12 初めての任務4
執事がそう伝えると、続いてレイモンドが室内へと入って来る。
彼は今、学年末試験の準備で忙しい時期なので、帰りが遅くなったようだ。
「遅れて申し訳ありません。ただいま帰りました」
「気にするな。リリアナ嬢もお待ちかねだ」
シトリンに促されたレイモンドは、リリアナの隣へとやってきた。
「リリ、いらっしゃい。来ていたんだね」
にこりと微笑まれて、リリアナは少し顔の温度が上がる。
昨日は上司面談の際に彼からキスされて、そのまま逃げ帰ってきた。会うのが気まずいと思っていたが、レイモンドはいつもと変わらない様子。リリアナはほっと胸をなでおろす。
「お邪魔しております、レイモンド様」
「ところで今日は、何の会?」
「本日から人事調整課のお仕事で、公爵家のお手伝いをすることになりまして。歓迎会を開いてくださったんです」
レイモンドに事情を話すと、彼は作り笑顔を貼りつけながら、疑問でいっぱいな様子で首をかしげる。どうやら彼には、知らされていなかったようだ。
「ほら。リリアナちゃんは未来の公爵夫人だから、今から書類仕事に慣れたほうが良いと思って。私がお呼びしたのよ」
スカーレットの説明によって、レイモンドの作り笑顔はますます深まった。
「母上のご配慮に感謝申し上げます。歓迎会が終わったら、家族水入らずで話したいですね。もちろん、リリアナも」
(レイくん怒ってそう……)
レイモンドとしても、偽装婚約にここまでのリアリティは求めていなかったように見える。
困惑は当然の反応であったのだと、リリアナは少し安心をした。
歓迎会終了後に、居間へと移動した四人。リリアナとレイモンドが座る向かい側に、公爵夫妻が並んで座っている。
シトリンは『自分は部外者だ』と言いたげな表情であり、スカーレットはこれから叱られることに不満そうな顔だ。
レイモンドが優秀過ぎるがゆえに、公爵家ではこうして親子関係が逆転しているように見えることがある。
公私はきっちりとわけるレイモンドなので、それが他人の目に触れることはないが、リリアナは別枠なのかその場面をよく目にしてきた。
「母上。これはどういうことですか。俺たちのことには口を挟まないでいただきたいと、再三に渡り申し上げましたよね?」
「だってぇ。ママもリリアナちゃんとの婚約関係を楽しみたかったんだもんっ」
そして、叱られる時にスカーレットは少し子供っぽい感じなる。息子に甘えたい欲があるのだろうか。
「それでも、リリアナの仕事にまで迷惑をかけてはいけませんよ」
「リリアナちゃん……、迷惑だったかしら?」
スカーレットがおずおずと申し訳なさそうに尋ねてくるので、リリアナはそんなことないと笑顔で返した。
「いいえ。少し驚きましたけど、初めて人事調整課らしいお仕事を受けられたので嬉しいです」
「ほら、リリアナちゃんも喜んでいるのよ。反対しているのはレイだけだわっ」
味方を得たスカーレットは、文句あるのかと言いたげにレイモンドを見た。
レイモンドは困り顔で、母親とリリアナを交互に見る。
リリアナとしてもせっかく受けられたこの仕事は、ぜひともやり遂げたい。
お願いするような視線を向けると、レイモンドは降参するようにため息をついた。
「はぁ……。別に俺も、反対しているわけではありません。リリアナの迷惑でないか心配だっただけで。それに、リリアナには一生遊んで暮らしてもらっても良いと思っているので、書類仕事を覚える必要はありません」
レイモンドはまるで、リリアナと本当に結婚するかのような口ぶり。リリアナはそれがおかしくて、くすくすと笑い出した。
「レイモンド様ったら。今は私たちだけですから、フリをする必要はありませんよ。それと公爵家と違って男爵家は、働かざる者食うべからずなんです。レイモンド様と結婚するわけではないので、お仕事は必要なんですよ」
お姉さんっぽく現実を説明すると、なぜかレイモンドは不満たっぷりの作り笑顔に変貌する。
「へえ……そうなんだ。それじゃ遠慮なく俺も、リリちゃんにお仕事を頼もうかな」
(あれ……。レイくん、どうしちゃったの?)
どうやらまた、距離感を見誤ったようだ。思春期男子との交流は本当に難しい。
リリアナが新しい一歩を踏み出した日。カヴルを取り巻く状況も一変していた。
「どうかお助けください伯爵様! お願いします!」
「お前のせいで、うちの嫡男まで王宮を懲戒免職になったんだ! お前ら親子とは縁を切らせてもらう。次に顔を見せたら命は無いと思え!」
警備二人に腕を掴まれ、門の外へと投げ出されたカヴル。悔しくて地面に降り積もる雪を握りしめたが、これを警備に投げつけたらどうるかくらい予想はつく。地面に向けて怒りをぶつけるのが精一杯だった。
カヴルの父は、伯爵と出会ったことで事業を軌道に乗せた。その縁でカヴルも良い学校にも通わせてもらい、王宮に就職もできた。
王宮で働き始めてからは、伯爵の憂いを晴らすことで子爵の地位まで得た。カヴルにとっては、伯爵が頼みの綱だった。
そんな伯爵にまで匙を投げられたら、カヴル家はもうこの国では事業を続けられない。
父親は早々に、国外へ逃げる準備をしている。逃げ足だけは早い男だ。
けれどカヴルは、全てを捨てて国外へ逃げるのは悔しくてしかたなかった。
爵位を得て、王宮でそれなりの役職にもついた。後は、綺麗で従順な貴族の娘を嫁にもらえば、完璧な人生となったはずだった。
その時、カヴルの視線の先から馬車が向かってきた。見るからに作りが洗練されているその馬車の側面には、オルヴライン公爵家の紋章。
すれ違いざまに見えた窓の中には、楽しそうに談笑しているリリアナとレイモンドの姿が。
カヴルは昨日のレイモンドを思い出して、再び怒りがこみ上げてきた。
この国を去る前に、あいつに仕返ししなければ気が済まない。
「ははは……。あいつの領地はエリンフィールドだったな。あいつが一生後悔する贈り物を用意しよう」
それから数日後。
公爵家での仕事に余裕があった日にリリアナは、レイモンドからの仕事依頼を果たすため、馬車に乗って貴族学園へと向かった。