20 リリアナの提案
朝からリリアナを困らせて楽しむくらいに、彼は辛い状況を隠せる人だったようだ。
「そ……そうですね。今日もレイモンド様は輝いて見えます」
「リリも今日も、天使のように可愛いよ。大好き」
「ありがとうございます……」
「お礼だけ?」
「わっ私も、大好きです」
今日もレイモンドは絶好調だ。本当に、トラウマを抱えうなされていた人とは思えないくらいに……。
登校するレイモンドを送り出した後、仕事が始まる前にリリアナはスカーレットの部屋を訪れた。
朝から相談事など迷惑になりそうだが、リリアナは一秒でも早く真実を知りたくてしかたない。
「朝から申し訳ございません。実はご相談がありまして……」
「まあ! リリアナちゃんが相談してくれるなんて嬉しいわ。何かしら?」
突然、部屋を訪ねたにも関わらず、スカーレットはこころよくリリアナを招き入れてくれた。
ピクニックにでも来たかのように、弾んだ様子でお茶の準備を整えた彼女だが。リリアナの話を聞くうちに、母の表情に変化していった。
「そう……。見てしまったのね」
「今でも頻繁にうなされるのですか?」
「ええ。毎日だと聞いているわ」
リリアナは驚きとショックのあまり、震える手で口元を押さえた。
「そんなっ……! なぜ知らせてくださらなかったのですか。いつでも協力したのに……」
リリアナはもう、家が恋しいと泣くような子どもではない。レイモンドがいつも、吹雪の時にリリアナを安心させてくれるように、リリアナも彼が安心できるよう支えたかった。
「それがレイモンドの意思だからよ。リリアナちゃんに頼るだけの自分を変えたい。リリアナちゃんに頼られるような、強い男になりたいって」
スカーレットはいつもの彼女らしからぬ厳しい表情で、淡々と述べた。
息子に甘えるほど息子を可愛がっている彼女にとっても、それを見守るのは辛かっただろうに。
息子の意思を尊重して、リリアナには秘密にしてきたようだ。
「息子は今、トラウマを克服しようとがんばっているの」
「どのように……」
リリアナ自身も周りに助けられながら、なんとかやり過ごしているトラウマを、彼はどうやって克服するつもりでいるのか。
不安な気持ちでいっぱいになりながら尋ねると、スカーレットは気遣うように優しく微笑んだ。
「それは追々わかるわ。リリアナちゃんも見守ってほしいの」
そうは言っても、知ってしまったからには、見守るだけなどできるはずがない。
「ですが私も、レイモンド様のお役に立ちたいです。こちらに滞在している間だけでも、何かさせてください」
その日の夜。寝る準備を整えたリリアナは、客室を出てレイモンドの部屋へと向かった。
彼の部屋の扉をノックすると、開けたレイモンドはさすがに少し驚いたような表情を見せる。
「……リリ?」
「夜分遅くにごめんなさい。入ってもいい……かな?」
本をぎゅっと抱きしめながらそう尋ねると、レイモンドは顔を隠すように口元を手で押さえる。
「え……。もしかして、夜這い? リリも大胆になったね」
絶対にそう間違われると思っていた。思っていたけれど、実際に言わるとやはり恥ずかしい。
っというか、手の隙間から見えるレイモンドの口が緩みまくり。絶対にからかって楽しんでいる。
「ちっ違います! レイくんに提案をしにきたの」
「提案?」
部屋へと入れてもらい並んでベッドへ座り込むと、リリアナは事情を話し始めた。
昨夜、うなされている声を聞いてしまい、レイモンドが未だに悪夢を見ていると知った。スカーレットに相談したところ、未だにレイモンドが悪夢に悩まされていると聞かされた。と。
レイモンドに引き込まれて朝まで一緒にいたことは、彼の名誉のためにふせてある。
「それでね。私が滞在している間だけでも、昔みたいに添い寝してあげたいと、公爵夫人に許可をいただいたの」
今まで秘密にしていたレイモンドは、不愉快そうにリリアナの話を聞いていた。
こうして出しゃばるのは、やはり彼に鬱陶しく思われているに違いない。それでもリリアナとしては、少しでも彼の心を楽にしたい気持ちが勝っている。
話を聞き終えたレイモンドは、リリアナが抱きしめている本に目を向けた。
「……で。その鈍器みたいに分厚い本は?」
「あ……。これは、レイくんに襲われそうになったら使いなさいって。そんな必要ないのにね」
一応はお年頃の男女だからと、スカーレットはこんなものまで持たせてくれた。
なんでもこの分厚い本は、スカーレットの武器なのだとか。男性相手に議論が白熱して、取っ組み合いの喧嘩になった際に使うらしい。公爵夫人ともなれば、いろいろと大変そうだ。
「へえ……」
レイモンドはますます不愉快そうに、その本を見つめる。
それから何を思ったのか、リリアナからその本をすぽっと奪い取ると、ベッドの隅へと放り投げた。そして、呆気に取られているリリアナをベッドの上へと押し倒す。
「きゃっ!」
「リリ、無防備すぎ。さんざん俺にキスを奪われてもまだ、俺を男だと思っていないわけ?」
リリアナの上で覆いかぶさるようにしてレイモンドに見つめられ、さすがにリリアナも少しだけ、身の危険を感じた。
レイモンドが本気になれば、本など武器にすらならない。彼はそう言いたいのだろう。
「ごめんなさい。そんなつもりでは……」
リリアナはただ、レイモンドを信頼していただけ。男性だと思っていないわけではない。
今もこうして迫られると、心臓が忙しなく動いているのがその証拠だ。
けれど、こんな気持ちはレイモンドに知られたくない。
レイモンドは、リリアナから離れると彼女に背を向けて、ベッドへと座り直した。
「レイくん……?」
「無理」
「えっ?」
「リリを襲わずに一緒に寝るなんて無理」
そう呟いた彼の、耳が赤くなっている気がする。
(あれ。もしかして照れてる?)
こんなことをしたのは、照れ隠しだったのだろうか。二人で一緒に寝るのは昨日を除けば、幼い頃以来だ。
大人びたと思っていた幼馴染が、急に可愛く思えてくる。
(レイくんも難しいお年頃なのね)
「わかったわ。軽率な提案をしてごめんなさい。……でも、レイくんのことが心配なの。せめて、隣の部屋で見守らせて」
再度、提案をし直すが、レイモンドは納得いかない様子でこちらを見てくれない。
「……俺は、リリに同情されたくない」
彼の意思はスカーレットからも聞いている。けれど、リリアナも引くつもりはない。
「勘違いしないでレイくん。これも偽装婚約に必要なことよ。婚約者なのに心配しないほうが変でしょう?」
偽装婚約に対して、先にリアリティを求めてきたのはそちらだ。ならばリリアナにも同じく権利がある。
「私を薄情な婚約者にするつもり?」
じっと彼の背中を見つめる。
するとレイモンドは「はあ……。負けたよ」と、困ったように振り向いた。





