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天魔の子・藤堂高虎  作者: 宇井崎定一
第七章 兎大友皇子
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今川氏真、信長の秘密を知る

「実に素晴らしき技であった。そうであろう」




 本能寺にて、蹴鞠の技を楽しんだ信長と濃姫の顔は実に悦楽に満ちていた。傍らに立つ小姓が不思議そうな顔をするのも構う事なく、二人とも無邪気に手を叩いている。


 その技の見せ手である今川氏真を、小姓たちは良く思っていなかった。







 小姓とはそれこそ未来の御家の中核であり、佐吉のように内政の方向に向く人間もいるが大半が武将となる。そういう人間からしてみれば、氏真は「父の仇にこびへつらう男」でしかない。



 桶狭間から十年足らずで駿河遠江三河の三ヵ国を失い嫁の実家である北条家に走ったのはまだともかく、その北条と仇敵の武田が手を組んで居場所を失うや事もあろうにかつての部下であった徳川に膝を折るしかないという時点で自分だったら死んでいる、そう陰口を叩く者もいた。







 だが氏真は、信長に好かれていた。



「さて時に今川殿、上杉はほどなくこの織田を狙って仕掛けて来よう。その事について忌憚なき意見をご拝聴願いたい」

「私にそのような事など」

「ほんの座興よ、気になさるな」

「なれば申し上げますが、上杉殿は加賀の民を従えられますでしょうか」

「もう少し言って構わぬぞ」

「上杉殿の目的は上杉殿のそれであり、それがどのようにして自分の目的と他の人間の目的が同じか確かめるのでしょうか」

「やはり、貴公も将だな」



 徳川領を経て嫁とわずかな家臣と共に「上洛」を果たした氏真はすっかり文化人となり、武家の面影も感じ取れなくなっていた。

 しかし信長に言わせればその氏真の言葉は実に武将であり、実に為政者のそれであった。


「三河守も貴公の書状のおかげで着々と駿河を己が色に染め上げている……それでだ、その書状の代金を余から請求しても良いのだぞ?」

「そのような図々しい事」

「図々しい、か……だが早川殿と言う女人のために生きるのもまた男の甲斐性だろう」

「そうでしょう、何をはばかる事があるのやら」

「私は身の丈相応の生活を手に入れられればそれで良いのです。無論早川に辛い思いをさせるのは忍びないですし、付いて来た人間に対してもまたしかりですが」

「小姓たちよ、見ておけ。この男は紛れもなく将だ」



 将だ将だとぶつけまくる信長は実に上機嫌そうであり、氏真がまるで異世界に来たように内心混乱している中、濃姫さえも上機嫌そうになっている。



「この信長がやった事は、しょせん誰かの模倣に過ぎぬ。佐々木導誉の様に比叡山を焼き、新田義貞のように幕府を滅ぼし、今川殿のように楽市楽座を広めた」

「はあ!?」

「良き物は取り込み、悪しき物は吐き出す。それだけの事。そなたらも是々非々を見極め、そうして身を高めるがよい。今川殿、実に楽しかったぞ」

「誠にありがたきお言葉……」

「そなたらは今川殿を饗応し、それから早川殿に対するお礼の品を整えよ」

「はっ……」



 小姓たちは青い顔で散り散りになり、信長の命に従い出した。中にはそれでも不満を垂れようとする者もいたが、他の者に引きずられるような形で消えて行った。



「礼儀がなっていなかった事を、丁重にお詫び申し上げよう」

「仕方のない事です。私は武田に敗れ国を失い」

「夫に言わせれば信玄も謙信も、身の程知らずの輩です」

「そのような!」

「帰蝶の申す通りだ、武田信玄はただ領国をむさぼる事ばかりに難渋して終着点がどこにあるかまったくわからなかった。上洛を志すのであれば、川中島など放っておいて美濃にとっと入ればよかったのだ。今川と北条との同盟を堅持されていたら、今頃はこの身が貴公の前で鞠を蹴っていたかもしれぬ」

「では謙信公は」

「先に述べられたように、自分の目的と他人の目的が一致しているのかわからん男だ。まったく自覚はないだろうが相当な欲深であり、そしてうぬぼれ屋だ。自分が求める事が全ての人間を幸せにすると信じて疑っておらず、その上でその自分の欲望に耳を貸さない者を平気で否定する。軍神とか気取っているようだが、あれは確かに神だ。だがもっとも性質の悪い神だがな。

 謙信はおそらく幕府を蘇らせようとする。しかしその幕府とやらはこれまで我々に何をした?そんな物が蘇った所で誰が喜ぶのか、その視点が全くない。よほど中身を作り変えねばあっという間に破綻する。だが謙信には絶対に不可能だ」




