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天魔の子・藤堂高虎  作者: 宇井崎定一
第八章 上杉謙信の挑戦
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柴田勝家、挟撃される

 四月十一日朝、柴田勝家は但馬を通り越して因幡に入っていた。






「親父殿、あまりにも猪突しすぎでは」

「やかましい、備前の宇喜多とやらが何もせずひざを折ったせいで筑前めは今や備中すらうかがっておるのだぞ!」



 因幡の西端は備前の真ん中ぐらいであり、さらに宇喜多家は美作も半分ほど占めている以上、秀吉軍はその気になれば勝家よりはるか西まで行ける。

 毛利水軍の脅威も受ける事のない山陰は山陽に比べれば楽なはずなのにいきなり大差がついてしまったのだ。



「宇喜多直家は裏切りを繰り返す梟雄、ゆえに筑前も山城(丹羽長秀)殿も信頼しておらず播磨を安定させるべく駆けずり回っているような状態で慌てる事は何もありません。ですから」

「犬千代、そのような弱腰でどうする?但馬に留まってずっと足元を固めていろとでも言うのか」

「はいそうです、毛利は別に逃げようがございませんから。公方様がいる以上、因幡は全力で守らねばなりませんので」


 もし義昭を見捨てるのならばとっくにそうしているはずだと言いたげな利家の背中に、佐々成政は右手を叩き付けにかかった。


「心配性だな犬千代、お前は上様を信じていないのか?」

「なんでそうなる!」

「丹波守がやって来るんだぞ?俺ら以上のおよそ一万の兵を引き連れて。そんな状態でどこの誰が反抗するんだ?」

「なればこそきちんと丹波守に安心してもらえるような土壌を作るために!」


 利家が血走った眼をしながら成政から飛び退いて逃げると、成政は右手の人差し指を利家の頭に突き付けた。


「ああそうかわかったぞ、お前あの猿に鼻薬嗅がされてるな」

「馬鹿も休み休み言え!」

「お前は本当にくそ真面目だな、だから親父殿の戯れにあたふたするんだな」

「その戯れが上様を経て丹波守を通して、それで一体どうなったかわかってるのかよ!」




 三月下旬に光秀は信長からの書状として

「一色丹後守(義道)殿を私利私欲により無用に脅かした伊賀守は、丹後守並びに丹後守の主人である越前守殿に謝意を示すべし。また藤堂若狭守にもである」

 と言う文面のそれを寄越していた。




 それを勝家はもちろん受け取ったが、その処置についてはまるっきり前田利家に任せていた。利家は何とか勝家のそれっぽい文面を考えて一晩中陣にこもって書状を記していたが、まったくその文面が思い浮かばない。


「親父殿、いい加減にしてください!」

「わしは何もやましい事などした覚えはない、と言うかまだ出していないのか」

「親父殿は上様の意に不満でもあるのですか!」

「何もない。強いて言えばなぜあそこまでお怒りになるのかと」

「わかりました!勝手に送り付けます!!」


 そんな調子で義道の所に送ったのがまだ二日前のだから梨の礫なのは当たり前であり、義道が許したとしても家臣や田中吉政が許していないかもしれない。ましてや藤堂高虎や浅井長政に送る文面など利家はまだ考えてもいない。







「もうよい。利家、まさかおぬしがそこまで気にしいとは思わなんだわ、許せ」

「許せません、その気を少しでも一色殿や藤堂殿に使ってくれていればこんな事になどならずに済んだのに!」

「わかったわかった、この戦が終わり次第全てを一色殿に話そう。みっともない五十路半ばの男の横恋慕もな」

「……わかりましたよ!」



 結局のところまったく真摯に話を聞いていないのに気づいた利家がふてくされた様子で引っ込んで行くと、勝家は成政の頭を撫でた。


「まあ、あまり悪く言うな。犬千代も実に立派な男だ」

「結局のところ、あの締まり屋の嫁に似ちゃったんでしょうね」

「そうかもしれぬ、若くして傾奇者を気取っていても、年を取ると結局はそんな物だろうな」



 利家の嫁のまつは夫に向かってずけずけ物を言う女であり、その上に夫と並ぶかなりの倹約家である。その夫婦からしてみれば、つまらないいさかいで齟齬を産むこと自体許しがたいのだろう。


