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番外編 幼い頃の約束


 その日の朝は、春が近づいているというのにとても寒かった。

 このような朝のリリアナは、メイドが暖炉に火を入れてくれるのをベッドの中で待ちわびてしまうが、今は公爵家に滞在中。寒さよりも何よりもレイモンドのことが心配で、すぐさまベッドから起き上がった。


 二人のトラウマが消えて以来、彼の言うとおりレイモンドは夜中にうなされることもなく、熟睡できているようだ。リリアナも、彼のうなされる声で目覚めることなく朝を迎えるようになったが、朝の確認だけは怠らない。


 続き部屋になっている扉をそっと開いて、レイモンドの部屋を確認した。彼の部屋はすでにカーテンが開かれており、暖炉の火が入ってぽかぽかしている。その暖炉の向かいにあるベッドの上で、本を読んでいたレイモンドが顔を上げた。


「リリおはよう」

「おはよう、レイくん。今朝も早いのね。よく眠れた?」

「うん。リリに早く会いたくて早起きしてしまったけどね」

「ふふ。レイくんったら」


 これが近頃、毎朝のように交わされる会話だ。初めの頃は本当に熟睡しているのか心配で夜中に確認したこともあったが、彼は確かに眠れるようになっている。

 こうして毎朝、暖炉に火まで入れて待ち構えているのは、彼らしい用意周到なお出迎えのようだ。


「リリ。こちらへおいで」


 ベッドの横をぽんぽんとされて、リリアナはもじもじしながらもベッドへと向かった。レイモンドはまるで、甘い蜜がたっぷりの花のようだ。リリアナはそれに吸い寄せられる蜜蜂。

 ベッドに腰を下ろすと、レイモンドがぎゅっと抱きついてくる。


「リリ、大好き」


(レイくん……、今朝も可愛い……)


 朝からこんなに幸せで良いのだろうか。公爵家には仕事で滞在しているのに、申し訳なくなってくるほど毎日レイモンドで心が満たされる。


「私も大好きレイくん」


 リリアナもそう返すと、レイモンドの腕に力が込められる。


(喜んでくれているのかな?)


 そう思うだけで朝から心臓が忙しい。


「リリ。今日は休みだよね?」

「うん。年度末のお仕事にやっと目途がついたの」


 忙しかった公爵家での仕事も、そろそろ終わりに近づいている。このような幸せもあと少しだ。そう思うと、急に寂しくなる。


「良ければ今日は、俺とデートしてくれない?」

「デート?」

「ずっとリリと一緒に行きたかった場所があるんだ」


 レイモンドはこれまでも、さまざまな場所へリリアナを連れて行ってくれた。お芝居に、音楽、ショッピングや、公園の散歩まで。新しい施設ができれば必ずレイモンドが誘ってくれたので、二人で行っていない場所などあまりなさそうだが。

 今はそのような疑問よりも、レイモンドと離れがたい。


「うん。私もレイくんと一緒にいたいわ」



 朝食を終えてから二人は、馬車に乗り込み王都の街へと向かった。メイナードと一緒に来た時はまだ雪がもっさりと積もっていたが、今は道路も見え始め、そろそろ冬の終わりを感じさせる。


「リリ。温かい恰好をしてくれた?」

「言われたとおりにしてみたけれど、どこへ行くの?」


 着込むようにと指示されて準備してきたので、どうやら野外に行きたい場所があるようだ。公園かしら? と首をひねっていると、車窓から中央広場が見えてきた。


「ここだよ。リリ」


 馬車を降りて目の前に広がっていたのは、スケート場だ。毎年、冬になると中央広場はスケート場として整備されている。

 これまで幾度となく、このスケート場の前を通っては、なんとなく目に入れないようにしていた場所だ。


「スケート……するの?」

「うん。湖はもう氷が薄くなっているから、今年はここで試してみようよ」


 そう提案するレイモンドを、リリアナはぽかんとした顔で見つめた。

 リリアナとレイモンドにとってスケートはタブーのようなもので、お互いに取り決めたわけでもないが、これまでは無いものとして扱ってきた。


(そっか……。トラウマが消えたからもう、ここへ来ても良かったのね)


 幼い頃に願っていた、スケートがしたいという夢。それがついに叶うようだ。


「レイくんありがとう。とっても嬉しいわ」

「俺はリリとの約束は必ず守る主義だから」


(あっ……。そういえば、湖でスケートを見た時の約束……)


 あの時、木の陰からこっそり見学するしかなかったリリアナに、レイモンドはこう述べていた。


『それじゃ、僕が大きくなったらリリちゃんをスケートに誘うね。リリちゃんが転ばないように手を繫いであげる』


 小さなレイモンドは、愛くるしい瞳でリリアナを見上げながら、そんな約束をしてくれたのだ。


「ふふ。手も繋いでくれるのよね?」

「手どころか、リリは俺に抱きついて離れなくなると思うよ」

「……え?」


 意味ありげなレイモンドの言葉を、リリアナはすぐに理解することになった。


「レ……レイくん……。絶対に離れないでね……」


 スケート靴に履き替えてスケートリンクへ出たまでは良かったが、リリアナはそれから、彼にべったりと抱きついて離れられなくなってしまった。足はまるで生まれたての小鹿のように、ぷるぷると震えている。


