07 上司面談1
そして上司面談当日。
レイモンドが予約したレストランにて、カヴルを招待する形で始まった。
伯爵家以上の上位貴族しか予約のできない高級レストランに招待されて、早くもカヴルはいら立を懸命に抑えている状態だ。
(レイくん……。今日は穏便に諦めてもらうんじゃなかったの?)
リリアナはレイモンドの隣に寄り添いながら、作り切れていない笑みで緊張しながら、瞳をぱちくりさせていた。
(この素敵空間でなぜ私は、上司のクソダサ……地味なドレスを着ているのかしら。穏便に済ませる気がないなら、必要ない演出だったんじゃない?)
先ほどからチラチラと給仕たちに噂されているような気がして、非常に恥ずかしい。
「先日はご挨拶しそびれてしまい、申し訳ございませんでした。リリアナの婚約者レイモンド・オルヴラインと申します」
そんなリリアナとカヴルの様子など、気にしていないように見えるレイモンドは、爽やかな好青年を前面に押し出したような雰囲気で、カヴルに握手を求めた。
この幼馴染は、昔は本当に純粋無垢な可愛い男の子だったが、昨今ではすっかりと、公私で性格を完全に切り分けているから恐ろしい。
こういった場面ではどのような目に遭おうが、とことん好青年を貫く。
「こっ……婚約者!?」
リリアナとの約束を嘘だと決めつけていた様子のカヴルは、しょっぱなから間抜けな声を上げた。
すでにこの豪奢な空間で、地位の差を見せつけられた後だ。公爵令息が婚約者と聞かされ腰が引けているようだ。
リリアナですらこの状況を、現実として受け取れていない部分がある。なにせ公爵家と男爵家とでは、家格が違いすぎる。完全に夢物語の世界だ。
そんなカヴルの手を、自ら取って握手をしたレイモンド。カヴルは即座に顔を歪めた。
(レイくん。握手の力が強すぎるんじゃない……?)
公爵家の跡継ぎとして剣術の稽古が必修であるレイモンドは、スリムな身体に見えても意外と筋肉があり、握力はリリアナでは到底敵わない。見たところ、上司も同じようだ。
「はい。子爵殿がリリアナに求婚したと知りまして。俺の卒業を待つつもりでしたが急きょ、彼女と婚約させていただきました」
「それは事実なんでしょうな……。子供の虚言に付き合うつもりはありませんよ」
振り払うようにしてレイモンドの手から逃れたカヴルは、襟元を整えながらそう睨みつけた。
新年から立て続けにカヴルの弱い部分を見てきたせいか、その睨みも今となっては全然怖くない。今まではなぜこんなにも上司が怖かったのだろうと、リリアナは疑問に思うくらいだ。
「どうぞお座りください。婚約誓約書はこちらにございます。ご確認ください」
席についてお茶を振る舞ってから、レイモンドは先日交わした婚約誓約書をカヴルに手渡した。
あれは最終的に、国王陛下の印章も押されている正式なもの。カヴルがどうあがいても、他人が否定できるものではない。
何はともあれ、これで決着がつく。リリアナはお茶を口にしてからホッと息を吐いた。
しかしカヴルは、不正でも見つけたかのようにニヤリと嫌な笑みを浮かべる。
「こちらは本当にお二人のものですか? 先ほど名乗られた姓と違うようですが」
(えっ?)
思い返せば誓約書を交わした際、リリアナは緊張していてレイモンドが書いた部分をろくに確認もしていなかった。
(レイくんもしかして、名前を間違えちゃったのぉ~?)
不安になりながらレイモンドを見つめると、彼は何でもないことのように「ああ」と笑みを浮かべた。
「便宜上、公爵家の姓を名乗っておりますが、母方の祖父の爵位を譲り受けておりますので、正式にはレイモンド・エリンフィールド侯爵と申します」
(はいっ!?)
リリアナの心の叫びと、カヴルの叫びは同時だった。
「侯爵だと……! エリンフィールドといえば、果物の一大産地として急成長した……」
「リリアナは果物が大好きですから。美味しいものを食べさせたいと思い品種改良を重ねていたら、産地になってしまいました」
さすがに国王陛下が印章を押す書類に、嘘は書かないはず。レイモンドが侯爵位を受け継いだのは本当のようだ。
大切なことは報告し合う仲だと思っていたのに、リリアナは少し寂しい気持ちになる。
「レイモンド様……、それは初耳ですよ」
「結婚するまで秘密にしようと思っていたんだ。結婚の暁には領地いっぱいの果物をプレゼントするね」
こんな時に限って、昔のような無垢な笑顔が可愛すぎる。
二人が結婚する予定などないのに「それなら仕方ないわね」と許せてしまう可愛さだ。
今日のレイモンドは、偽装婚約者として完璧すぎる。
カヴルのほうも返す言葉がないのか、放心状態のようだ。
完全に勝者の貫禄でお茶を優雅に飲んだレイモンド。けれど、彼にしては非常に珍しいことだが、手が震えてお茶を少しこぼしてしまった。
「おっと、失礼。リリアナの上司の前なので、緊張してしまって」
(レイくんが緊張したりするの……?)
どのような場においても堂々と自分を作れるレイモンドが、どうしたことか。
リリアナが不思議に思っていると、レイモンドは「すみません」と言いながらテーブルを拭き出した。
しかしそれを見たリリアナは焦り出す。
レイモンドが拭いているそれは、テーブルナプキンなどではない。
リリアナが着用している、ドレスの裾だ。
「レ……レイモンド様っ」
「おや? 雑巾に似ていたもので、間違えてしまいました」
悪びれもせずレイモンドは、無邪気にカヴルに対して笑みを向ける。
カヴルの顔は、血管が破裂しないか心配なほど真っ赤に染まっていた。
(だからこのドレスを着ろって言ったのね……。どうしましょう。レイくんが腹黒く育っているわ……。どこで育て方を間違ったかしら……)
「リリ。ドレスを用意してあるから、着替えておいで」
「……はい。失礼いたしますわ」
この場が恐ろしすぎて、リリアナは逃げるようにして控え室へと向かった。