13 婚約者として
レイモンドからの仕事依頼というのは、婚約者として学園に迎えに来てほしいというもの。
日に日に令嬢たちからのアプローチが激化しているので、釘を刺しておきたいのだとか。リリアナの身には絶対に降りかからないであろう、贅沢な悩みだ。
けれどリリアナも気持ちはわかる。上司から押し付けられた好意は嬉しいものではなかったから。
もともとレイモンドとは、異性関係で助け合うために偽装婚約した。仕事依頼ではなくとも、手は貸すつもりだ。
道路が雪で真っ白に覆われているなかを馬車は進み、貴族学園へと到着した。
馬車が停止すると、リリアナは扉を開けた。馬車の中のぬくぬくとした暖かさに、ひんやりとした冷気が侵入してくる。
今日は天気が良いけれど、気温はぐっと低い。馬車から降りた時に踏んだ雪が、ぎゅっぎゅと鳴っているのがその証拠だ。
「お嬢様。お寒いですから中でお待ちください。レイモンド様が来られましたらお知らせいたします」
公爵家の護衛がそう心配してくれる。リリアナとは違い彼らは、馬に騎乗してここまできた。リリアナよりもよほど冷えているだろうに。
「ううん大丈夫よ。久しぶりだから校舎を見ていたいの。馬車は私が見ているから、皆は暖炉に当ってきて」
「お心遣いに感謝します、お嬢様」
護衛二人と御者は、すぐ横にある守衛所へと暖炉に当らせてもらいに向かった。この地域の冬は寒さが厳しいので、助け合いの精神で守衛所も拒みはしない。冬にはよく見られる光景だ。
(それにしても、一年前は私も学生だったのよね。懐かしいなぁ)
この一年のおかげで、学生だった頃が遠い昔のようだ。下校で歩いている生徒たちが凄く年下のように思える。
この貴族学園へは十三歳になる年から、十八歳になる年まで六年間通う。
レイモンドが入学した時は、休み時間のたびにリリアナの教室へ遊びにきたので、リリアナのクラスメイトの間では『リリアナ嬢の弟』ととして認識されていた。
(ふふ。弟呼ばわりされるのが嫌だったのに、結局は私が卒業するまで私にべったりだったのよね)
二人は学年が違うのに、リリアナの学生時代の記憶には常にレイモンドがいる。
課外授業では学年を無視してリリアナと一緒に回ってみたり、演奏会の練習では曲目が違うにも関わらず、彼は毎年リリアナの練習に付き合っていた。
初めの頃は爵位の関係で、リリアナがレイモンドに取り入っているのではないかと噂されたりもした。けれど二人があまりに姉弟らしく振る舞うので、いつの間にか悪く言う人もいなくなった。
(レイくんは私を姉として盾にすることで、女性関係から逃れていたってことよね)
それがなくなった今、レイモンドの学生生活はどうなっているのだろうか。
リリアナが心配していると、校舎の玄関が騒がしくなってきた。
貴族学園の制服を身にまとったご令嬢たちの輪の中に、一人だけ頭一つ分飛び出ている男性が見える。ピンクブロンドの髪の毛が目立つので、すぐにレイモンドだとわかった。
(わあ……。レイくん、舞台俳優さんみたい)
まるでご令嬢たちが、人気俳優にサインや握手を求めるファンのようだ。リリアナが通っていた頃には、一度も見ることがなかった光景。
確かに毎日これでは、レイモンドも学業に専念できずに疲れてしまいそうだ。
けれど彼は、一切そのような素振りは見せていない。差し出されているプレゼントや手紙は一切、受け取っていないが、笑みを絶やさずご令嬢たちの言葉に、丁寧に耳を傾けて対応している。
(レイくん。そういうところがモテちゃうんだよ……)
紳士的なのは良いが、あまり優しくするとご令嬢たちも期待してしまうではないか。
なんだかモヤモヤした気持ちでその光景を見ていたリリアナ、はたと自分の気持ちに驚く。
(わああ、嫉妬みたいになってるっ。レイくんが人気なのは良いことなのに……)
偽装婚約が終了したらレイモンドは、そろそろ本当の婚約者を決めなければならない年齢に入る。もしかしたら、このご令嬢たちの中に良い方がいるかもしれない。
(その時が来たら、偽装婚約についてはしっかりと私から説明して、二人を応援しなきゃ……)
そう決意するも、なぜだか心にはうっすら靄がかかっているような気分。
晴れない気持ちでレイモンドを見つめていると、彼はリリアナに気がついたようだ。
「リリ!」
彼は笑顔で白い息を吐きながら、ご令嬢たちの輪から離れてリリアナの方へと向かってくる。
「レイモンド様。お約束どおりお迎えに……わっ!」
「こんなに身体を冷やして。そんなに婚約者の俺に会いたかったのかい?」
オーバーリアクション気味に両手を広げ、リリアナをがっしりと抱きしめたレイモンドは、やや大きめの声でそう述べた。
当然のように周りにいた生徒たちは驚く。想定外の注目を浴びて、リリアナは恥ずかしくなった。
「レ……レイくんっ……」
「リリ、約束を忘れていないよね?」
耳元でそう囁かれて、リリアナは唇をきゅっと噤んだ。
今は偽装中の身。どんなに恥ずかしくとも、婚約者同士に見えるようにしなければならない。それが彼との約束だから。
(レイくんのためにも、がんばらなきゃ……)
「婚約者のレイモンド様にお会いしたくて、来てしまいましたわ」
恥ずかしい気持ちに蓋をして、リリアナも周りに聞こえるような声を出す。
レイモンドからは合格点を貰えたように、笑顔が返ってきた。
「寒かっただろう? 手を温めてあげる」
そう言って彼は、リリアナの両手を取り、自身の頬へと導いた。手に触れた彼の頬は、ほんわか暖かい。
「ふふ。レイモンド様の頬はとても温かいです」
昔もよくこのように、手を温め合ったりした。二人にとっては懐かしいやり取りではあるが、はたからみれば本当の婚約者同士にみえるだろう。
周りに目を向ける勇気はないリリアナだが、作戦は成功していると確信する。
「リリの頬は、冷えて真っ赤だね。頬も温めてあげる」
レイモンドは続いてリリアナの頬を両手で包み込んだ。彼の手の温かさがじんわりと伝わり、この寒さが一気に消えるよう。
先ほどまで室内にいたレイモンドは、どこもかしこも暖かい。
「はあ~。あったかい」
お風呂にでも入っているような気分で、思わず顔が緩むリリアナ。
そんなリリアナの顔を、レイモンドも溶けそうに緩んでいる表情で覗き込んでくる。
「可愛いリリ。大好き」
「んっ……!」
そして完全に無防備だったリリアナの唇が、彼によって塞がれた。
(一度ならず、二度までも……!)
前回の上司面談を思い返せば、十分に想定できていた事態。身構えるべきだったのにほんわかしたやり取りのせいで、すっかりと頭の中から抜けていた。
年下にしてやられた敗北感を味わいつつレイモンドの唇から離れると、彼は余裕たっぷりに笑みを向けてくる。
「温まったみたいだね?」
彼のお望みどおりリリアナの頬は、冷えによる赤から、熱による赤へと変化していた。