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傭兵、家に帰る  作者: Emily Millet
2/2

傭兵、家に帰る(2/2)

実家に帰った傭兵の俺。

来週は地元、長良の夏祭りがある。


姉さんとおばあちゃんと過ごす束の間の安らぎ。

「肝嚢腫って結局なんなん?」

八月最初の土曜日、時刻は17:50。長良川で花火大会は19時に始まる。


そのせいか、

近所のこどもの騒ぐ声が昼すぎから大きくなっている気がする。

そろそろ川辺の原っぱに向かって

花火見物の場所取りをする時間だ。


昨日、俺は人間ドックを終えた。

三年前よりサイズの大きくなった肝嚢腫が気になっていた。

毎回着方を忘れる浴衣をどうにか着付けて居間に行くと、

姉さんは最新刊らしいカズオ・イシグロを読んでいた。


「大きなったいうても良性でしょ? また次回帰った時のお楽しみやね」

ふう、とため息を漏らして姉さんは本から目を離し、

そのまま俺を見て両眉を寄せた。

そして、俺の浴衣姿を見て、

へたっぴ、と呟いて、

本を閉じ、音楽をかけた。


「アレクサ、play “Night Dreamer” by Wayne Shorter」


一曲終わるまでに、姉さんが俺の浴衣を直してくれる。

やっぱりこれも、三年前と同じだった。


「貝の口、前回着付けた時より帯が余らんわ。

腰回り、ごつくなったんね」

背後で帯を整える姉さんが、それか太った?と言い足した。


「俺だってまだ33歳やもん、まだまだ筋肉でかなるわ」

「同僚のひとって、年配の方で何歳くらいやの?」


50歳過ぎても現役の傭兵はいる。

経験と人材育成の意味で重宝される。

兵器実験や商談の場に年配者がいると、

場の空気が整うので、上役にも50代の傭兵は信頼される。

加えてITに強ければ、

還暦過ぎても再契約をリクエストされる人材は多い。

事実そのままを姉さんに伝えるのは、気が引けた。


「ひとそれぞれやけど、40くらいで引退して、

警備会社とかにヘッドハンティングされる人が多いかな。

安全安心なキャリアアップやね」

「もしかして、ハリウッドでSPとかになるコースもある?」


せやせや、と答えると、曲が止まった。


姉さんが俺の仕事について質問するのは珍しかった。

質問されるのはむず痒くてすこし嬉しかったけど、

バレないように、

事実を婉曲させてぼやかすのに冷や汗がにじんだ。


はい、おしまい、と姉さんは俺の腰をたたいて立ち上がった。

ふわりと姉さんの香水が軽く微かに踊った。


「姉さんはさ、岐阜もいいけど、

もっと世界でて大きい仕事できる人だと、俺は思てるよ」


姉さんは、台所で小ぶりの水筒に麦茶を注いで巾着に収めた。

そのまま玄関へ向かった。

俺は姉さんの後に続きながら、財布の中の紙幣を確かめた。

夜店と寄るかもしれん居酒屋と、

足が痛くなった時のタクシー賃、十分足りると確認できた。


「田んぼかて、家かて、人に売ったり貸したりできるやん。

おばあちゃんだって、あんな英語話せるしまだまだ元気なんやから、

岐阜の田舎もええけど、もっと広い世界に飛び込めばええやん。

ダウントン・アビーの国にだって住めるよ。俺、サポートできるよ」


姉さんは、玄関に俺の下駄と自分用の草履を出した。


「今年の夏もの、派手やったかな」


玄関の姿見で、姉さんは着物の襟もとを直した。

姉さんは浴衣を着ない。

いつも、夏ものの着物を着る。

帯もお太鼓を締めて、足袋を履く。

涼やかなシャンパンイエローの着物が粋だった。

帯の上にチラリと見せたビビットオレンジの帯揚げと濃紺の帯締めがクールだ。


「ほら、もう40やん? 浴衣って襦袢なしでそのまま肌やん? 

