47、兄である前に
視点ちょこちょこ変わります。
読みづらかったらすいません。
応接室の灯りは最低限まで落とされていた。
窓の外は完全な夜。
屋敷はもうすっかり寝静まり、灯りが点いているのは、この応接室だけ。
そんな夜だった。
円卓の上に、紙束が無造作に積まれている。
並んでいるのは、借用書の写し、被害者名簿、簡易の診断書――そして、ウェルザン周辺の治安報告。
どれも、この街の現実を突きつける紙ばかりだった。
「……以上。分かったのはこれだけ」
ヴォルが最後の紙を机に放ち、ぱさ、と乾いた音が響いた。
「この街の領主の報告と、実際の被害が噛み合ってない」
椅子に深くもたれ、腕を組む。
「報告書じゃ『住民同士の小競り合い』『自警団まがいの連中が勝手に騒いでる』……そんな軽い話ばっか。けど現実は、誘拐、行方不明、略奪。やってることが物騒すぎるね」
「……規模が違いすぎるな」
低く呟いたのはジークハルトだ。
「小競り合いで出る被害じゃない」
「そう。あとこれ」
ヴォルは頷きながらも別の紙を指で叩いた。
「“海賊”って単語が出始めたのは、ここ数か月の話」
「最近、か」
「それまではせいぜい『素性不明の集団』『自警団崩れ』扱い。急に“海賊”なんて大物になってる。話、盛りすぎって感じ」
しばし沈黙が下りる。
その違和感の意味を、三人とも理解していた。
「……誰かが、意図的に大きくしている可能性があるな」
サイラスが静かに言う。
「“厄介な武装集団がいる”ことにすれば、強硬手段も正当化できる。罪をまとめて押し付ける先としては、都合がいい」
「でしょ」
ヴォルが短く笑い、目を細めた。
「隠してるか、誤魔化してるか、ただのバカか……知らないけどさ。……普通じゃない。嫌な匂いがする」
「嫌な匂い?」
「裏で誰かが糸引いてる感じがする」
短く、断言する。
「それに“海賊”なんて呼ばれ出したのも、ここ最近だ。急に話が大きくなりすぎてる」
サイラスが資料をめくりながら静かな声で言った。
「つまり──罪をまとめて押しつける相手が必要になった、って線が自然だな。借金の名目で人を攫い、反抗勢力を処理して、功績として王都に報告する。よくあるやり口だ」
「…………」
沈黙が落ちる。
ジークハルトはずっと資料から目を離さなかった。
「魔力枯渇は」
「原因は不明。ただ偶発とは思えない」
「……意図的、か」
ジークハルトから溢れた低い声で、空気が一段冷える。
「これだけ同時期に子供だけが魔力を失うなんて、自然に起きるものじゃない。偶然にしちゃ出来すぎ」
ジークハルトは、ゆっくり目を伏せた。
「つまり……魔力枯渇も、借用書も、住民の失踪も……全部、意図的に“隠されている”」
沈黙が落ち、空気が張り詰める。
「……王都に届いていて、消されている可能性が高い。つまり、地方の問題ではなく……中枢の問題だ」
誰も否定しなかった。
それが、何よりの答えだった。
「……今日はここまでにしよう」
その解散の一言で、椅子が引かれ足音が遠ざかる。
扉が閉まり、静寂だけが残った。
◇◇◇
ひとり。
応接室に残ったまま、ジークハルトは動かなかった。
机の上に広がったままの資料。
借用書。
診断書。
領主の報告書。
どれも、胸の奥をじわじわ削るものばかりだった。
ジークハルトは椅子に深く腰を下ろし、指先で、紙束をなぞる。
これだけ露骨なのに、王都には何ひとつ届いていない。
「……ふざけるな」
低く呟いた。
怒鳴りもしない。机も叩かない。
ただその声だけが、ひどく冷たい。
略奪が増え、領民が消え、子供は魔力を奪われている。
それでも、誰も止めていない。
「……王家の責任だ」
言葉は、自然と落ちた。
地方の問題じゃない。王都が腐っている証拠だ。
動くべきなのは、王太子である自分だと──分かっている。
それでも、立ち上がれなかった。
視線が無意識に廊下の奥──エリザベスの部屋の方へ向く。
今ならまだ間に合う。
王都へ戻らず、ここに残って、全部自分が斬ればいい。
そうすれば、あいつをそばで守れる。
「……っ」
奥歯を噛む。
──何を考えている。
それは王太子の思考じゃない。
ただの、兄だ。
「……エリザベス」
名を呼んだ瞬間、胸が痛んだ。
幼い頃、後ろをついて回ってきた小さな背中。
泣きそうな顔で、それでも笑う癖。
やっと。
やっと、守れる距離に戻ってきたのに。
「……情けないな」
小さく、自嘲する。
国と妹を天秤にかけている時点で、王族失格だ。
迷いをひとつずつ切り捨てるように、ゆっくりと立ち上がる。
「……違う。これは、“兄”の仕事じゃない」
拳を握り、低く言い聞かせる。
「……王太子の仕事だ」
覚悟は、静かに固まった。
◇◇◇
朝の光が、窓から差し込んでいた。
昨夜の重たい空気が、少しだけ薄れている。
応接室に入ると、お兄様とサイラス様、ヴォルが、すでに揃っていた。
机の上には資料の山があった。
その光景だけで、胸がきゅっとなる。
「……おはよう、エリザベス」
「おはようございます、お兄様」
いつも通りの声なのに。
どこか決定的に違う気がした。
嵐の前みたいに静かすぎる。
「昨夜、整理した」
お兄様が資料を指で押さえながら、淡々と感情を削ぎ落とした声で話す。
「領主の報告と実態が噛み合っていない。被害は意図的だ。王都に届いていないのも不自然すぎる。……握り潰されている可能性が高い」
「……っ」
それが意味するところは──
「エリザベス」
「……はい」
「お前たちは借用書の出所……その組織を追え。それが一番早い」
ほんの一瞬、間が落ちた。
「……俺は王都へ戻る」
「お兄様……?」
お兄様は、まっすぐ前を見たままはっきりと言う。
「これは地方の不祥事じゃない──王家の責任だ。俺が片付ける」
「……お兄様」
「……本当はな。お前を、これ以上危ない目に遭わせたくない」
「…………」
「正直に言えば、全部俺が片付けたい……兄としてはな」
口の端だけわずかに歪めたその表情に、胸が締めつけられる。
けれど次の瞬間、迷いは消えていた。
そのときにはもう、王太子の目だった。
「でも……これは“兄”としてじゃない。“王太子”としての仕事だ」
その言葉で分かってしまった。
もう止められない。
この人は、決めてしまったんだ、と
サイラス様とヴォルを見てから、お兄様は少しだけ視線を落として言葉を続けた。
「……これは命令じゃない。兄としての、お願いだ」
再び二人を真剣な目で見つめた。
そしてほんの一瞬言葉を探し、低く押し殺すように絞り出した。
「……エリザベスを頼む」
「……姫さんは守る」
「当然だ」
ヴォルが即答し、サイラス様も静かに言った。
——それだけで、十分だった。
お兄様は、ほんの少しだけ笑った。
ほんの一瞬だけ、王太子ではなく──ただの兄の顔に戻った。
「ああ」
それだけで、全部の覚悟が伝わってきた。
離れても──きっと、この人はずっと私の兄のままだ。
読んでいただきありがとうございます!




