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天魔の子・藤堂高虎  作者: 宇井崎定一
第七章 兎大友皇子
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織田信孝、信雄との戦いに心囚われる

 三月十一日、羽柴秀吉と柴田勝家が中国地方で戦果を挙げている頃、滝川一益は伊勢で神戸信孝をなだめるのに苦労していた。




「戦はいつ始まるのだ」

「所詮相手のある事ですから」

「まったく、最後のほうになると一揆衆自ら農民を殺してたからな、まともに兵の練度が上がらないから困ったものだな」




 浅井家の協力により四年前に伊賀が陥落し、大和の松永久秀も服属した上に本願寺も積極的支援を行わなくなったため伊勢長島一揆は急速に崩壊、伊勢南部へと逃げ込んだが志摩の国人が織田方に付いたため、一昨年の四月の間に伊勢志摩の二ヶ国は完全に織田領になっていた。


 なお最後のほうになると本願寺の支援も得られない一揆衆は農民代表のくせに農民を殺すなどと言う馬鹿馬鹿しい展開になっており、そのため織田家に住民は懐いていた。




「しかし本当にこの伊勢は平穏だな。紀州へと逃れた人間もいるだろうに、それを追うぐらいのことは父上は認めてくれてもいいだろうに」

「紀州は飛騨にも匹敵する山国です、ゆえに団結が強くそのうえ鉄砲衆はかなりの強兵です。雑賀衆をご存知でしょう」

「知っている、彼奴等が伊勢に入ってこないように守りを固めておかねばな。

 ああ言っておくが、まだ俺は打っていないぞ」

「ああしまった!ま、参りました……!」



 その事もあり二年間、信孝は伊勢を攻めていた一益とともに行政に専念していたが、残党狩りすら起こらないまま時ばかりが過ぎていた。


 一益もまたこうして暇を持て余しており、まったく覚えのないヘボ碁を信孝と打って時を潰している。接待でもないのに四番に一度程度しか勝てず、信孝の無聊を慰めていた。


「滝川一益ですら二手打ちをしてしまうほど、伊勢は平和か……伊勢はな」

「悪いことではございませんが、いずれ戦は起きましょう」

「しかし父上もずいぶん急だな、中納言様(信忠)に家督を継がせるなど」

「当主と言う座を離れ、隠居として何か大事業をなさる気なのでしょう」

「兄上を支えるのはこの信孝でなければならぬ、信雄などではない!」



 信雄は実は信孝より生まれた日は後だが、生母の身分の関係で信雄が次男、信孝が三男にされている。だからこそ信孝は信雄に対して激しい敵意を抱き、信雄もそれに負けじと張り合っている。



「そのためにも大きな成果を上げねばならぬのだ。とりあえずやはり、上杉だろう」

「上杉は本当に美濃を狙ってくるのでしょうか」

「来るだろうな。このままもたついていては織田と浅井と徳川による統治は完璧になる。もはや時間はそんなに残っていない。一発逆転の手段を取らねば上杉は滅んでしまいかねないからな、焦る気持ちは重々わかるがな」




 焦っているのはあなたもでしょうとは一益は言えない。



 信雄とて自分と同じように暇を持て余しているが、その場所が「尾張」の「清洲城」と言うのが信孝にとっては不愉快の種である。信忠のいる美濃からの距離もさることながら、織田の始まりの地である場所に堂々と入っていられるのは何の特権かと信孝が腹を膨らませた事は少なくない。


 だから今度の上杉との戦いで信雄以上の手柄を上げるために、信孝は最近かなり訓練を厳しくしていた。無論兵農分離が進んでいる織田だから農兵を駆り出すようなことはしないが、それでも職業軍人たちはむやみやたらに引き上げられた給料に正比例するかのように厳しい訓練をやらされていた。


(お気持ちはわかりますが、まったくこんな調子では私のような失態を犯してくれるような相手でなくば勝てませんぞ……)


 一益は確かに先ほど碁で二手打ちと言う阿呆すぎる真似をやらかしたが、その前は一益圧倒的優勢だった。十目ぐらいの差がある中投げ場を求めるかのように吹っ掛けてきた勝負手をどう受けようか迷った挙句の結果であり、まったく幸運の為せる業でしかない。