「やっぱりリリを連れてきてよかった。こんなに俺を求めてくれて嬉しいな」

「もうっ、冗談言わないでよ。私は必死なんだから……」


 レイモンドに掴まるのがやっとのリリアナに対して、レイモンドは実に楽しそうに彼女を見下ろしている。同じ初めてのはずなのに、この差はなんだろう。


 なぜ人は、包丁みたいなものの上に乗って滑ろうなんて思いついたのか。足ががくがくして安定感がないし、思いのほかスムーズに動けない。

 見ていた時の軽やかなイメージとは、かなりのギャップがある。


「ならこうすれば、もっと安心できるんじゃない?」

「えっ……きゃっ!」


 レイモンドがリリアナを身体から離してしまい、リリアナは慌てる。その間に彼は、華麗なターンでリリアナの後ろに回り込み、彼女を後ろから抱きしめた。

 しっかりと身体を支えられているおかげで、不安定さが激減する。


(わあ……。でも、これ……)


 公衆の面前で抱きつかれるのは、非常に恥ずかしい。先ほどまで抱きついていた側が言える立場ではないが。


「俺が支えるから、少しずつ足を動かしてみようか」

「うん……」


 恐る恐る一歩滑り出したリリアナは、あまりに軽やかに氷の上を移動できたことに驚いた。


「わあ……! レイくん、滑れたよ!」

「リリ上手だよ」


 足さばきはぎこちないが、レイモンドが支えてくれているおかげで安心感がある。リリアナ徐々に、身体に入りすぎていた力が抜けて、リラックスして足を動かせるようになった。

 周りにも目を向ける余裕が出てきて、かつて羨ましかった光景の中にいることに気がついた。


「ふふ。スケートって楽しいわね」

「うん。これからの俺たちも、こんなふうに支え合えたら良いね」


 レイモンドはこの状況を、自分たちの未来に例えているようだ。

 確かにこの状況は自分たちらしい、とリリアナは思った。いつもレイモンドには、支えてもらってばかり。


「私も支える側になりたいわ」


 リリアナは、彼の妻に見合う人になれるよう努力しようと決意したばかりだ。一生懸命に勉強して侯爵夫人として、そしてゆくゆくは公爵夫人としてレイモンドを支えられるようになりたい。


「リリ、気がついていない? リリは今、俺を支えているんだよ。リリに掴まっているから、俺は転ばずにいられるんだ」

「本当に……?」


 この状況で、レイモンドのために何かできているとは露ほども思いはしていなかった。


「試しに離れてみる? 俺もまだまだぎこちないよ」

「やだっ。まだ離れないでっ」

「俺も離れたくない」


 耳元で囁かれて、リリアナの頬はじわっと雪が解けるように熱を帯びる。彼が望む言葉を言わされたような気がしてならない。


 けれど、彼の言うとおり、このように支え合って生きて行けたら幸せかもしれない。特に意識せずとも、自然に支え合えるなんて素敵だ。

 そんな未来へ期待をしつつ、リリアナは少し頬を膨らませ気味にレイモンドへ振り返った。


「支え合いたいと言うからには、一人で先に行かないでほしいわ」

「……どういうこと?」

「レイくん、私に隠れてスケートの練習をしたでしょう?」


 今はこのようなこと言ってはいるが、先ほどリリアナの後ろへ回り込んだ際のターンはとても初心者とは思えなかった。

 それを指摘されたレイモンドは、少し困ったような笑みを浮かべる。


「これくらいは許してよ。リリの前では頼れる男でいたいんだから」

「私は派手に転ぶレイくんも、可愛くて愛おしいわ」


 幼い頃からさまざまな面をお互いに見せてきたのだから、いまさら無理して良く見せる必要などないではないか。

 それが幼馴染の良さだとリリアナは考えている。


「そう……。そんなに可愛い俺が好きなら、これからはどこでも(・・・・)こうしてリリちゃんに甘えちゃおうかな」

「どこでもって、皆の前でも……?」

「うん」

「えっと、それは……」


 確かにリリアナは、レイモンドに昔のままの可愛さを求めてしまう部分がある。リリちゃんリリちゃんとなつく姿は、何にも代えがたいほど可愛かった。

 けれど、成長したレイモンドに甘えられると、心が穏やかではいられない。


「許可してくれるよね? リリちゃん」


 断りたい。恥ずかしいし、恥ずかしいので、非常に断りたい。

 しかし、可愛く微笑まれると断りにくい。このような時のレイモンドの願いは、何でも叶えてあげたくなってしまう。


「………………うん」


 彼と婚約するには、まだまだ慣れなければならないことが山積みであることに、今さらリリアナは気づかされた。


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