54、静かな断罪
港湾倉庫で名簿を押収してから、ひと月──
私が証拠を積み上げ、兄様が王都で包囲網を敷いた。
逃げ道は、もう残っていない。
フェルカ伯爵邸の応接間は、過剰なほど豪奢だった。
分厚い絨毯が足音を吸い、無駄に大きな暖炉では赤々と火が燃えている。
壁には金縁の絵画、高価な壺、磨き上げられた調度品。
けれど、不思議と温かみがない。
生活の気配がなく、人の匂いがしない。
ただ、奪い取った物資と金を積み上げて飾り立てただけの、空虚な箱のようだった。
──この領で消えた物資が、どれだけあればこの部屋が作れただろう。
そんな皮肉が胸をよぎり、鈍い嫌悪が奥底に沈んだ。
「これはこれは、公爵家のご子息自らお越しとは」
たっぷりと脂肪のついた腹を揺らしながら、フェルカが笑う。
その体つきだけで、この屋敷が何で築かれたのか分かる気がした。
「査察ご苦労ですな。ですが我が領にやましいことなど──」
「世辞は不要だ」
低く落とされた声がフェルカの言葉を途中で断ち切ったその瞬間、室内の空気がすっと冷えた。
サイラス様が静かに一歩踏み出す。
ただそれだけの動作だったのに、場の主導権が音もなく彼へ移り、感情の消えた紫の瞳がまっすぐフェルカを射抜いた。
「領内会計帳簿、港湾出港記録、拘束者名簿。すべて提出してもらう」
「はは、もちろん。ですが公爵家がここまでなさるとは。我が領は昔から王家にも多額の税を──」
「だから何だ。……税を払えば、法を破ってもいいと?」
「……そのようなことは」
「では出せ」
もう一歩、音もなく距離を詰める。
気づけば、フェルカの背後には壁しか残されていなかった。
「提出できない理由があるなら、今ここで説明しろ」
「い、いえ、すぐに──」
フェルカの喉が、ごくりと鳴った。
遅れて家臣へ視線を走らせる。
だがすぐに鼻で笑い、椅子に深くもたれかかった。
まだ金でどうにかなる──
そんな“いつもの査察”の延長だと、自分に言い聞かせるように。
だから気づかない。
自分が差し出した“取り繕った帳簿”こそが、この場で最も危険な凶器になることに。
私は無言で書類をめくる。
改ざんされた数字や削られた名前、不自然に空白の残る行が、隠しきれない不正の痕跡として帳簿に滲んでいた。
感情を挟まず、ただ矛盾だけを拾い上げていく。
嘘は、重ねるほど目立つ。
「出港記録と照合しました」
淡々と告げられた瞬間、フェルカは初めて、部屋の隅にいたはずのエリザベスへ視線を引き寄せられた。
その目が細められ、感心と欲が同時に滲んだ。
品物でも眺めるような視線が、いつまでも私の上をなぞって離れない。
意味は分からない。
ただ、肌の内側を這われるような不快感だけが残った。
ぞわりと背筋に粘ついた嫌悪が走った、その瞬間。
部屋の空気が音もなく凍りついた。
隣でサイラス様の瞳から感情が消える。
あれは怒りではない。
処分を決めた人間の目──視線ひとつで人を殺せる目だった。
背後でヴォルが静かに体重を前へ移す。
いつでも首を折れる距離──言葉は、もう必要なかった。
ただ──「今ここで始末できる」という殺意だけが、静かに部屋を満たしていた。
フェルカの喉が、ひくりと鳴る。
けれど私は視線を落とし、静かに次の紙をめくった。
処分は──まだ先でいい。
「“海賊容疑者”として拘束された者。全員が同じ船に乗せられています」
「……それが何か?」
「帰還記録がありません」
「……逃げたのでしょう。海賊ですからな」
「では、これは?」
私は黙って、もう一枚の書類を卓上へ滑らせた。
港湾倉庫の保管箱から、サイラス様が回収した名簿だ。
「名簿の内訳です。孤児、病人、老人、女性、港湾労働者」
「……は?」
「全員、“海賊”だそうですね?」
沈黙が、ゆっくりと部屋を満たしていった。
「……偶然にしては、多すぎませんか」
「言いがかりだ!」
「言いがかり?」
ゆっくりと顔を上げ、フェルカをまっすぐ見据える。
胸の奥は、驚くほど静まり返っていた。
「抵抗した者を拘束し、海賊に仕立て、船に乗せる。戻ってこない人間は、すべて“逃亡扱い”……そうやって罪を海賊に押し付け、あなたは物資と金を手に入れた」
フェルカの額に、気づけば脂汗が浮いていた。
さきほどまでの余裕は、もうどこにもない。
「しょ、証拠はあるのか!」
「あります」
淡々と告げ、押収した帳簿を机へ置いた。
その音だけが、やけに重く響いた。
「横流しされた食糧と薬品は、すべて同じ商会へ流れています。日付は、人の移送記録と完全に一致していました」
「……っ」
「つまり」
視線を逸らさず、結論だけを告げる。
「あなたは、領民を売りました」
ただ、事実を並べただけ。
それだけで、部屋から音が消えた。
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