恥ずかしいわ。着物のほうがほっとするもん」


整え終わると、巾着を床に置いて、草履を履き始めた。

「巾着、取って」

姉さんに言われるまま、玄関に置かれた小さな和装巾着を手渡した。


「ツタみたい。葉っぱが爪まで伸びよるね、それ」

巾着を手渡した俺の腕から、

新しくいれたタトゥーを姉さんが見つめるのを感じた。

肩の骨から、爪先ギリギリまで伸ばした葉のついた植物モチーフだった。

植物に華は付けていない。葉だけだ。葉月姉さんの『葉』。


「花火終わったら、おばあちゃんのシチュウ食べよか。

残ったの冷凍してあるんよ」


そのまま玄関を施錠して、暮れ始めた道を歩き始めた。


「おばあちゃんに行ってきます、言うてないやんか!」

俺が家へ引き返そうとしたら、

おばあちゃんは今夜お出かけで先に出たよ、

と姉さんが唇に人差し指を当てて、チュと音を出した。

ヒミツ? おばあちゃんに秘密があるのか。


「ねえ、夜ご飯、おばあちゃんのシチュウでいいよね?」

「あのシチュウ、ほんのり和風出汁のかおりするよな?」

姉さんがクククと笑った。


「なんつーか、いつも食べてるのはホワイトでも

デミグラスソース的なのでも、ストゥって感じなんよ。

中東でもEUでも。姉さん、なんかわかる?」

「STEW」

姉さんが相変わらずの発音で答えた。CNN。


背後から、こどもの声がした。

姉さんに向かって、こんばんは!と

頭を下げる金髪とボウズ頭の少年2人だった。高校生くらいだろうか。


「グッイブニング、ミズハズキ!」

言い直しながら頭を姉さんに向かって下げた。

そして、頭を上げると俺のことを横目でコンマ1秒みてきた。


Don’t stay late, but have fun! (はよ帰るんよ, 楽しみなね)

姉さんが返すと、

少年たちはイエス!と嬉しそうに駆けて行った。


「おばあちゃんのは、し・ちゅ・うって感じよね」

笑う姉さんにつられて、俺も笑った。

こういう言語のセンスを、

海外で活かしたらいいのにって心底思う。

もったいない。俺は悔しい。


「んであんた、ストゥとしちゅう、どっちが好きなん?」


西の空が茜色に染まってきた。

長良川の花火は暮れかけの中途半端に明るい夜空に一発目が上がる。

見えない閃光が、よくわからないけど風流に感じられるから不思議だ。

わくわくしてきた。

俺は無意識に早歩きになっていたのか、

姉さんが俺のたもとを掴んだ。


ストゥもしちゅうも好きだけど、

きっとそういう質問じゃないんだって、わかっていた。

じゃあどういう質問なんだっていうと、うまく言葉にできなかった。


「あのね、どこにいても、

私がすることしたいこと、たいして変わらんのよ」

どゆ意味やねん何したいねん姉さん、と返しながら、

俺は赤信号で立ち止まった。


祭りの交通規制で車通りは皆無だったけど、

姉さんも俺も立ち止まった。


「わからん男には教えへんし。

秘密のない女なんてつまらんわ、ね?」

姉さんは顎先に人差し指を、ポンポンと乗せた。

信号が青に変わった。


「今度は月のタトゥーいれよかな?」

俺の言葉に、すうと姉さんは鼻息を漏らした。


「言える秘密と言えない秘密の境目とは?」

姉さんは笑いながら、俺の腕に触れた。


何をされるんだと思ったけど、

姉さんは俺の腕の筋肉を「ギュウ」とつまんだ。

それだけだった。ちくりと痛かった。


長良川に向かう旧道に入ると、

お祭り目当てのひとだかりが、ゆっくり川辺へ歩みを進めていた。

浴衣姿の女性はたくさんいたけど、

夏物の着物に足袋まで履いて歩いている女性は、姉さんだけだった。


俺は、岐阜の実家に三年ぶりに帰ってきた。

実家で食事して、人間ドックを受けて、

恒例の夏祭りに姉さんと向かっている。

今夜おばあちゃんは、秘密のお出かけだ。

来月には、俺はまた中東に戻って兵器実験関連の傭兵として働く。

次に岐阜に戻れるのは、多分二年後だ。


姉さんが、ねえ、と自分の帯を指さした。

オレンジ色の帯揚げをチラとつまんだ。


「これ、お土産、ありがとね」


エルメスのスカーフは丁寧に折りたたまれて、

姉さんの胴体を包む着物の帯を威風堂々と支えていた。

威勢のいいオレンジ色だった。

いい仕事をしていた。姉さんに似合う。


家に帰れば、しちゅうとエアコンの効いた部屋が、俺を待っている。


(了)



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