている」と告げた。
責めるでもなく、止めるでもなく、ただ認めるように。
その優しさが、胸の奥で張りつめていた糸をほどいていく。
泣くつもりなどなかったのに、気づけば視界が滲んでいた。
「……っ」
声にならない音だけが、かすかに零れた。
お兄様は何も言わず、ただ静かに手を伸ばしそっと肩に触れた。
その温もりは強くもなく、けれど確かかなもので。
王としての威厳ではなく、ただ兄として寄り添うものだった。
「……私っ…私は……」
「エリザベス、大丈夫だ。お前の頑張りは誰よりもわかっている。サイラスだって、ヴォルだって……お前の周りにいる者はみんなお前を認めている。……もう一人でもないし、王女としても立派に勤めを果たしている」
「そ、そんなこと、言われたら、わたし……」
「もう、大丈夫だから。よく頑張ったな」
「う、うぅ……っ、お、お兄様……っ」
贖罪を果たしたい、なんてわたしの事情は知らないはずなのに。
どうして私のほしい言葉をくれるのだろう。
お兄様はぼろぼろと涙をこぼす私を優しく見つめて、頭を撫でてくれる。
そんなことをされると、余計に涙が溢れて止まらなくなってしまう。
「これからは、自分のことを考えてほしい。お前の人生なんだから」
低く、穏やかな声が降りる。
「自分自身で、選んでいいんだ」
命じる響きはない。
導くでもなく、縛るでもなく、ただ委ねるように。
その言葉に、胸の奥で何かがほどけていく。
これまで自分を動かしてきたのは、贖罪だった。
それは義務で、そうでなければならないと思い込んでいた。
けれど今、初めて、別の問いが芽生える。
──私は、どう生きたいのだろう。
他者の期待でも、過去の罪でもなく、自分の意志として。
滲んだ視界をそっと拭い、エリザベスは顔を上げた。
「ありがとうございます……お兄様」
声はまだわずかに震えていたが、その奥には確かな希望が宿っていた。
かすれた礼の言葉にジークハルトは小さく笑い、どこか懐かしむような、穏やかな笑みを浮かべた。
「泣き顔は、昔と変わらないな」
からかうでもなく、ただ優しく。
その一言に、思わず頬が緩む。
幼い頃、転んでは泣いていた自分を思い出すようで、胸の奥に温かいものが広がった。
涙が落ち着いた頃、ジークハルトはふと声の調子を変えた。
「それで……サイラスとは、どうするつもりだ」
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