01 幼馴染を盾にしてしまいました1
「リリアナ君、私と踊りたまえ。これは命令だ」
王宮でおこなわれた新年の祝賀会。誰もが新しい年を喜び、晴れやかな雰囲気のなか、男爵令嬢リリアナ・モリンは一人だけ、アナス・ホリビリスが今年も続くのかと絶望していた。
彼女の目の前で偉そうに手を差し出しているのは、彼女の上司であるカヴル子爵。二十五歳の若さで平民でありながら、子爵の地位を拝命した若きホープ。
いつもその事実を鼻に着せるような、嫌味な上司で、しかも厄介なことに彼はリリアナに一目惚れしたらしいのだ。
去年春に新卒で王宮事務官となったリリアナは、すぐに彼の部下となった。
第一印象はひどいものではなかったが、リリアナは個人的な感情で彼を受け入れにくかった。
それというのも、リリアナは幼い頃に誘拐された経験があり、その犯人と上司の顔がどことなく似ていたからだ。
年齢的にいってもカヴルが犯人のはずはないけれど、誘拐事件がトラウマとなっているリリアナとしては、どうしても身構えてしまう容姿。
上司と気兼ねなく接するには時間がかかりそうだと、覚悟していた。
そんなリリアナの気持ちなど知るはずがない上司は、手取り足取り丁寧にリリアナに仕事を教える。カヴルと二人きりが多い部署でそれは、リリアナにとっては苦痛なものだった。
ただでさえ過去の恐怖が蘇ってくるというのに、カヴルの丁寧さは上司と部下という一線を越えつつあるもので。
書類の書き方を習った際は、口で説明すれば良いものをわざわざ手を握られて一緒に書かされたり。
リリアナが届かない高さの棚にある書類をわざわざ取るよう指示しては、危ないからと腰を押さえられたり。
仕事が上手にできて褒められた際は、手の甲にキスされて寒気が全身に走った。
苦手な顔であることを抜きにしても、上司の態度は度を越えている。その悩みを同僚に打ち明けたところ、上司の一目惚れが発覚したのだ。
スキンシップとは、お互いに好意的に思っているからこそ成り立つもの。上司のそれは、一方的で、身勝手で、リリアナにとっては迷惑でしかない。
いくら上司に好かれていようが、さんざん気持ち悪い思いをした後なので、到底受け入れられるものではなかった。
どうにかこの関係を止めたくてリリアナはある日、肩を揉んでくるカヴルに対して勇気を振り絞って、過度なスキンシップは止めてほしいと伝えた。
なるべく相手を傷つけないよう、やんわりとお願いしたつもりだったが。
カヴルは理解してくれないどころか激高し、その日を境にして威圧的にリリアナをそばに置くようになる。
命令だと言っては、休憩時間も部屋から出してもらえず。休日には朝から晩まで、社会勉強と称してデートに付き合わされるようになった。
上司の家に連れて行かれそうになったことも何度もあるが、いつも馬車が故障したり、カヴルが急にお偉いさんに呼び出されたりと。それだけは何故か幸運なことに、回避することができた。
最悪な事態だけは避けられているが、とにかくリリアナはこの上司が嫌でしかたない。この人相に良い人はいないのではないかと思えるほど、相性が悪い。
けれど、リリアナが上司に対して強く出られないのは、やはり過去のトラウマがあるからだ。
彼の顔を見ると、怖くて拒否できない。一度、勇気を振り絞った結果が悪い方向に発展しているせいもあり、カヴルの言いなりになるほか選択肢はなかった。
今も、彼とダンスなど踊りたくない。
本当は断りたいが、断ったら何をされるか恐ろしくて想像もしたくない。
差し出された手を見つめながら、泣きそうな気持ちをグッと胸の奥に押し込む。これは仕事だ、と何度も自分に言い聞かせた。
そして顔を上げて受け入れようとした瞬間――、リリアナの肩を掴む者がいた。
「リリアナ。具合いでも悪いのか?」
(えっ?)
驚きながら視線を横に移動させたリリアナの瞳に映ったのは、幼馴染のレイモンド・オルヴライン。オルヴライン公爵家の嫡男だ。
両親の髪色を半々に受け継いだピンクブロンドの髪が、リリアナの顔を覗きながらさらりと垂れ、澄んだ水色の瞳が心配そうに揺らめいている。
彼は、リリアナより二つ下の十七歳で、貴族学園に在学中。今年度は休学しており、第二王子とともに隣国へと留学していたはず。
「レイモンド様……! いつお帰りに?」
「……その様子だと、俺の手紙を読んでいないようだね。今日のエスコートをしたいとも、書いたはずなんだけど?」
リリアナはどきりと顔を引きつらせる。
最近は本当に上司との関係が辛くて、家に帰っても何もする気になれなかったのだ。山積みになっている手紙の中に、彼が送ったものもあるようだ。
「ごめんなさいっ。最近、仕事が忙しくて……」
「へえ。俺より大切な仕事ねぇ……」
レイモンドは姿勢を正して、上司を探るように見つめる。対する上司も、会話を彼に遮られたので苛立っている様子だ。
「リリアナ君。彼は誰だ?」
カヴルに問われ、リリアナはふと良い考えが浮かぶ。