無限に広がる大宇宙 ~松本零士さんを偲んで~
先生の作品と云えば、登場する女性の美しさだと思います。
その美しさはある意味、衝撃でした。
ヤマトの森雪やスターシア、ハーロックの有紀蛍、1000年女王、また無名のキャラでも一々美しい……。
その中でもメーテル、999の映画版のポスターでしたか、喪服をまとったメーテルと銀河系を重ねたような、ご記憶されている方もいると思います。
その美しさは、唯々美しいと形容する他ありません。その姿は清楚かつとても謎めいていて、女性の方も共感されると思います。
また、メーテルの声をあてている方もオードリー・ヘプバーンの声を担当された池田昌子さんで、より魅力的になっています。
おそらく、その頃を青春時代として過ごした男子は池田昌子さんと島本須美さん(カリオストロの城のクラリス、ナウシカ、めぞん一刻の管理人さんの声を担当)には、頭が上がらないと思われます。
憧れの女性(マドンナ)なのです。
少し、話がそれました(笑)。
因みに、私はアニソンのファンでもあるのですが、元気のいいOPではなく、余韻を残しつつ終わるEDに惹かれる者です。
新居昭乃さんや坂本真綾さん、やなぎなぎさんやAnnbelさん等が好きで、あにEn(アニメエンディング曲)ファンを自負しています。
先生の作品では、ヤマトではOPよりも「真っ赤なスカーフ」、ハーロックと999はOP、EDのどちら(笑)も好きです。
特に、999のOPの出だしとアニメーション(999が地上の線路から空間軌道へと走行するシーン)の一体感が、作品の素晴しさを予感させます。
また、999の映画版の主題歌も1・2共、素晴しいものです。
ED好きの私が1・2のどちらが好きかは皆様のご想像にお任せします(笑)。
また、1の主題歌を担当されたゴダイゴさんの別作品「西遊記」のOP・EDもまた然りです。
このまま続ると益々~(以下、略)、軌道修正いたします(笑)。
999には数々の人物が登場しますが、どなたもとても印象的です。
車掌さん、クレアさん、スーツケース(メーテル持参)の中の人(笑)、
アンタレス、冥王星のシャドー?、化石の戦士
蛍子?さん(夜になると蛍の様に光るのですが、まだらに光るので蔑まれていて、物語の最後に自身の漫画を鉄郎へ渡す)
ホロホロ(もっと早く鉄郎に会っていれば、自身の胸に風穴は空いてなかったと悲痛な思いを告げる)
等々、本当にキリがありません(笑)。
そして、猫のミー君です。「ミー君の命の館」はとても切ないお話なのですが、見た者の心を優しいものへと変えてくれます。
ストーリーとしても、考えさせられるものが多く、「装甲惑星」や「なまけものの鏡」、「エアメルライン?の???」など、これもキリがありません。
私が特に好きなものは「怒髪星」です。
これと真逆なものとして、星に近づく999に迄、聖なる鐘の音を聞かせる星がありましたが、その内実は普通の星と大して変わりませんでした。
私が影響を受けたのは、物語最後のナレーションです。
本当に聖人君子だけの星があるとすれば、そこはとても退屈なものだろうと結び、その言葉に共感したのです。
「怒髪星」はしょっちゅう喧嘩をしていますが、喧嘩が終われば以前よりも仲が良くなっています。
雨降って、地固まるです。
江戸っ子気質とでも云うのでしょうか。怒る時は怒りますが、その時間は短く、怒った事によりストレスが溜まらず、結果、笑う時間が増えるみたいな。
要はメリハリが効いているということなのだと思います。
999の中でも、怒髪星は古き良き地球のようだと統括されています。
私はこの星が好きで、今のこの世界もこの星のようにならないものかと”真剣に”思っています。
もちろん、喧嘩の仕方も大事で相手を傷つけすぎてはいけません。
巷には、女子にも全力でグーパンチを叩き込む、とある作品(笑)がありますが、衛宮士郎のようなフェミニストでなくても如何なものかと思います。
それは、能力者の超人性を表すためなのでしょうが、もっと違う表現方法はないものかと(笑)。
冗談はさておき、今の日本では喧嘩そのものがご法度のようです。
言いたい事も言えずストレスは溜まる一方です。
結果、四六時中不満を抱き、笑う時間が殆どないや、笑ったとしても無理やりなもので、人をあざけり笑ったりしてしまいます。
そして、溜まりに溜まったストレスがいつか大爆発……
とても、健康的とは言えません。
やはり、怒髪星のように喜怒哀楽ははっきりと、そして怒りや哀しみの時間を短く(全くなくすのではなく)心がけるようにすればいいのだと思います。
怒る時は、ストレスが全くなるように怒りなさい、但し、相手を傷つけすぎてはいけません。
また、怒りがまた新たな怒りを生むことは、絶対に避けねばなりません。
悲しい時は悲しみなさい。但し、泣いた後は「ないたカラスがもう笑った」になるべきです。
また、悲しみがまた新たな悲しみを生むことは、絶対に避けねばなりませんし、
どうしても避けられない場合は乗り越えられる日がくるまで忘れ去っても良いと思うのです。
それをねちねちとずぅっと悲しみに暮れさせようとする、とんでもない輩達がいるようですが、それはまた別のお話です。
おそらく、私に限らず先生の作品に影響を受けた方はたくさんいらっしゃると思います。
それが先生の意図された受け取り方かどうかは判りませんが、先生の意思を今の世の中に活かしていければと思います。
最後に改めまして、松本零士さんのご冥福をお祈りします。