 勝家はそういう女性を好まない。女とはお市のように貞淑で静かなのが良く、ああだこうだと口を挟む女は邪魔でしかなかった。



(ったく、何が天魔の子だ。堂々と尻に敷かれている事を公言するなど、それでもあやつは男か。まったくあの猿と変わらんではないか)



 秀吉の妻のおねはその最たる物であり、四葩もまた高虎周りから伝わる挙動を見る限りほぼ同じ状態である。無論利家にももう少しおとなしくさせるように言い聞かせてはいるが、その言葉が右から左へすり抜けて行くばかりであることはとっくに知っている。まつを呼び出して言い聞かせてやろうとも思ったが、そうした所で節を曲げないのがわかっているから余計に面倒くさいのだ。










 とにかく勝家は、午の下刻(午後一時)成政を先鋒として鳥取城へとたどり着いた。


「敵軍はおよそ千五百です」

「そして、敵将は足利義昭か……」


 落ち延びた征夷大将軍が足利の家紋まで掲げてこんな田舎の古城にいると言う事は、間違いなく囮扱いなのだろう。自分たちが城を攻めている間に次々と毛利軍が将軍をうんたらかんたらとか言う名目で襲い掛かり、最終的にすべてを飲み込むつもりだろう。


「哀れよな、征夷大将軍が囮とは」

「大将とていざとなれば先鋒に立つでしょう、何せ夷敵を成敗するために征夷大将軍がいるのですから」

「ハッハッハ、そうだな。おい成政、ほどほどに当たって来い」


 勝家が高笑いしながらお見通しと言わんばかりの顔で成政に向かって手を振ると、成政は二千の兵を率いてゆっくりと城に向かって近づいて行った。

 無論板盾を構え、銃も用意して万全の攻勢体制を取っている。



「おい、まさかとは思うがこの城の城主を誰か知らずに来たのか」

「へぇ知らないな」

「この城はな、貴様らによって京を追われた征夷大将軍様がおわす城なんだよ!」

「ああそう、ったく落ちぶれたもんだな」

「尊氏公だって九州まで落ち延びた事があるのだ、たかが因幡ぐらいどうという事もない!」

「どうやってだ?」


 そうして近づいた所で当然のように城方から征夷大将軍と言う名前で押しにかかる声が飛び、成政も負けじと言い返した。ただひたすらに品のない悪態を付きながら、征夷大将軍と言う存在と戦っている自分の品位を良い意味で下げていた。


「征夷大将軍とか言うが、所詮は毛利の囮だな。そんな物にされて悔しくないのか?義満公も泣いておられるぞ」

「泣くのは貴様らだろう!」

「嬉し涙を流せと言う事か、喜んで流してやろう。では行け」



 成政が蔑みと憐れみを混ぜこぜにした表情で攻撃を命じると、当然のように矢が飛んで来た。別にどうってことのないありふれたごあいさつに拍子抜けと言う調子で兵を進めた成政に対し、城兵たちもずいぶんと余裕そうだった。



「まったく、征夷大将軍も落ちるところまで落ちたものだ。この小城を枕に散ってもらうとするか」

「ほう、いつから佐々成政は征夷大将軍になったのだ」

「屁理屈ばっかりこねおって!」



 成政がくだらない言い争いをしながら城門に手をかけようとした時、予想通り西から敵援軍がやって来た。







 三つ盛り木瓜の旗を掲げた軍勢。数はおよそ千五百。第一陣だろうか。









「誰だ?」

「誰だとは何だ、我こそは朝倉家家臣、朝倉景紀ぞ!」



 成政の心からの疑問に対しその援軍の大将の男は激しく吠え掛かったが、成政の顔は醒めたままである。もはや朝倉など藤堂高虎の妻の家でしかなく、当主である朝倉景鏡はまったく高虎の家臣である。


