17 吹雪の訪問者1
その次の日も、吹雪は続いた。
この国では年に一・二度、このような吹雪に見舞われる。この日ばかりは学校や仕事も休みとなり、人々は家に籠るしかない。
毎年リリアナは、ベッドに潜り耳を塞いでこの吹雪をやり過ごしてきた。運悪く公爵家にお邪魔していて帰れなくなったこともあり、そのたびに公爵家の方々に迷惑をかけて申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
けれど今回は違う。
社会人になったリリアナには『仕事』という助け舟がある。
せめてお仕事をがんばって、公爵家に貢献しなければ。そう、意気込んでいたが。
ガタガタッと吹雪の風で窓が激しく揺れ、リリアナは「ひぃっ!」と情けない悲鳴を上げた。
「リリ大丈夫だよ。今のは風で窓が揺れただけ。何も怖くないから安心して」
公爵夫人であるスカーレットの執務室にて、隣で同じく書類仕事をしているレイモンドが、よしよしとリリアナの頭をなでる。
(うぅ。恥ずかしい……)
せっかくの休みなのだから試験勉強でもしたらよいものを、レイモンドは朝からずっと書類仕事の手伝いをしている。そしてリリアナが怯えるたびに、こうして安心させてくれるのだ。
そのように言えば聞こえは良いが、これではまるで小さな子供をあやしているようだ。
リリアナは恥ずかしさでいたたまれない気持ちでいるが、かといってレイモンドがいなければやはり、心細かったかもしれない。
そんなリリアナの心細さを察して、彼は一緒にいてくれているのだろう。
「見てください、母上。俺の婚約者は俺に触れられただけで、顔を真っ赤にさせて。この上なく可愛いと思いませんか?」
「レイってば、さっきからリリアナちゃんの自慢ばかりっ。私がなでても、リリアナちゃんは可愛く微笑むんだからっ」
リリアナを取られてご機嫌斜めのスカーレットは、むすっと頬を膨らませている。気心が知れた人たちの前では、割と砕けた態度のスカーレット。レイモンドの公私をきっちりとわける性格は、母親譲りなのかもしれない。
(二人して、私のことばかり……)
リリアナが恥ずかしさでいたたまれないのは、二人のやりとりも理由の一つだ。
好かれているのは嬉しいが、今は他の事務員さんも一緒に仕事しているのでほどほどにしてほしい。
「それより母上。この部屋はリリアナにとっては、あまり良い環境ではありません。こちらの予算を削って窓の修繕に当てたらいかがですか」
「まあ、良い考えね。早速、計画書を作ってちょうだい」
なんだか話が大きくなっている。
「あのっ。私は短期のお手伝いなので、そこまでしていただかなくても……」
「リリは、おかしなことを言うね。この部屋はいずれリリの執務室になるんだよ。今から防音設備を整えておかなければ」
「そう……ですけど……」
偽装の演技だとは理解しているが、この二人なら本当に他の予算を削ってこの部屋の修繕をしかねない。
その不安が顔に出たのだろうか。レイモンドは困ったようにリリアナの顔を覗き込む。
「何か不満があれば言って? 予算はいくらでもひねり出すから」
「……いいえ。レイモンド様にお任せします」
このやり取りを聞いて、事務員さんたちがくすくすと小さく笑い始める。
きっと、甘すぎる婚約者に翻弄されているようにでも、見えているのだろう。
恥ずかしさの限界点に達したリリアナは、椅子から立ち上がった。
「私、図書室で資料集めしてきますね!」
「待ってリリっ。俺も行くから」
「これくらい一人で大丈夫ですっ!」
やはりこんな時は、逃げるに限る。
「はあ……。レイくんも公爵夫人も、この状況を楽しみすぎ……」
リリアナは一人で廊下を歩きながらため息をついた。
今は午前中だが、廊下にある窓のカーテンは全て閉められており、等間隔に灯りもつけられている。
公爵家の配慮のおかげで、リリアナもこうして一人で部屋から出歩くことができる。公爵家の方々には本当に頭が上がらない。
(なぜあんなに楽しそうなのかしら……)
婚約破棄した時のことを考えれば、必要最低限の設定に留めておいたほうがお互いにダメージが少ないだろうに。
リリアナがそう疑問に思っていると、強風で廊下の窓がガタガタ揺れ始めた。
「ひゃっ!」
思わずその場にうずくまる。
強がって一人で出てきてしまったが、失敗だったかもしれない。
(ここは公爵家。世界一安全な場所。ここは公爵家。世界一安全な場所)
心を落ち着かせるために呪文のように唱えていると、「リリアナ! 大丈夫?」と頭上から声がかかった。
見上げてみると、第二王子メイナードが心配そうに、リリアナを見下ろしていた。
「メイナード殿下。どうしてこちらに……?」
「公爵家の図書室に読みたい本があってね。外は吹雪だから暇だろう?」
「それでわざわざ……?」
「それもあるけど。リリアナにも会えるかなーっと思って」
メイナードに手助けてしてもらい立ち上がったリリアナは、はて? と首をかしげた。
「……私ですか?」
「ほら。リリアナが王宮で働き始めたのと入れ替わりで、留学することになったし。新年の祝賀会でも会えなかっただろう?」
卒業以来、顔を合わせていなかったので、会いたかったと。
人懐っこい性格の彼は、王子でありながらもクラスで可愛がられる存在で、リリアナも彼になつかれている人の一人だった。
しばらく会えなかったので寂しくなったのね、とリリアナは理解した。
リリアナも卒業以来、学園の同級生とはなかなか会えていない。急に懐かしさが湧いてくる。
「そうでしたね。遅ればせながら、お帰りなさいませ殿下。私もお会いしたかったです」
にこりと微笑みながらそう伝える。するとメイナードは、息でも止めたかのように硬直し、みるみるううちに顔が赤くなっていく。
「殿下?」
「たっ……ただいま。リリアナ」
久しぶりに会ったから、緊張しているのだろうか。