03 上司の呼び出し1
レイモンドのおかげで上司を撃退できたリリアナは、久しぶりに休暇を満喫できた。
とはいえ、上司のせいでこれまで日常生活がままならなかったので、溜まっていた手紙の整理や、使用人たちに任せきりだった家のことを見直すために明け暮れた。
リリアナの家は母が早くに亡くなっているので、家族は父と娘の二人だけ。その父も騎士として忙しく働いているので、数日おきくらいにしか顔を合わさない。
おかげでリリアナの上司問題は、父に知られずに済んでいる。もしも知られていたら、剣を振りかざして人事調整課に押し入っていたところだ。
さすがに王宮で噂の的にはなりたくないので、レイモンドのおかげで上司を撃退できて感謝している。
「うっ……。レイくんからの手紙、五通も溜まってる……」
手紙を整理したリリアナは、あまりの多さに寒気を感じた。
これは絶対に怒っている。
先日の件がなくとも、確実に怒っているはず。
リリアナが学園を卒業するまでは、毎日のように顔を合わせていたので気が付かなかったが、レイモンドはマメに手紙を書くような人だったようだ。
返事を待たず、立て続けに五通も送ってくる行為には、少し驚くが。
内容は主に彼の近況報告で、急ぎのものはエスコートの件だけだったようで少し安心する。
とにかく、お菓子程度では埋め合わせできそうにない。
どうしたものかとリリアナはため息をついた。
そうこうしているうちに、新年休暇明けの出勤。
リリアナの職場は王宮内にある、人事部人事調整課という部署だ。人事調整課は、臨時で必要になった人材を、適切に各部署へと配置調整するのが主な仕事。
具体的には王宮内で、誰かが仕事を休んでしまった時などに、短期的に人材を派遣させる。人事調整課のメンバーを派遣することもあれば、一般人を短期的に採用することもある。
侍女が足りなければ侍女の仕事を、事務官が足りなければ事務仕事、厨房が忙しければ食事も作る。人事調整課に配属されている職員は、幅広く様々な仕事ができるプロフェッショナルな人たちばかりだ。
そんな人事調整課に新卒で配属されたリリアナは、異例な存在だった。
リリアナの仕事は他の者とは違い、課の事務要員ではあったが。それでも新卒で配属されることは、今までなかったらしい。
配属された理由は言うまでもないが、上司のカヴルがリリアナに一目ぼれしたため。「彼女には特殊能力があるので、人事調整課に必要だ」と人事課に直談判したらしい。リリアナに特殊能力などないのに。
カヴルの行動には問題ありだが、リリアナはこの課の仕事自体は気に入っている。書類上だけでも、様々な仕事内容を知ることができるし、配属先から戻ってきた先輩たちの話を聞くのも楽しかった。
(残念だけれど、上司を怒らせてしまったし、異動させられるかしら)
新年の祝賀会以来、毎日のようにあった上司からの呼び出しが途絶えた。上司がどう思っているのかわからないが、今までの関係を忘れて普通に仕事してくれるとは思えない。
けれど、何かしら不利な状況になることは覚悟の上。あの時はそのリスクを負ってでも、上司との関係を断ち切りたかった。
あの日、上司が逃げるようにしてリリアナたちから去った姿を見て、リリアナは少し気持ちが楽になった。
今まではひたすら怖くて従うしかなかった相手だが、はっきりと拒否すれば状況は変えられるのだ。
(レイくんがいなくても、嫌なことははっきり断ってみせるわっ)
人事調整課室の扉を開けると、室内には先輩が三名ほど席に着いていた。今日は新年初出勤なので、顔を出しにきたようだ。
「皆様おはようございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします」
リリアナが笑顔で挨拶すると、先輩の一人が瞳を輝かせてリリアナの元へと寄ってきた。
「モリン卿、聞いたわよ。ついにあいつを撃退したんだって?」
先輩は名前を言わずに課長室を指さす。
リリアナは驚いて、小声で返した。
「あの……。もうご存知なのですか?」
「当たり前でしょう。人事調整課の情報網を甘く見ないで」
先輩はニヤリと笑みを浮かべる。人事調整課は様々な部署の応援に行くので、自然と人脈も広がり、情報も得やすくなる。リリアナたちのやり取りを誰かが見ていて、先輩に教えたようだ。
「噂によると、モリン卿にフラれたショックで、五キロ痩せたらしいわよ」
「毎晩のように酒場で泥酔するまで飲んでは、泣き崩れているとか」
「本当ですか……?」
後の二人も、それぞれに仕入れた情報を教えてくれる。リリアナは信じられない気持ちでそれを聞いた。
あの威圧的な上司が、乙女のようにショックを受けたり、泣いたりするだろうか。
恐れていた上司像が、ボロボロに崩れて行くように感じられる。
その時、課長室から呼び鈴の音が聞こえてきた。補佐であるリリアナを呼ぶ音だ。