「若狭守に降りに来たのか」

「覚えておけ。ここで貴様らは死ぬ。織田と共に死ぬ」

「あの女房に頭の上がらん男ならば許してくれようぞ」


 まったく人の話を聞いていない同士の口喧嘩が終わったのと同時に、勝家は利家軍を景紀軍にぶつけようとした。










「後方から敵襲です!」

「なんだと!」

「前田殿から早急に退けと」


 だがその前田利家が、事もあろうに後方から攻撃を受けているからとか言って撤退勧告をして来た。


「では仕方がない、他の奴を当らせろ!まだこちらには六千の兵がいるのだ!」

「しかし後方から敵襲となると」

「たわけ、いったいどの辺りに敵が潜んでいた!見落としは腹立たしいが見落とす程度の数だとすればさしたる問題ではない!」

「それがおよそ千だと」

「利家の手勢で補えるだろうが!とっとと帰れ!」



 もちろん勝家はそんな利家の部下の戯言をまともに聞くこともなく、別の将に兵を与え景紀に当たらせた。毛利軍がいかに手ごわかろうが所詮千程度、利家の武勇ならばどうって事のないはずだ。確かに挟撃されているのは面倒くさいが、それでもたかがその程度の数を相手に何をおびえているのか、勝家は腹立たしくてしょうがなかった。



「柴田様、あれは村井殿では」

「わかっておるわ、まったく利家め何をあわてふためいておるのか、そこまでしてわしの首根っこを掴みたいのか。おーおー、あの朝倉の奴意外とやるではないか」



 寵臣の村井長頼を寄越して来てまでも逃げようとする利家に、勝家は内心あきれ果てていた。この戦が終わったら利家の弱腰をまつにでも告げ口してやろうかと思いながら景紀軍の戦いを眺め、意外な景紀の奮戦ぶりに感心していた。




「よしわしが出てここで」

「前田様が勝手に敵軍を突っ切って後退しました!」

「あの馬鹿!一体何のつもりだ!」







 だがそんないざと言うところで、利家はまったく空気を読まずに逃走を図り出した。もう弱腰と言う次元で済まない行動を取った利家をこれまでずっと守ってきたことを、勝家は後悔した。



(利家め……なぜにあの程度の男にこだわる!?上様も上様で、義兄として越前守に物申すべきではないか、配下の者に対しもう少し武士として心構えを持たせるようにと!)



 上様に頼んで罷免してやる。さもなくば大事な大事な浅井にでも売り飛ばしてしまえばいい。決して自分が悪いと思っていないわけではないが、かと言ってこんな風に主将を置き去りにするとは!



