浅井万福丸の話
私が物心ついたとき、実母はそばにいなかった。だが、父·浅井長政の正室であるお市の方様がそばにいて実の子のように慈しんで育ててくれた。父とお市の方様は本当に愛し合っておられた。その証拠に茶々を始め三人の妹を設けられた。この姫たちが後に天下を揺るがすようなろうとは誰が想像しえたであろうか。
元亀元年、私が６歳のとき、父は義母の兄である織田信長に叛いた。父の心は今となってはわからない。その後、３年半に及び、信長に抵抗を続けたが武運拙く、敗れてしまった。父は城から私を出した。そして、言ったのだ。
「生きよ」
と。
「浅井の再興など考えずともよい。優しい女を娶り、子を育て、幸せに生きて天寿を全うしてくれ。それが父の願いじゃ」
その言葉を胸に私は城を落ち、身を隠していたのだが、とうとう、織田方に見つけられ、捕らわれてしまった。そのとき、伴として私と同じ歳の少年・千丸ものも一緒にいたのだが、どちらが万福丸かとの織田信長のその問に千丸は言った。自分が万福丸だと。おそらく、私に、父に、忠義を尽くそうとしてくれたのだろう。だが、私はそれをよしとはしなかった。
「万福丸は私です。信長様にはおわかりのはず、私の面差しは父に似ておりましょう」
「あい、わかった。確かにお前が万福丸じゃ」
「信長様、この者は私に忠義を尽くしてくれたもの。どうかお咎めになられませぬよう」
「わかった」
私は磔にかけられることになった。磔にかけられた私はそこでどこまでも続く青い空を見た。
「ああ、空はあんなにも青かったのか。どこまで続いているのであろうか。小谷の城にいたときは考えもしなかった。父上、どうか父上の命に叛いたこと、お許しください。父上のいう通り、幸せに生きて天寿を全うしたかった。だが、それは誰かの犠牲によって掴む幸せではないはず」
非人の槍が万福丸の胸を貫くと同時に万福丸の意識は途切れた。
浅井万福丸 享年１０歳。刑場のつゆと消えた。
