40、そばにいなかった
途中からサイラス視点になります。
はっと目を覚まし、私は慌てて身を起こした。
(あれ、私……いつの間に寝て……?)
「起きた?」
「……ヴォル」
そこでようやく、自分の体に毛布と上着が掛けられていることに気づく。
(これ……ヴォルが?)
顔を上げると、ヴォルがこちらを見つめ、かすかに笑った。
「……ヴォル、体調は?」
私の問いに、彼は目を細める。
少し困ったような、それでいてどこか嬉しそうな顔。
「……姫さんのおかげで、問題ない」
短い言葉なのに、胸の奥にじんわりと染みた。
私はただ、静かに彼を見つめ返す。
けれどその穏やかな沈黙は、長くは続かなかった。
──バンッ!!
山小屋の扉が、壊れるんじゃないかと思うほどの勢いで弾け飛んだ。
「エリザベス!! 無事か!! 生きてるか!? 返事しろ!!」
飛び込んできたのは、息を切らしたお兄様。
その半歩後ろにはサイラス様がいる。
「……え?」
間の抜けた声が漏れた次の瞬間、サイラス様の視線が正確に私を射抜いた。
毛布と上着、暖炉、そしてすぐそばにいるヴォル── 一瞬で状況を把握したのか、サイラス様の目が細くなる。
たったそれだけで、胸の奥がひやりと冷え、部屋の空気が凍りついたように動かなくなった。
最初に口を開いたのはお兄様だった。
「……おい、サイラス」
「何だ」
「俺は今、何を見ている?」
「……無事だった光景、だろうな」
即答だけれど声は、妙に硬い。
「……そうか」
「ああ」
──何か、誤解されてる。
そう気づいた瞬間、顔が一気に熱くなった。
慌てて弁解しようとした、そのとき。
「さっきの修羅場、俺が一番命削れたんだけど」
「な!? どこが修羅場だ!!」
「雨。土砂降り。あれ普通に死ぬ」
「……そういう意味か」
「……で、何だと思ったの?」
「ヴォル!!」
真っ赤になった私とお兄様を、ヴォルが涼しい顔でからかっていた。
(まったくもう……でも、いつも通りのヴォルに戻ったみたいでよかった)
そう思っていたとき、サイラス様が静かに歩み寄ってくる。
そして、自然な動きで──ヴォルと私の間に立った。
「エリー」
低い声で確かめるように、名前を呼ばれる。
「怪我はない?」
「だ、大丈夫です」
「……そうか」
短く息を吐いたあとも彼の視線は離れず、私の手首から肩、首元へとゆっくり辿っていく。
その動きはあまりにも慎重で、まるで見落とした傷がないか、触れられた痕跡がないか、確かめるようだ。
「……守れなかった」
「え?」
「俺が、そばにいたのに……」
低く押し殺した声だった。
でも、あれはサイラス様のせいじゃない。
ラルフさんがアルゴさんに化けて現れるなんて、誰にも予想できるはずがなかった。
そう言おうと口を開く。
けれど──
「ずっとそばにいると言ったのに……護衛失格だ」
淡々としているのに妙に重たい低い声が、先に落ちた。
続いてサイラス様の視線がヴォルへ向けられる。
鋭く睨むわけでもないのに、そこには穏やかさが欠片もなく、ただ静かな圧だけが滲んでいた。
「今回は……ヴォルがエリーを守った」
事実を述べただけの声に、ヴォルがわずかに肩をすくめる。
「……同業者みたいなもんだ」
「わかっている」
サイラス様は微笑んだが、冷たい。
「ありがとう。……私の代わりに」
その言葉で、空気がぴんと張り詰める。
「ちょ、待て待て!! なんでお前ら静かに火花散らしてるんだ!!」
「……散らしてない」
「散ってるんだよ!!」
思わず、私はサイラス様の袖を掴んだ。
「サイラス様……本当に、大丈夫ですから」
「……」
一瞬言葉が途切れた次の瞬間、その手がそっと包まれた。
「次があったとき、“無事だったからそれでいい”じゃ……俺は自分を許せない」
私だけに向けられた、静かな声。