「敵第二陣です、数はおよそ千」

「ちっ、利家めが逃げ出したせいで兵が残っておらんわ。まあよい、わしが自ら当たってやる。利家めが逃げ出したせいで兵が残っているだろう、お前はそれを狩れ」



 鳥取城の北からやって来た景紀軍に対抗するかのように南からやって来た援軍、本来ならば自らの手で狩る予定はなかったそれを止めるべく、勝家は自ら兵を率いて動き出した。


 そして一文字三つ星の旗を掲げた毛利軍と当たろうとした直後、後方がこれまでの数倍騒がしくなった。










「敵は大軍です!」

「大軍っていくつだ!」

「およそ六千です!」

「馬鹿を言え!どこの誰が」

「とにかく大軍なんです!早くお逃げください!」

「お前までそんな事を」










 ふざけるなとばかりに後ろを振り返った途端、勝家は自分の過ちに気付いて一挙に目が覚めた。




 敵は大軍、しかも山名軍。ここまでならばまだともかく、次の言葉が勝家の自惚れを鋭く咎めた。




「柴田勝家!今すぐ逆賊・織田信長の元へ行け!」







 その山名軍の将の言葉と共に、全ての敵が信長は死んだと連呼し始めた。戯言をと言い返すには、あまりにも自信に満ちている。




「明智殿は幕府のために逆賊を討ち取ったのだ!その部下も仲間もみんな同じ場所に送ってやる!さあ、行くぞ!」


 足利義昭が天守から姿を現し、城兵たちもここぞとばかりに飛び出して来た。










「成政!」

「犬千代に従ってください!」







 信長の死、明智光秀の謀叛を知らされた柴田軍の士気は一挙にどん底まで落ち込んだ。それでも成政は必死に気を保ち勝家に退却を勧めたが、勝家に付き従えるほど心強き兵はかなり減っていた。


「利家に何か」

「来世では絶対勝ってやるとお伝えください!」



 勝家は全軍を急速に反転させ、山名の大軍に突っ込んだ。おそらくその先には明智軍が待っている。生きて帰れるかわからない、この死出の旅路になりかねない戦いに、勝家は挑んだ。




(利家、すまぬ、すまぬ……!お前がどう察したのかはともかく、これ以上の深入りは危険だと判断したのは正解だったと言うのは今ようやくわかった……!)




 勝家は毛利軍に後ろを突かれながら、前だけを見て走った。得物を振り回し、山名軍を薙ぎ倒す。その武勇に釣られるかのように逃走していた兵士も得物を振り、決して強くない山名軍を突き破らんとする。



「何をしている、とも言えんな……」


 勝家が何とか東へと向かおうとする中、成政には城兵や景紀軍が一斉に襲い掛かっていた。

 成政だけが腹をくくった所で、それに付き従える度胸のある兵は少ない。心の折れた者は勝家に付いて行くだけになり、折れていない者は勝家と共に再起を図らんとして山名軍を斬っている。


 残ったのは、攻城隊の十分の一以下だった。




「征夷大将軍の軍勢を一人でも殺してやるのだ」

「お供します」




 その成政の言葉と共に残った兵士たちは突っ込むが、毛利軍は山名軍ではない。


 決死の覚悟で当たった所で、正確な兵の運用と柴田軍に負けず劣らずの個人的実力、そして数の差によって圧倒されるだけだった。









「文句ならば藤堂高虎に言え。あの男が姫様を傷物にしたのが何もかも悪いのだからな」

「朝倉め……」


 やがて成政自身も三十人近い犠牲を作りながら奮闘したが次々と傷を負い、最終的に朝倉景紀により信長の元へと旅立った。




「ちっ、前田利家も素早い奴だ」

「まあ、ここを抜けたとしても次は明智殿だからな。すぐさま肩を並べてもおかしくはあるまいよ」


 成政らの奮闘により二百名近くの毛利軍兵士が死んだものの、もはやそれ以上の損害はなかった。



 結果的にこの戦で因幡を無事脱出できた織田軍は八千のうち半数程度であり、但馬に比べれば安全かもしれない播磨へ入れたのはわずかに四百だった。








「吉川様から伝言です。もはや織田の瓦解は必定、毛利はあくまでも先代様の遺言を守り天下を望む気はないと」

「そうか、実に感謝している。さすがは鎌倉幕府時代の名家大江氏の末裔ぞ」


 義昭はまるで尊氏か義満の真似のように肩をいからせながら、あまりにも不似合いな甲冑姿で、烏帽子をかぶりながら故郷である京へと凱旋しようとしていた。



 明智光秀のあの真面目な顔を思い浮かべ幕府として正しき政を行える日を待ち焦がれる義昭の顔の事など、吉川殿こと吉川元春はもうどうでもよかった事など、義昭は知る由もなかった。

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