明智光秀、帰蝶を殺し織田信長を焼く
一万の兵がたいまつを掲げながら、夜の京の街を走り回る。
眠りの中にあった住民たちが目を覚まし驚嘆するのにも構う事なく、やる事を決められた集団は先鋒の光秀とその重臣たちに連れられて一点に向かって進んでいく。
「しかしその」
「なんだ今更!」
「妻がいる可能性がありますが」
「これは正義の戦だ、何をためらう事がある。いざとなれば私が斬る」
「わかりました……」
利三の言葉にほんの少し戸惑った光秀だったが、今更決意が揺るぐことなど微塵たりともなかった。
信長を一番制御できるはずだった人間が全くの傍観を貫いている事に、光秀はほとほと腹が立っていた。傍観どころか共感と言う、より悪質なそれの可能性さえ秘めた濃姫であるが、光秀は何とかして生かしたいと言う思いもあった。
(姫様、私は決してあなたを殺めたい訳ではない。ただ少しでも幕府のため、主上様のために何が良いかぐらいはおっしゃるべきでした。それさえできるのであればこの光秀、その命を守りあなたを天界へと導かせましょう)
光秀は本能寺へと馬を走らせながら、いつも信長のそばで妖しく微笑む濃姫の顔を思い浮かべた。
何とかして救いたい。素直に向き合って話してみれば伝わるかもしれない。
(その時は……)
それでも駄目ならば致し方がない。そう割り切るかのように、光秀は自分の刀を抜きながら走った。
一挙に歓声が上がり、たいまつが投げ付けられる。油がまかれ、それと共に宵闇の京の町が一挙に明るくなる。
「逃すな!」
利三と秀満の軍勢が左右に回り、逃げ道をふさぐ。丹波の国人たちが後方に回り、光秀は自ら突入した。
「謀叛だ、謀叛だ!」
ここに来てようやく謀叛の叫び声が入るが、今更それにひるむ兵などひとりもいない。敵とみれば得物を突き出し、亡骸に変えようとするだけだった。
「敵はいかほどだ」
「五百とのことです!」
敵と言う言葉をはっきりと用い、光秀ははっきりと立場を見せつけた。
「敵!」
「そう、命を惜しむ者は得物を捨てよ!」
大義名分をとりあえず作り出し、その上でふざけるなとばかりに挑みかかってきた兵を斬り落とす。銃弾を浴びせ、亡骸を踏みにじる。
光秀は、血に染まった足を動かしながら夜空を明るくする松明の中へと飛び込んで行った。
「なぜです、なぜこのような真似を!!」
「それはこちらの言葉だ!一体何故織田はあのような暴虐行為を!」
「何故と言われても」
五百人と言っても、その実は小姓や小物に過ぎない。まともな兵士など百名もおらず、それでも回るのが本能寺の実情だった。信長に忠義を誓っていようといまいと、武士相手には容赦なく斬り殺されるのには何の変わりもなかった。
「主上様と公方様に忠義を誓う者は得物を捨てよ!命は取らぬ!」
「気でも触れたのですか!」
真顔のまま光秀は叫び、真顔のまま人を斬る。大将に釣られるように一万の殺戮集団が小さな本能寺を取り囲み、人のみならず寺まで壊して行く。
そうしていないのは正門を守る二千人ほどだけであり、彼らもまた織田に連なる者を斬る事に何の容赦もしない集団だった。
「おのれ謀叛人め!」
「謀叛人とは貴様らの事を言うのだ!」
拙い刀術ながら必死に斬りかかり、ひとりでもこちらの兵を減らそうとしてくる。
「謀叛人、謀叛人!!」
「得物を捨てよ」
「捨てませぬ!」
中には女までいた。なぎなたを必死に振りかざし、数少ない弱点である顔や手首足首をけなげなほどに狙おうとしてくる。
はいはいとばかりになぎなたを叩き落すと、細腕を伸ばして足首をつかんだり脇差を抜き取ろうとする。
「逃げよと言っておろう!」
「上様の安全を確保されるまでは!」
「今なら我らが公方様に仕えられるよう取り計ら」
そこまで言った所で侍女に押し倒されそうになり、明智軍の兵がのしかかられて首を落とされそうになる事態が発生した。
「明智様、お考え直しを!」
「今更!」
「私は上様から聞きました、この戦いはまさに天魔の」
小姓の一人が高虎の名を告げようとする間もなく、光秀はまた人を斬った。
「なぜだ、何が同じだと言うのだ!?」
「落ち着いてください、目標は信長です!」
「わかっている!」
いら立ちが収まる事はない。
自分はこんなにも正しいことをしている。
だと言うのに誰もそれをわかろうとしない。この戦が終われば皆が目を覚ますだろうと言う期待を込めながらも、まったくその期待を踏みにじるような冷たい反応ばかりを敵は繰り返す。
(いくら敵の中枢とは言え……!)