けれどその言葉は、約束であると同時に──ヴォルへ向けた宣言でもあった。
ヴォルは一瞬だけ目を伏せ、ふっと視線を逸らす。
(……厄介だな)
小さな呟きが、確かに耳に残っていた。
山小屋の空気は、すでに先ほどまでの穏やかさを失っている。
それでも──胸の奥に灯った温もりだけは、なぜか消えなかった。
扉の向こうへ目を向けると、いつの間にか雨は上がり、森には鳥の囀りが戻っていた。
まるで何事もなかったかのように、世界は静かに朝を迎えている。
◇◇◇
──取り戻した。
そう思った瞬間、胸の奥がひどく痛んだ。
安堵じゃない、遅すぎたという痛みだ。
山小屋を出て、雨上がりの森を進む。
エリーはジークの隣。
俺はその斜め後方につく。
いつもの位置。
たったそれだけの距離が、今日はやけに遠い。
数刻前まで──
俺は、ここにいなかった。
手を伸ばせば届いたはずの距離で、
エリーは連れ去られた。
何もできずに。
守ると誓ったくせに。
そばにいると、言ったくせに。
奥歯が、ぎり、と鳴る。
遅れて駆けつけたときの光景が、何度も脳裏に焼きついた。
毛布に包まれたエリー。
そのすぐ隣に立つ、ヴォル。
──俺のいるはずだった場所に。
無意識に視線が前へ向くと、先頭を歩くヴォルの背中がみえる。
何事もなかったかのように、淡々と歩いている。
……気に入らない。
助けられた事実は理解している。
感謝もしている。
それでも。
あのとき、エリーのそばにいたのが俺ではなかったことが、どうしようもなく腹立たしかった。
山小屋に飛び込んだ、あの一瞬。
エリーを見下ろしていた、あの目。
(……あれは)
護衛の目じゃない。
任務で人を見る視線でもない。
──知っている。
あれは、愛しいものを見る目だ。
胸の奥に、どろりとしたものが滲んだ。
気に入らない。
理由なんて、考えるまでもない。
俺は、彼女のすべてを守ると誓った。
命も、未来も、選択も。
……だが。
その誓いは、『そばにいる』ことが前提だった。
そばにいなければ、守れない。
そばにいなければ。
俺の代わりに、誰かが彼女の隣に立つ。
それが正しいことだとしても。
奥歯が、軋む。
(……耐え難いな)
不意に、エリーが振り返った。
「サイラス様?」
反射的に、表情を整える。
笑え。何もなかった顔をしろ。
「疲れていないか?」
「小屋で少し眠れましたし、大丈夫です。ありがとうございます」
その笑顔に、胸が少しだけ軽くなる。
──同時に、重くなる。
俺がいなかった間。
誰が、彼女を守った。
誰が、手を伸ばした。
誰が、触れた。
想像しただけで、喉の奥が焼けつく。
違う。
奪われたんじゃない。
最初から、俺のものじゃない。
……分かっている。
それでも。
(……離せないんだ)
守りたいだけじゃない。
そんな綺麗な理由じゃ足りない。
ただ。
誰にも渡したくないだけだ。
(もう、離れない)
彼女のためだろうが。
俺自身のためだろうが。
……どちらでもいい。
ヴォルが立ち止まり、方角を確かめている。
その背中を、無意識に目で追った。
(ヴォルが悪いわけじゃない)
分かっている。
あいつは、ただ間に合っただけだ。
俺が間に合わなかっただけ。
ただ、それだけの差。
──それだけで。
(……譲れない)
喉の奥が、ひどく熱い。
彼女が、誰かの腕の中にいる光景が脳裏をよぎる。
知らない笑顔で。
知らない声で名前を呼んで。
……無理だ。
そんな未来、認められるわけがない。
胸の奥で、何かがきしむ。
嫌な音だった。
それでも足は止まらない。
彼女を守る者として。
そして、彼女を想う一人の男として。
ただ一歩、距離を詰める。
それだけで、少し息が楽になった。
……もう、離さない。
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