 あの甲斐の虎や越後の龍を平然とぶった斬る夫婦の姿は、氏真ならずとも血の気を引かせるに十分だった。

 確かに信玄についてはもう死んだ人間だし評価がある程度固定されてしかるべきだが、謙信はまだ存命の人物であり評価が変動してもおかしくはなかった。




「その身の程知らず二人をしつけるには、力を持って抑えるより他ない。信玄坊主は見事やって見せる事ができたが、謙信坊主も今年にもまとめねばなるまい」

「まさかそのためにご隠居なさったと」

「確かに奇妙はもう当主として十分やっていけるがな、そのような事を言っている訳ではござらん」


 あそこまで派手に斬られた所で、氏真の上杉謙信に対する恐怖心は消えない。

 だからこそその身の程知らずの上杉謙信を討つべくあらかじめ岐阜中納言信忠を当主とし、その上で己が身を賭して動くのだろう、とか言う凡庸な案を出した氏真をとがめる事もなく、信長は口元を歪める。










「城を作るのよ」


 城を築く――一見平凡きわまる言葉ではあるが、それでも信長の口から言われるとそれだけでとんでもない物が出て来るのだろうとたやすく連想させられる。







「どのような物でしょうか」

「貴公にはその存在だけを示しておこう。だがその中身自体まだ詳しくは決まっておらぬ」

「そのような!」

「一年後には着工を始め、生きている内にはこの目に拝めよう。そう思うと今からでもその城の出来上がりを見るのが楽しくて仕方がなくなる……」

「途方もない事ですね、その際には私も」

「そう言えば今川殿は歌道にも通じておられたな、その際には一首お頼み申す」

「城は歌を詠む場所になると」

「まあ、その役目も背負う事になろう。戦など考えぬように見せる城だからな」










 戦を考えない城。




 たとえそれが見せかけだったとしても、城は戦をするために作る物ではないのか。




 戦のためでなければ、何のためか。







「その……戦のためでないとすれば」

「織田信長という男が、その生涯をかけて作る城となる。織田信長と言う存在が何を込めて生きて来たか、それを示す城だ」

「それはつまり、後世の人間に全てをさらけ出す覚悟があると」

「全くその通り。一応この身は平氏の末裔とか言う事になっているが、四百年前に天下を握り込んだ平清盛などと言う先祖の事などほぼ知らずに来た。全ては結局織田と言う存在を守るために、そのためのもっとも良き手を打ち続けてきた結果に過ぎぬ。

 なればこそ、信長ならではの一手を打たねばならぬ。信長と言う人間がいかなる人間であったか、四百年先の人間にも見せつけるそれが必要なのだ」




 あそこまでやっておきながら、小姓たちに言いふらした通りだと言うのか。




「あんな模倣が出来る人間はこの世にひとりしかいないと思いますが」

「いや結局は模倣に過ぎぬ。余はあまりにも生み出す物が少なすぎた。このままでは織田がいくら伸長しようとも源氏や足利家の模倣でしかない。いずれこの国を明や異国と互角以上の存在にするためには、それ以上の物が内にも外にも必要となる。

 そしてそれまでに国内をまとめ切れる自信は、正直持ち合わせておらん」

「国内と言いますと関東、陸奥、四国、九州……」

「ああ。仮に最高にうまく行ったとしても安定させ切れるまでの寿命が残っているかどうか実に疑わしい。その前にやらねばならぬ」



 弱音と言えばそれまでかもしれないが、人生五十年を気取る信長にしてみれば四十二歳と言うのはもはや晩節であり、そしてそれゆえに全てを見切っていた。



「なるほど、まったく桁が違いますな」

「もし貴公の寿命があと八年だとしたらどうする?」

「それは困ります、私はみっともなくも現世にしがみつく方を選びます」

「それもまたよし、だが信長は太く短く生きるを選ぶ。今川殿はそうして生きてもらいたい、長生きすれば乱世の終わりを無事見届け、その才を生かせる治世が回って来よう」

「いざとなればみっともなくとも逃げろと」

「逃げるは恥ではない。余も幾たびも戦に出て、逃げるような真似もして来た。逃げられたからこそ今こうしてここにいる。逃げられると言うのは立派な特技だ。そう言っても聞かぬ男も家臣にいるのだがな……」

「彼はそれだからこそ良いのですがね」



 逃げる事の出来る人間を信長が好むのはなぜか。


 氏真は必死に信長を知り、その信長の作る城を知らねばならない事を実感した。



「その天下の城、是非とも生きて見聞し、末席にでも加えていただきましょう」

「楽しみに待つ……ではもう準備も整ったであろう」


 氏真は小姓から佳酒を受け、そして鞠を抱えながら本能寺を後にした。その足取りは実に軽く、それでいて背筋が曲がる事はなかった。

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