「ああちょっと、私がやりますから」

「構わぬ、任せておけ。それでだ、上杉は武田や北条と手を組み、織田を討ったとして何を得る?俺には上杉は何をしたいのかと言う答えがわからないのだ」

「上様が足利家にひざまずく事です」

「だからそれがわからんと言っているのだ。今さら織田が足利家にひざまずいて何の得があると言うのだ」

「天下に足利家に対し忠義心あふれる家であると指し示す事ができます。ただし、上様は許されるとは思えませんが、あくまでもよくて中納言様でしょうが」

「つまらん冗談だな」


 

 それがまったく冗談などでない事を、一益はよく知っている。実際一益も碁石を戻す信孝と同じように謙信のその狙いに意味があるのか理解できなかったが、理解できないからこそ恐ろしい事をよく知っていた。



「織田がここまで大きくなったのもまた、他家にとって理解できない手を打って来たからであり、これまで理解できなかった物を理解して振る舞って来たからでございます。謙信もまた我々には理解できない力の持ち主、その上単純にかなり強うございます」

「足利家に織田が服属すれば、織田の衆は幸せになるとでも言うのか?」


 一益が首を縦に振ると、信孝は唇を細めながら頭を揺らした。

 物心付いた時にはすでに大大名信長の息子になっていた信孝に取り、熱狂的な宗教組織は伊勢長島一揆や加賀一向宗などただただ敵でしかなく、その上いずれは潰れる存在だった。


「言っておきますが一向宗も伊勢長島一揆も主力は農兵と言う名の雑兵でした。上杉軍は本物の兵士です」

「わかっておる、だがいったいどれほどの軍勢をこの戦いにぶつけられる?それこそ全軍で来るとでも言うのか」

「浅井を守るそれ以外のすべてで来るかと、越後よりも大事なのですから」



 信孝は自ら片づけようとしていた碁盤を取り落とすと、一益を強く見つめた。碁石の飛び散る音とともに使用人たちが駆け付けるが、信孝は口を開けたまま一益に接吻できそうなほどに擦り寄る。




「ああすまぬすまぬ、どうか許してくれ。それでその顔からすると冗談ではなさそうだな…………だがあまりにも荒唐無稽ではないか」

「相当な自信があるのでしょう」

「だが来るとわかっていればいくらでも手の打ちようはあろう、軍勢を増やすとか徳川殿にあらかじめ甲斐や伊豆を攻撃してもらって目を逸らすとか」

「上様と中納言様ですからその程度の手は打ってあると考えるべきでしょうが、その上となると……」

「まさかその強さを見て、俺が上杉に泣きつくとでも思っているのか?」

「ええ、織田家が尾張守護代になれたのは一体誰のおかげかと気づくと。それにより浅井や徳川もまたしかりかと」


 何の策略も事前に仕掛けないのに寝返りを期待するなどそれこそ馬鹿馬鹿しいの一言に尽きる。ましてや尾張や美濃など織田の本拠地であり織田にとって非常に治めやすい土地であり、そこから寝返りを出そうなどどう考えても無理なはずだ。


「そう言えば筑前も伊賀(柴田勝家)も中国地方で毛利を攻めていたな、もしかして毛利と示し合わせているとか考えられぬか」

「伊賀殿も筑前もそう簡単に崩れるとは思えませぬ、仮にそうなったとしても十分凌げます。でもだからこそわからないのです」



 上杉謙信に関する問答は、いつも堂々巡りになってしまう。一体何を謙信が期待しているのか、どうしてもその答えが出て来ない。本願寺か。紀州の雑賀衆か。だがいずれにせよ従前の勢いはなく、どうしても迫力不足だ。松永久秀にしてもここで派手に反旗を翻す理由が見当たらないし、淡路や四国などどうなっているかわからない。




「とにかくだ、いつ上杉が美濃に押し入っても構わぬように鍛錬だけはさせておかねばな。明日は兵士を督戦して訓練を盛大に行う」

「はっ」

「信雄などに負けぬようにせねばな」


 とにかく他にする事もないと言うわけで訓練に勤しまんとする信孝は、すぐさま謙信は何を考えているのだと言う事を頭に追いやり、信雄との戦いに勝つことだけに神経を注ぎにかかった。

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