諸悪の根源の根拠地などこんな物だとわかっていたつもりなのに、悔し涙が止まらない。
女は命がけで戦い、男は藤堂高虎とか言う輩の事を持ち出す。
「いいか、このような凄惨な戦はこれで終わりにする!そのためにも絶対に信長を逃がすな!!」
光秀は火が燃え移り始めた本能寺を、ひたすらに駆け回った。
そのたびに人を斬り、建物をも切った。そして得物を回収し、その得物でまた人間を斬らせた。
そんな事を繰り返しながら信長の居室の前にたどり着き、ひとりの着物を着崩した女性と対面した。
「光秀、何があったの」
「帰蝶様!」
左手で巻物を抱えた帰蝶は光秀を楽しさと悲しさの混ざった表情で見つめながら、信長の待つであろう門をふさいでいた。
「私は、あなたに止めていただきたかった!!」
「何をです」
「比叡山の焼き討ちです!」
「事後報告だったのですよ?」
「叱り飛ばすなり、そのような事をしてはならぬなり!」
「義母上様に何かしていたのも光秀でしたのね」
土田御前も息子の所業を知り胸を痛め、控えるように書状は寄越していた。
だが信長を幼い時から疎み続けて来た土田御前は家中の評判が悪く、幼い時はある程度なついていた孫の信忠や信雄も元服し次第すぐさま離れて行った。そんな訳で影響力はまるでなく、信長の返事も元気そうで何よりですで終わる事が多かった。
「その義母様の思いがなぜわからないのです!」
「わかりませんね、ずっと勘十郎(信勝)にしがみついて実の息子に向き合おうとしなかった人間の思いなど」
「その巻物もまた、国を踏みにじる何かなのですね!さあ、疾くお捨てください!」
「駄目ですよ。これはあの人の夢なのだから」
「なればこそです!」
信長の夢とか言うあまりにも勝手な欲望のためにこれ以上他人を巻き込むような事はあってはならないし、ましてや帰蝶などはなおさらだった。
「すべて地位を保証してくれたのは公方様であり、主上様です!さあ、共に公方様の元へと参りましょう!」
「光秀、ならばなぜあなた自ら将軍を放逐させたのです?」
「武田親子が敗れもはや独力ではどうにもならぬと知り、ゆえに秘かに手を打ち公方様を毛利の元へ逃がしたのです!」
上質な材木が赤く染まる中、光秀は刀を向けながらも秘密を明かして見せた。
二年前光秀により京を飛び出した足利義昭であったが、すぐ斎藤利三により保護され、そこで手の内を明かされて反動のように手の平を返して光秀を信頼していた。
そして毛利家の協力を得て鳥取に潜伏し、かつて足利義澄らがそうしたようにいずれ京に戻る日を期待して待つ事にした。
「へぇそうだったの、まさかと思うけど武田の親子を」
「子はともかく親は私がやりました!それからこれより毛利と上杉も動きます!」
「ねえ、何が悪かったの?」
「あの堺です!!」
心当たりならあったつもりだった帰蝶の心の隙を突くかのように繰り出された堺と言う単語は、彼女の目を丸くさせるには十分だった。
「あの堺を見た時、私は背筋が凍りました!あれはもはや、ただの戦場、いや貧民街です!」
「何でそうなるの?あんなに繁栄しているのに」
「手に手を取り合い、皆仲良く商う事こそ必要な物!あれではいずれとんでもない数の敗者が生まれ、社会は崩れます!公方様が首を縦に振らなかったのもまったくごもっともです!」
「楽市楽座など、今川氏真の模倣でしょう。まさかその今川が大名としての地位を失っているからまた同じことになるとでも」
「これまでの公方様全員が築き上げた天下、そこから生まれたそれを破壊するなど政治的にあまりにも不遜であり、そしてあまりにも傲慢です!」
「公方様、公方様…………光秀、足利義昭が」
必死に訴えかけていたはずの光秀はいきなり帰蝶を串刺しにし、そして無言でぬぐいをかけて血を拭き取った。
(結局は魔王の妻か……)
全ての情と時間が無駄だったことを感じながら、あれほどまで守ろうとした帰蝶の死体を足蹴にして光秀は信長の部屋へ続く戸へと手をかけた。
だが引こうとする刹那、いきなり寺が大きく揺れた。
「何だ!?」
「寺が崩れます!」
「やむをえまい!くそっ、我ながらこんな女に無駄な時間を使ってしまったわ!」
ここで死んでは何の意味もないとばかりに光秀は帰蝶を貶めながら、本能寺からの脱出を決めた。
まるで信長の執念か地獄の大火かのように立ち上る火を避けながら、光秀は何とか本能寺から脱出した。
そしてほどなくして、明らかに火により焼け落ちるそれと違う音が鳴り響き、本能寺の中枢から木材と血が飛び散った。
「火薬ですね」
「……遺体すら残さぬ気か……第六天魔王よ、第六天から永遠に帰って来るな……織田信長の死を布告し、京の街を守れ。すべては公方様と主上様のために」
光秀は死者への敬意も払わぬままただただ毒付き、極めて機械的に次の命令を下した。
「ああそれから、いずれ不埒者が信長の仇討ちとか言う大義名分を得てやって来よう。その時こそ諸君らの出番だ。正義の兵の力を見せるのだ!秀満は京の治安を守り、利三は私と共に公方様を迎えに行く。庄兵衛は本願寺に攻撃をかけさせよ」
光秀は言いたいことを言うと、ほどなくしてやってくる四月十一日に思いを馳せた。
(正しき秩序の世界が帰って来る、その日まであと一歩だ……だが百里を行く者は九十里を半ばとすと言う、最後の最後まで油断はなるまい……)
その四月十一日になるべく近い期日に毛利と共に柴田を挟撃するべく、明智光秀はすぐさま京からその姿を消した。
かくして乱世の覇王織田信長は、安土に誰も見たことのない城を築くと言う最後の望みをかなえることもできないまま、あまりにもあっけなくこの世を去ったのである。
信長、死す!(明智との)デュエル、スタンバイ!セットアップは22日午後7時から!




